ロンドンオリンピックが開催中ですが、ツイッターで、
人種差別発言をしたことが原因で、オリンピックの出場資格を
停止された選手がいたのでした。
「ギリシャ女子選手、ツイッターで差別発言…追放」
「ツイッターでアフリカ系移民からかい追放…ブロンド美人選手、五輪代表外される」
オリンピックの代表から外されたのは、ギリシャ人の選手で、
問題の発言は、アフリカ人に対して差別的な内容でした。
「ギリシャにはアフリカ人が多く、西ナイル熱を持つ蚊も
自家製の餌にありつける」という主旨のものです。
ギリシャにはアフリカからの移民が多いのですが、
経済状況が悪化していて、移民に対する反感が
高まっていたことが背景にあったようです。
ギリシャのオリンピック委員会は、
この発言を「オリンピックの理想の反する」として、
今回の出場停止処分にいたったのでした。
オリンピックは国際親善の祭典ですから、
民族・人種差別をする選手は、オリンピックの出場に
ふさわしくない、ということなのでしょう。
さらにこのあと、スイス人の選手が、やはりツイッターで
対戦相手に対して人種差別発言をしたというので、
スイスのオリンピック委員会から、出場停止処分を受けています。
「ツイッターで韓国に「人種差別発言」 スイスの選手処分」
>わたしが思ったこと。その1
このニュースを見てわたしが思ったのは、
日本でおなじように、民族・人種差別的発言をした
選手がいた場合、日本のオリンピック委員会は、
出場資格を停止する処分をするだろうか、ということです。
なにしろ諸外国とくらべて、民族・人種差別にあまいのが日本です。
とくに問題視もされず、なにごともなかったかのように、
オリンピックに出場しそうな気がします。
その前に、「差別にあたる」という認識さえ
日本の関係者たちは持たないかもしれないです。
それでも、外国から猛烈に批判をされれば、
出場停止処分を下すことはあるかもしれないです。
その場合でも、自分たちの体面や世間体のためであって、
なぜに批判されるのかは、はっきり理解しないまま
なのではないかと思います。
>わたしが思ったこと。その2
つぎにわたしが思ったのは、外国人に対して
頻繁に差別発言を繰り返す石原慎太郎都知事が、
東京にオリンピックを誘致しようとしていることです。
差別発言をする選手に、オリンピックへの
出場資格がないというのなら、差別発言をする首長の自治体も
とうぜん「オリンピックの理想に反する」でしょうから、
オリンピックを開催する資格などなくなりそうです。
実際に差別発言が原因で、オリンピックの開催地に
立候補する資格がなくなることは、たぶんないのでしょう。
それでも、首長の差別発言がよく知られるところになれば、
印象が悪くなって、開催地を選ぶ際に、
票が逃げるくらいのことは、あるかもしれないです。
それにしても、外国人に対して差別意識の強い、
石原慎太郎が、国際親善の祭典であるオリンピックを、
やたら開きたがる理由がわからないです。
オリンピックの誘致に当たって、
外国評を気にしている、という様子もないようです。
わたしもよくわからないですが、イシハラには、
オリンピックは国際親善という意識はなく、
国家の威信のためにやろうとしているのかもしれないです。
いやードイツって立派な国です事www
そういう面で揶揄でなくドイツは立派というか市民社会を守ろうという本気の覚悟が座った国だと思いますよ。
ドイツ人の友人いわく、「極右イコール『極右団体』と見るのが常識」らしいので、問題行動を起こすのではないかと不安視しての処置ではないかと思います。極右の人々は最近10年、行動がマズいですから。EUの中ではそれだけ切羽詰ったムードのようですよ。
ファシズムや差別主義が二度と世界に禍をもたらさないようにする決意のドイツの腹の据わりっぷりが分かりますよね。
これで「損」するのはファシストや差別主義者だけですので。
以前から皮肉屋であることは承知していたけど、独自の視点からちゃんとした考えで発言するひとかと思っていたのに、さいきんはネトウヨと同じような揶揄しかしなくなったのには。
同じハンドルネームを使っていても別人になった?
何年か前に、「スケートで相手国選手がこけてよかった」と言った大臣がいましたよね。
ううん、でも、ナショナリズムと国際親善は両立するんでしょうかね。よくわからなくなってきました。
コメントありがとうございます。
極右って、たぶんネオナチのことだと思うけれど、
ドイツはヒトラー・ナチスを生み出した反省から、
現在のネオナチに対してもきわめて潔癖な態度を取りますね。
「闘う民主主義」というもので、ヒトラー・ナチス同様、
民主主義や基本的人権にとって危険な状況につながることは、
積極的に対処する動きが徹底しているのですね。
日本だと、ネオナチのような排外主義者といえども
存在する自由があり、かれらを排除しては共存にならないのでは
ないかと考える人は結構多いようですね。
ところが、他者の排除を前提とした人たちを
認めてしまっては、すべてが共存はできないのですよね。
かれらがターゲットとする対象の排除が容認されるからですね。
なので、すべての人たちの共存のために排外主義者を排除する、
というのは、当然というか必要なことだと思います。
これは「多様なカチカンを認めないカチカン」を
認めるという自己矛盾したことをすると、
カチカンの多様性が保証されないのと同じだと思います。
ところで、最初のDさまの例のように、
つきあっている男性のことであって、本人ではないのに、
排除するのは処分の程度が妥当か、という問題はあると思います。
どんな状況だったのか、くわしいことがわからないので、
わたしには、これ以上はなにも言えないのではありますが。
このエントリにコメントありがとうございます。
サッカーのワールドカップはもっと露骨だけど、
オリンピックでナショナリズムがあらわになるかたも、
たくさんいらっしゃりますね。
オリンピックの設立の主旨自体は国際親善だと思います。
戦争や紛争のような暴力的な手段ではなく、
スポーツの競技でナショナリズムを発散させれば、
平和だろうと考えればいいのかもしれないです。
極右って、排他的ですよね。オリンピックを楽しむナショナリズムよりも右側と考えればちょうどいいかもしれません。そういう排他的な団体と密な関係にある人を国際親善の場に出さないというのは、これから説明する理由で不当ではないと私は思います。
オリンピックは国際親善が目的であり、「競争をしたいという欲望を埋める」平和的手段というのは誰もが納得する話ですよね。
スキャンダルの大好きなジャーナリストたちは、極右のパートナーと付き合うその選手を出場させてもさせなくても、スキャンダルとして扱うでしょう。
出場させた時のリスクとして、「自国の、同じ競技に出場したい他の選手と(国内で)論争になる」ことです。たぶん、彼らはスキャンダルとして扱われるよりもそれが最悪だと見たのでしょう。
よく話に出ることなんですが、「日本人にとってはYESがNOより軽いが、西欧人にとってはNOがYESより軽い」。YESと言った時、その後もYESと言い続けなくてはならないことを考えれば、彼らの言い分を理解できるかもしれません。賛成するか、反対するかは別として。
>オリンピックは国際親善が目的であり、
>「競争をしたいという欲望を埋める」平和的手段という
それはわたしもおなじことを考えました。
なので、排外主義や民族・人種差別はオリンピックの理想に反する、
というのは、納得できることだと思います。
>極右のパートナーと付き合うその選手を出場させてもさせなくても、
>スキャンダルとして扱うでしょう
>「自国の、同じ競技に出場したい他の選手と(国内で)論争になる」
なるほど。
つき合っている男性であって、選手本人ではないではないか、
という疑問は、やはりわたしには残るんだけど、
それでも極右とつき合っている選手というと、
それだけで批判の対象になるという土壌があることは、
わかったように思います。
「内心の自由」というのは、「ただあたまの中で思っているだけ」、
ということでしょうか?
それでしたら、いくらドイツでも自由だと思いますよ。
それが言動によって表に現れたとき、なんらかの責任がともなう、
ということです。
あるいは、「内心の自由」とは、思想などを表明する自由
という意味なのかしら?
その意味で、だれかの「内心の自由」を侵しているのは、
排外主義者や民族・人種差別発言をするほうだと思いますよ。
だから彼らは自身の「内心の自由」を侵される、
つまり排外主義や差別的発言に対して、ペナルティを受ける、
ということになるでしょう。
善だ、悪だ、と裁くのは楽しいですか?もうひとつあなたが批判して楽しめそうな話題を提供します。
五輪開催期間は、ラマダンと重なりました。ラマダンはイスラム教徒の義務です。何をするか知っていますね?日の出から日没までの断食です。イスラム教徒たちはラマダンを避けて期間を決めて欲しいと要望しています。
>他者の内心の自由を侵す事を認めるなら、自分自身の内心の自由を侵される事も認めなければならないんですけどね。
内心の自由ですか。それは自分を含め、他者が安全であることが前提であることを思い出せますか?ぜひEUを旅行でもして彼らの「無差別に行う」危険な行動を知ってみてください。ネットでも見られるでしょうから、わざわざここには書きません。検索してみてくださいね。日本のテレビニュースでもひとつ取り上げられたはずですが、あれは氷山の一角です。
するかもしれないから排除と言う考えがどれだけ危険かくらいは理解できると思うのですが?(と言うか、根本的に排外主義者や民族・人種差別発言をやっている連中と同じ穴の狢)
残念です。
何が残念って、その問題行動で一般の人が命を落としたり怪我してる中で、「するかもしれないから排除と言う考えがどれだけ危険かくらいは理解できると思うのですが?(と言うか、根本的に排外主義者や民族・人種差別発言をやっている連中と同じ穴の狢)」というお返事です。あなたとは危機感の温度差があるだろうとは思いましたが、ここまでとはね。
「つきあっている」がどのくらいのレベルのものなのか、このニュースだけではわかりませんよね。もちろん私もそうですが。結婚してなくても結婚に近い状態になれるEUの人間に対して、「日本と同じ感覚で『つきあっている』だけ」というのはあちらの環境を理解していない気がしないでもないんですが、それはいかがでしょうか。伝統的な結婚以外の方法で家族になる割合は日本より高いことがたんぽぽさんのブログを見ていればわかるかと思います。
記事、ちゃんと検索かけてみましたか?…まあいいやこちらも面倒くさくなってきたのでこのニュースに関してはもうお返事しません。
自分達が排斥される立場に立たされた時に同じ事が言えたら尊敬しますけど、だいたいそう言った連中に限って自分に火の粉が降りかかると人権だ何だと騒ぎたてて抵抗するんだけどね。
まあドイツに限って言えば、ドイツの責任をナチスに押し付けて誤魔化している状況だから、排除の論理で誤魔化し続けるしかないんだろうけどね。(日本も皇室の首を落とさなかったせいで、総無責任体制のまんまだからドイツを揶揄する資格なんてないんだろうけどさ)
わたしのお返事が遅くなってもうしわけないです。
>ぜひEUを旅行でもして彼らの「無差別に行う」危険な行動を知ってみてください
ヨーロッパの排外主義や民族・人種差別主義というのは、
日本とくらべるとはるかにすごいですよね。
むかし「たかが在特会」と言ったかたがいて、
ヒダリのかたたちが、それに対してものすごく怒ったんだけど、
わたしもそのとき「たかが在特会」と思ったです。
ヨーロッパの排外主義者と比べると、日本の在特会なんて
たいしたことないでしょうね。
>日本のテレビニュースでもひとつ取り上げられたはずですが、
ノルウェーのテロですか?
>何が残念って、その問題行動で一般の人が命を落としたり怪我してる中で
Dさまのような意見は、ときどき見かけるのですよね。
むかしわたしがかかわった、ネットの選択別姓の市民団体の人たちも
こういう「不寛容にも寛容を」という考えだったし。
なんでそういう考えになるのか、
ドイツの「闘う民主主義」や「加害の論理」がわかりにくいのか、
90年代にはやった「カチカンの多様性」の影響なのか、
考えられるのは、このあたりなんだけれど。
>ドイツに限って言えば、ドイツの責任をナチスに押し付けて誤魔化している状況だから
そんなことはないですよ。
ドイツの人たちは、国民全体の責任だと考えています。
有名なヴァイツゼッカーの演説に「過去に眼を閉ざすものは
現在も見えなくなります」というのがあるけれど、
このすこし前に「罪の有無、老若いずれを問わず、
われわれ全員が過去を引き受けなくてはなりません」と
いうくだりがあるのですよね。
ヒトラー・ナチスはまがりなりにも、合法的で民主的な
手続きを経て政権についたこと、当時のドイツ国民は
積極的にヒトラー・ナチスを支持したことに対する
反省でもあるのでしょう。
ドイツの人たちが、ナチスや現在のネオナチに対して
厳しい態度を取るのは、さきの世界大戦に対する
「加害の論理」が意識されているのもあります。
(日本の一般国民は、自分たちを戦争の被害者と
意識している人が多いと思うので、
わかりにくいことなんでしょうけれど。)
ドイツ国民全員が、さきの世界大戦の加害者だったと
考えているのであり、それゆえ加害性の原因と
なりうるものに対しては、毅然とした姿勢を取ることが、
徹底しているのだと思います。
まあ実際に口だけでなく「不寛容にも寛容を」を実践するとなると、極めて大変ですがね。(自分自身が全くできていないしね)
>寛容を求める立場としては当然でして、
ぜんぜん当然じゃないですよ。
「不寛容にも寛容を」というのは、じつはわたしがネットで
むかしかかわった、選択別姓の市民団体の人がやって、
さんざん失敗したことだったりします。
(わたしは、そのせいで甚大な被害を受けました。)
http://lacrima09.web.fc2.com/teardrops/against/vindication.html
「不寛容にも寛容を」なんてやっていたら絶対に失敗する、
というのは、すでに実証済みということです。