「同性のカップルに育てられる子どもがかわいそうだ」
などと言っているかたがいらっしゃるのです。
「同性カップルに育てられる子供が心配」
(はてなブックマーク)
やっぱりどう考えてもかわいそう、というか不憫に思えるケースが、
その同性愛のカップルが「子供を欲しい」と言いだしたときですよね。
ようは同性カップルは「異常」だから、その子どもには
きっとよくない影響があるという、根拠のない思い込みです。
ご自分が同性カップルに偏見があるので、
その偏見を投影させているのだろうと思います。
差別意識をはっきり出すのは、さすがにはばかられるので、
子どもを気遣っている体裁にしているのでしょう。
問題のエントリでは、同性カップルに育てられた子が、
「きちんとしたモラルや価値観をもって大人に
なれるのでしょうか?」とか、「子供の精神上、
どんな影響があるのかがとても心配なんですよね」とか、
しきりに書いています。
同性のカップルの子どもに、とくに問題が起きないことは、
合衆国アイオワ州で暮らす、ザック・ウォルス氏が
州議会で行なったスピーチで、よくしめされています。
「子育てをするゲイ・レズビアン 〜ゲイ・カップルに育てられた青年のスピーチ〜」
ウォルス氏はレズビアンの家庭に育った青年ですが、
同性カップルの家庭について、つぎの主旨のスピーチをしています。
両親の性的指向は、子どもの人格には全く影響を及ぼさない。
家族のきずなは、政府によって祝福されることで強くなるのではない。
家族のきずなは、一緒に楽しい時を過ごすために、
つらい時を共に乗り越えていこうとする意思によって作られる、
それこそが家族というものである。
もっともウォルス氏は、州議会でスピーチするくらいだから
立派な人物なのだろうとも、言えるかもしれないです。
もっと「庶民的」な例として、こちらのツイートを挙げておきます。
ほかにも異性夫婦の子どもが、パパやママがふたりというのを
「いいなあ!」とうらやんだという、興味深いお話があります。
同性カップルは、子どもには案外受け入れやすいのかもしれないです。
はじめの「同性カップルの子はかわいそう」のエントリは、
「同性者同士の夫婦、という自然界には
絶対存在しない特異な親」などと書いてもいます。
ところがそうではなく、自然界にも同性愛は存在するのでした。
同性愛者というのは、古代から一定の割合で、
人間の中に現れていることがわかっています。
聖書で同性愛を禁じた記述があるのをご存知のかたも
いらっしゃると思いますが、これはとりもなおさず、
聖書の時代から同性愛者がいたことを、しめしているとも言えます。
また人間以外の生物にも、同性愛は一定の割合で
現れることがわかっています。
ここでは同性愛のペンギンの記事を、ご紹介しておきます。
「オスのペンギン2羽、同性カップルで養子をもらって子育て中」
「動物たちの同性愛問題 /
オス同士のペンギンカップルが無理やり引き裂かれそうになり議論を呼ぶ」
この「同性カップルの子どもはかわいそう」という
エントリを見て、わたしがすぐさま思ったことは、
「夫婦別姓だと子どもがかわいそう」という主張と、
内容がそっくりだということです。
自分にとって「異常」な家族だから、その子どもも
「異常」と思うに違いないという、根拠のない偏見に
もとづくことや、子どもを楯に取って、自分の差別意識を
正当化しているところなど、まったくいっしょと言えます。
エントリでは、同性カップルが子どもを持つことを
「自分達のエゴじゃないかと思う」とまで言っています。
別姓夫婦が子どもを持つというときも、
おなじように「エゴ」呼ばわりする人はいるでしょう。
問題のエントリは、今年の5月に書かれていますが、
知られるようになったのは、最近のようです。
ツイッターでは、リツイートがいくつか流れていて、
それでわたしは知ったのですが、このときブックマークは、
まだ数えるほどしかなかったのでした。
ところが、そのつぎの日から、きゅうにたくさんのかたに
見つかり出したらしく、ブックマークがどんどん増えたのでした。
ちょっとした話題のエントリとなったようです。
ブックマークコメントはどれもエントリ作者の
同性カップルに対する差別意識を批判したものです。
その健全な感性に安心をするところです。
願わくば「夫婦別姓だと子どもがかわいそう」という
エントリがもしあったら、これくらい批判が集まって
ほしいと思うのですが、どうなるでしょうか。
「かわいそう」とは、目の前にその条件で辛い状況の人がいてこそ出てくる感情のはずですが、これは想像の中での出来事のようですね。それも、周囲が気にしなければ誰も辛いことではないのでは、と問うてみたくなりますね。
コメントありがとうございます。
このところ姿を見ないので、どうしたのかなと思ってました。
>周囲が気にしなければ誰も辛いことではないのでは、と問うてみたくなりますね
本人が実際にどうしているかを見れば、
どこも「かわいそう」なんてことはないのですよね。
「かわいそう」だと思う人は、自分の偏見を
架空の子どもに投影させているんだと思います。
もし本当に「かわいそう」なことになるとしたら、
このように偏見を持っている人に出会うことだと思います。
まわりの人間の偏見が、「かわいそう」に
することなんだと思います。
>もし本当に「かわいそう」なことになるとしたら、
>このように偏見を持っている人に出会うことだと思います。
同感です。相容れない人は必ずいるものですが、人のプライバシーにまで「かわいそう」と土足で踏み込むのだけはやめておくのがいいと思います。
>最近は祈りや聖書に時間を費やして、世の中(笑)からすっかり離れておりました
まあ、いいんじゃないかと思いますよ。
ほかに大事なことがあるなら、そちらを優先したほうがいいですし。
すくなくとも、ネットよりはリアルのほうが、
いろいろな意味で大事だろうと思います。
>同感です。相容れない人は必ずいるものですが、
同性カップルや夫婦別姓の家庭の子には、
「偏見を持った人もいて危険だ」ということだけは、
教える必要があるかもしれないですね。
たとえば、子どもが思春期になって『異性に格別の関心を』寄せるようになると、異性愛を持たない親は相談相手になれるのか。(むろん親ならば子どもの恋愛に理解を示しうるとは限らないが、それもあくまでも異性愛という前提での話。)
というより『お父さんとお母さん』という世の中の概念を子どもはどう受け取るのか?同性愛『夫婦』ではなく『カップル』という表現で『男女』ではない『婚姻』関係を当人同士は言葉の上でも選んでいるとすれば、そういう事情を何も知らずに生まれてきた子どもは、『両親という一組の男女』と言う社会の常識と生まれながらに葛藤しなければならないことになりますがそんな経験のない『男女の間で育った人間』が大勢を占める社会がそういう子の悩みを受け止められるのかが心配です。
>やはり彼らにしかわからないような悩みや問題に直面するのではないか、
そういう悩みや問題に直面するとしたら、
社会が同性愛を「特別なもの」と見なしているからでしょう。
責任があるのは、そうした同性愛を特別視する社会ですよ。
>子どもが思春期になって『異性に格別の関心を』寄せるようになると
親が相談相手にならないなら、ほかにもまわりには大人がいるのですから、
相談できる人を探せばいいだけだと思いますよ。
異性愛の親だって、相談相手になれないことはありますからね。
同性愛の親だけ特別視される理由はないと思います。
>『両親という一組の男女』と言う社会の常識と
>生まれながらに葛藤しなければならないことになりますが
そのような葛藤ができるとしたら、葛藤させる社会に原因があるということです。
社会の中に「男女の両親がとうぜん」という考えがあるのが
問題なわけで、「男女の両親が多いが、男同士、女同士の
両親も存在する」という理解を、社会の側が徹底させることだと思います。
>そんな経験のない『男女の間で育った人間』が
>大勢を占める社会がそういう子の悩みを受け止められるのかが
それも「男女のあいだで育った人間」の側の問題ですね。
「男女のあいだで育った人間」が、みずから解決することでしょう。
愛し合って子供は出来ないんだし自分たちも幸せには勿論なりたいだろう皆同じ人間だ
子供も欲しいと思ってもそりゃあ仕方ない。それに自分達が同性愛者になりたいです!といったわけじゃなく産まれてしまったわけなのになぁ。俺は男女どちらともあまりすきじゃないけど同性愛者が苦労したのはすごく分かる
引き篭もりの馬鹿な気持ち悪いオタクよか何倍も努力してるだろうしな。
だけど自ら生まれたかったわけじゃないのに色んな人から差別されて本当ひどいとは思うよ。
親から生まれたのにその生まれた子供に世間は当たるからな…
神様も聖書も同性愛を何故こんな風にしたいのか。同性愛者は悪くもなにも無いと思うんだがなぁ
同性愛者じゃないのに考えてると泣きそうになってくる自分がいる。
それに同性愛者に育てられても幸せになる子もいくらでも海外にいるのにそれを拒否し聖書を引っ張る一方はおかしいと思う。だってすでに子供をもっているんだから綺麗な子供達の前で聖書を引っ張り出しあなたたちの親は悪魔だ!何ていうキリスト教がいたらそれこそ基地外ですよね。幸せに暮らし子供を心から愛し立派に育てフリーセ○クスも乱れなければ同性愛の家庭でも全然素晴らしい家庭ですよ。
代理母も人工授精もリスクが高いですが子供を愛したいのは変わりませんからね。
わたしのブログにようこそお越し下さりました。
>子供も欲しいと思ってもそりゃあ仕方ない
すべての同性愛者が子どもを欲しいと思うかどうかはわからないですが、
子どもを欲しいという同性愛者はいますし、子どもを持つ権利はありますし、
その希望は可能であればかなえられることですね。
>神様も聖書も同性愛を何故こんな風にしたいのか
同性愛を禁止しておきながら、人間の一部を同性愛者に作る神さまは、
いったいどういうつもりなのかよくわからないですね。
聖書が同性愛を禁止しているのは、キリスト教が初期のころ信者を増やすために、
産めよ増やせよが奨励されたためと言われています。
それで生殖に結びつかない性愛を禁止したのでしょう。
現在ではキリスト教は大宗教ですから、時代に合わなくなった教義であり、
こだわる必要はないと言えますね。
>それに同性愛者に育てられても幸せになる子もいくらでも海外にいるのに
エントリでもザック・ウォルス氏のスピーチを紹介しているけれど、
同性カップルの家庭でしあわせに育っている子どもはたくさんいますね。
同性結婚に反対する人は、自分が受け入れられないものを否定するのに
聖書を持ち出して正当化しているのかもしれないです。
日本でも子どもが作れないという理由で、同性結婚に反対する人はいますね。
彼らにとっては「家族のカチ」が、宗教の代わりなのかもしれないです。
http://taraxacum.seesaa.net/article/371226886.html