2012年12月15日

toujyouka016.jpg 自民党の改憲の問題点

やはりこれにも触れておくことにします。
あちこちですでに話題になっている自民党の憲法草案です。
これが基本的人権の天賦性を否定し、人権どうしの衝突とは別個の
「公益又は公の秩序」という概念によって、人権の制限ができるようにする、
とても危険きわまりないものになっています。

「自民党憲法草案の条文解説」

安倍総裁は改憲を総選挙の争点にしています。
5年前に政権にいたときも、改憲を実行しようとしましたし、
今度も政権を取ったら、すぐさま改憲に着手をすると思われます。

 
つぎの片山さつきのツイートも話題になっています。
自民党の憲法草案は、国民に一定の義務を要求し、
この義務を果たさないと国家が判断した個人からは、
基本的人権の制限ができるという、危険なものでもあるわけです。




自民党の憲法草案についての問題は、以下のようにいくつもエントリが
書かれているので、こちらをご覧になるとよいでしょう。

「天賦人権説(あるいは自然権)の否定は何が問題なのか?」
「とりあえず辞書的な「天賦人権論」の解説」
「【天賦人権論】基本的人権の成り立ちを振り返る【素朴な出発点】」


基本的人権という概念は、ホッブズの自然権に端を発して
350年ほどの歴史があります。
それから現在にいたるまで、基本的人権というのが、
すべての人間に人間というだけで備わっていて、
天賦平等で不可侵である、という理解が定着するようになるまでには、
膨大な労力と犠牲がともなったのでした。

現在の日本国憲法でも97条で、「この憲法が日本国民に
保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の
努力の成果であつて」と述べらています。

「人類の多年にわたる自由獲得の努力」とさらりと書かれていますが、
これには革命や戦争も含まれていて、たくさんの人たちの
流血がともなう戦いも、数多くあったのでした。
基本的人権という概念は、いまでこそあたりまえのように
なっていますが、わたしたちの祖先の莫大かつ尊い犠牲の上に、
ようやく確立されたものだったのでした。


このあたりをもっとよく表わしているのが、
オーストリアのブラウナウにある、アドルフ・ヒトラーの
生家の前にある石に刻まれた碑文だと思います。
FÜR FRIEDEN, FREIHEIT
UND DEMOKRATIE
NIE WIEDER FASCHISMUS
MILLIONEN TOTE MAHNEN

平和と自由と民主主義のために、
二度とファシズムなきよう、何百万もの死者は警告する

警告の石

ご存知のように、20世紀のファシズムは、
基本的人権を徹底的に否定して、世界と戦った政治体制であり、
基本的人権への挑戦の最たるものと言えます。
それは何百万もの死者という、はかりしれない犠牲を出した上で、
ようやく根本的な誤りであることが、証明されたのでした。


かつては、基本的人権など制限したほうが、
このましい社会が築けるのではないかと、
基本的人権の正統性に疑いをはさむ人もたくさんいました。
また実際の政治で、それを実践しようとした人もいました。

しかし現在では、こうした基本的人権を否定する試みは、
上述の20世紀のファシズムを頂点として、
ことごとく失敗に終わったことがあきらかになっています。
いまや基本的人権の天賦平等性は、現実の政治という場で
検証されたゆるぎない真実である、ということになります。

基本的人権の天賦性や、人権を保障するために
国家に義務が課せられるという「立憲主義」に疑いをはさむ、
自民党の憲法草案は、「何百万もの死者の警告」を
あまりにも軽々しく扱っていると言えるでしょう。


付記:
わたしの個人的な感想を言えば、自民党の憲法草案などという
つまらないことを議論しなければならないのが不愉快です。
国民生活は逼迫していて、ほかにやることはいくらでもあります。
改憲の議論などにうつつを抜かしている時間はないでしょう。

ワイマール共和国の議会では、ナチスが議席を伸ばしてから、
反ユダヤの議論をしょっちゅうやらされるはめになったのでした。
このときの非ナチスの議員たちも、
おなじように不愉快に思ったのかもしれないです。

posted by たんぽぽ at 19:30 | Comment(13) | TrackBack(0) | 政治・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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この記事へのコメント
右派勢力にとっては敗戦で憲法を変えさせられたという歴史的ルサンチマンがあったわけですが、これまでは改憲というのも一種のファンタジーとしてのロマンみたいなものでしたが、人権が普遍的にあっては都合が悪いので制限したいという新自由主義志向によって現実的な要請となってしまいましたからね。
Posted by 御光堂 at 2012年12月16日 12:11
そして、改憲に反対する勢力も焦点はもっぱら9条で、9条を守れというのがあたかも改憲反対の呪文の如くになっていたところへ、もっとヤバい方向からの改憲が忍び寄ってきたという感じですね。
Posted by 御光堂 at 2012年12月16日 12:19
このエントリにコメント、ありがとうございます。

自民党はおおむかしから改憲を画策していましたからね。
遠慮なく前面に出せるようになったというのは、
それだけ右傾化したということなのでしょう。

いわゆる護憲派は、9条を守ることに関心が集中しがちですね。
自民党の改憲案なんて、そこらじゅうやばいところばかりなんだけど。
今回は、基本的人権が制約できることに関しても、
関心が集まっていて、エントリも書かれていますね。


あと、基本的人権の制限は「新自由主義的志向」なのかな?
そういう考えかたは、わたしははじめて聞きました。
(わたしにはわからないです。)
Posted by たんぽぽ at 2012年12月16日 21:51
基本的人権の制限は、労働者の権利を制限(剥奪)するといったことにもつながるので、いま出されてきた自民党の改憲案はただのノスタルジーではなく、新自由主義勢力やそうした産業界からの要請の反映でもあると思いますよ。
Posted by 御光堂 at 2012年12月17日 08:10
またまたコメントありがとうございます。

どうなんでしょうね。
産業界が、労働者の権利の制限と基本的人権の抑制とを
結びつけた主張をするのは、見たことはないんだけど。

自民党の改憲案も、産業界のそうした要求は
意識されていないように思います。
Posted by たんぽぽ at 2012年12月17日 17:50
この「権利の制限」を他の場面で見たことがあります。
西欧、北欧です。
確か、土地管理についての権利だったと思います。
例えば、環境を汚染する可能性のあるものや影響の大きいものを他の土地に隣接するところに何かを建てるなどする時は、当人の希望より周囲の意見が重要視されるというものでした。

この条文は、何を意図しているんでしょうね?
少なくとも、その目的ではなさそうなのですが…
Posted by mmm at 2012年12月17日 21:38
自民党の改憲案もただ戦前的なものへのノスタルジーとして出てきたとも思えないんですけどね。
やはり自民党やそれを支持する勢力(もちろん経済界含)にとって「現代的な課題に応えるため」だと思うんです。基本的人権の制限もその一つで、彼らはそうすれば(彼らにとって)世の中がうまく行くようになると考えていることでしょう。
Posted by 御光堂 at 2012年12月18日 08:25
>mmmさん

>この「権利の制限」を他の場面で見たことがあります。
西欧、北欧です。
確か、土地管理についての権利だったと思います。<

ヨーロッパに限らず、日本でも「土地管理の権利」は様々な法によって制限されています。日本では自分の土地なんだから有害物質を廃棄したり工場で使ったり、学校・病院の近所で風俗営業するのも自由にできる…わけではありません。

現行の憲法:
第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
ーーーー

上記のような例(土地管理)は、公共の福祉に反する--他者の権利侵害になるから制限されるわけです。

自民党の改憲案はこうです:
第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。
ーーーーー

「公共の福祉のため」が「公益及び公の秩序」となり、「自由と権利には責任と義務が伴う」となっています。

http://satlaws.web.fc2.com/0140.html
の解説部分をお読みくださればと思います。

>基本的人権の制限は、労働者の権利を制限(剥奪)…<

権利の制限は事業者の権利制限にもなります。新自由主義的な人は規制緩和を望むので、公益とか公の秩序という恣意的運用が可能な理由での権利制限を要請しているとは思えないですね。
基本的人権は労働者と貧困者のみにあるのでなく、経営者でも富裕者でも資産家でも、誰にでもあるものです。
Posted by kiriko at 2012年12月18日 09:15
>Kirikoさん
やはりそうですよね。この条文を「他害」理由なしに制限するような文面を作っているということは、何かしらの悪意に取って代えられるかもしれないものと思って間違いなさそうですね。しかも、適用範囲の制限なしに。
Posted by mmm at 2012年12月18日 09:34
やみくもな(人権の)規制や規制といった概念は新自由主義の表向きのモットーである規制緩和志向にそぐわないかもしれませんが、義務を果たしたものだけが人権を享受することができるというようにもっていけば、むしろピッタリでしょう。
Posted by 御光堂 at 2012年12月18日 14:44
mmmさま、このエントリにコメント、ありがとうございます。

>環境を汚染する可能性のあるものや
>影響の大きいものを他の土地に隣接するところに何かを建てるなどする時は、

それは基本的人権の制限とは、まったく異質ですよ。

この場合は、環境を汚染する可能性のあるものを建てると
周辺住民の生存権という基本的人権が侵害されますよね。
それで周辺住民の人権を侵害しないよう、
建物を建てることに制限を受けるということでしょう。

権利の制約は他者の人権によるものであり、
自民党の憲法草案にあるような「公益及び公の秩序」のような
人権間の衝突以外の概念は、持ち出されていないですよ。


ふたつ目のコメントはよくわからないです。
「「他害」理由なしに制限するような文面」は作ってないと思いますけど?
Posted by たんぽぽ at 2012年12月18日 22:50
御光堂さま、コメントありがとうございます。

自民党がむかしから改憲案をしつこく取りざたするのは、
彼ら自身が現行憲法を「押しつけ」と考えるからでしょう。
イデオロギーの問題だと思いますよ。

もちろん自分たちの改憲案を施行したほうが、
「世の中がうまく行く」と信じているでしょうけれど。


>義務を果たしたものだけが人権を享受することができるというようにもっていけば、

新自由主義を標榜している人たちの中で、
そういう主張をしている人が、現にいるかどうかですよ。
Posted by たんぽぽ at 2012年12月18日 22:51
kirikoさま、
いつもごていねいに、いろいろとありがとうございます。

>ヨーロッパに限らず、日本でも「土地管理の権利」は様々な法によって制限されています

そうですよね。
どこの国でも土地管理については、無制限でないと思います。

>公共の福祉に反する--他者の権利侵害になるから制限されるわけです。

わたしもおなじように考えています。
周辺住民の生存権などの人権侵害になるから、制限されるわけですね。
つまり人権間の衝突が制限の根拠なのであって、
「公益及び公の秩序」のような人権間の衝突以外の概念は、
持ち出されていないですね。


>新自由主義的な人は規制緩和を望むので、
>公益とか公の秩序という恣意的運用が可能な理由での権利制限を
>要請しているとは思えないですね

そういえばそうですね。
おおむかしは国家が経済活動に大きく介入していて、
事業者はとても不自由をしていたのでした。
それで、国家は経済に関わらないほうがよい、
という「夜警国家」主義が出て来たのでした。

新自由主義的な人は、おおむかしの「夜警国家」に
近い考えをしますから、基本的人権の制限をされたら、
自分たちの自由な経済活動が阻害される心配をしそうですね。
Posted by たんぽぽ at 2012年12月18日 22:53
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