10月28日エントリでお話した、ジェンダーギャップ指数ですが、
その妥当性を懐疑する記事があるのですよ。
とくにひとつ目の記事を見ると、ジェンダーギャップ指数は、
まったく信頼できないと言っているような酷評ぶりです。
「ジェンダーギャップ指数は、適切な指標か」
「男女平等度」
ジェンダーギャップ指数の妥当性を懐疑する意見のひとつに、
項目の選びかたに問題があるとするものがあります。
これは、ひとつは「経済」「教育」「健康」「政治」の
4つの項目でじゅうぶんかということがあり、
もうひとつは数値化できないこと(夫婦別姓や妊娠中絶など)が、
調査対象にならないという限界があります。
「経済」「教育」「健康」「政治」の4項目は、
多くの国で共通して男女格差が現れていることです。
すべての男女格差について語ってはいないにしても、
かなり広い範囲のことがらを網羅しているとは言えるでしょう。
これだけを見ても一定の傾向が現れると思います。
あるいは、総合的に見て男女で格差の大きい国は、
これら4項目だけ取り出しても、格差が大きくなっているだろうと
考えているとも言えるわけです。
これは一般的には成り立つことだろうと思います。
また、「出生の男女比率」と「女性議員の数」とか、
まったく異質のことがらを単純に合計するという、
「1次元化」をしているので、ウエイトの付けかたで
恣意性が出る、という批判があります。
ジェンダーギャップ指数は、男女で同数のとき1として、
男女に格差があるときは、単純に比を取っているだけのようです。
ところが、4項目は等価でないはずだからと考えて、
項目ごとにウエイトを付けようとすると、かえって恣意性が入り、
そのほうが調査が信頼できなくなるとも言えます。
それで、数値の取り扱いの上で余計な操作をせず、
単純に男女の比だけを取り出しているものと思います。
つまり、多少正確さが損なわれるにしても、
だれもが納得できるところとして、いちばん恣意性が
すくない方法を採っている、ということだろうと思います。
ほかの意見として、男女間の相対的な格差にだけ注目するので、
生活水準が低いほうで男女が合わされている場合でも、
スコアが高くなる、という批判があります。
懐疑派は、レソトやニカラグアのような開発途上国が
分不相応に(?)高い評価となることを根拠としています。
日本でも、2010年の賃金格差が縮まったのは、
男性に非正規雇用が増えて、水準の低いほうで
合わされたため、という現象も起きていたりします。
しかし、
1. 生活水準の低さは、しわ寄せが女性に来ることが多く、
男女の格差を作る原因となりやすい
2. 女性の地位の改善によって、男女の格差が小さくなることが多い
というふたつのことは、一般則としておおむね成り立つと
考えてよいだろうと思います。
世界経済フォーラムもこのように考えて、
多少の不正確さはあるにしても、単純に男女の格差を取ることに、
一定の妥当性はあると判断したものと思います。
このエントリでは、結果の平等だけに注目するので、
「育児休暇があるかといった制度の問題は取捨され」るとあります。
育児休暇があるのは、まさに女性の権利が
理解され保証されていることの現れだと思いますよ。
日本では、育児休暇がじゅうぶん取れず、
出産とともにお仕事をやめざるをえない状況が、
女性の勤続年数が短くなる原因のひとつであり、
これが男女で賃金格差が現れる理由となっているのですから。
それはともかく、格差があるのが機会の不均等によるのか、
機会は均等だけど、努力の結果なのかの区別がつかない
ということを、言いたいのではないかと想像します。
これについては、
1. 機会が不均等であれば、必然的に結果も不均等になる
2. 個々の人にはそれぞれの事情があっても、多数の平均を取れば、
機会均等なら結果も平均化され、男女格差はなくなると思われる。
というふたつは、一般則として成り立つでしょう。
それゆえ結果の平等だけ注目しても、
一定の傾向は出ると言えると思います。
こうして見てくると、ジェンダーギャップ指数は、
数値化や恣意性の取り除きにともなう単純化はあっても、
男女の格差を表わす指標として、一定の妥当性はあると言えるでしょう。
日本の順位が101位というのは、ジェンダー問題に
それなりに関わったなら、多くのかたが実感できる
日本社会における女性の「壁」ではないかと思います。
ジェンダーギャップ指数を利用する人たちも、
ここでお話したような、取り扱いの単純化にともなう
不正確さくらいは理解していると思います。
その上で一定の妥当性があると考えるから、取り上げるのでしょう。
懐疑派の記事を見ると、ジェンダーギャップ指数には、
まったく妥当性がないかのような印象を受けます。
なぜここまで否定されなければならないのかと、
わたしはかえって疑問を感じるところです。
少々の庇護を必要以上に拡大して、問題視しているようです。
ジェンダーギャップ指数は、取り扱いの単純化の代償として、
各国の男女格差の世界水準をわかりやすく可視化しています。
このメリットは、単純化にともなうデメリットを
じゅうぶんに埋め合わせているだろうと思います。
わかりやすい目印にするために細部の正確さは捨てているわけですから。
色々なデータをミックスする際に、恣意的に重みのつけ方を変えて、順位を操作することも可能です。
しかし残念ながら現在の日本の状況は、厳密で正確な表現をしなくても十分男女の格差が大きいです。ふだんからジェンダーの問題に興味がある方は、この指標の数値はまず「妥当」だと感じると思います。私もそう感じます。
こういう厳密さを犠牲にした「指標」が発表される意味はまさに「え、日本がこんない低いの!」「おかしい!インチキなんじゃないか?」って疑問を持つような方、
普段、男女の格差に興味がない人に強い印象を与えるためです。
ので強く否定非難する方が出るのは、むしろ成功だといえるでしょう。
同時にこの指標の細部に突っ込む方は、逆に自分の中の差別性を明らかにしてしまう…ということになります。
不快ですけれど、むしろそれはプラスに捉えるべきだと思います。
わたしのブログにお越しくださり、ありがとうございます。
>「正確でない」という批判はあって当然です。
取り上げた記事は、その批判が「過剰だ」というのが、
わたしのこのエントリで述べたいことです。
「正確でない」という批判があること自体は否定してないです。
ジェンダーギャップ指数は、細部の切り捨てはあっても、
一定の妥当性はあると思うのですよ。
その一定の妥当性さえも、まったくないかのように
全否定するところに、わたしは異議を感じるわけです。
>普段、男女の格差に興味がない人に強い印象を与えるためです。
>ので強く否定非難する方が出るのは、むしろ成功だといえるでしょう。
記事を書いた人は、本来男女の格差に興味があって、
その格差の大きさを意識していると思われるのですよね。
男女の格差の存在を訴えている立場の人が、
その格差を視覚化したものを、必要以上に否定するのは、
どういうことなのかというのが、わたしの疑問でもあります。
>同時にこの指標の細部に突っ込む方は、逆に自分の中の差別性を明らかにしてしまう
これはどういうことでしょうか?
順位だけ見るよりも、項目ごとにくわしく見ていったほうが、
格差について的確に把握できると思うのですが。