婚外子の相続差別に対する訴訟で、違憲判決が出ていた
というニュースがあるので、ご紹介したいと思います。
「非嫡出子の相続減、違憲 静岡地裁支部、父に婚姻歴なし」
「婚外子の相続差別違憲 出生時、父に婚姻歴なし」(全文)
記事は1月30日なのですが、違憲判決が出たのは11月9日です。
2ヶ月以上経っていて、なんでこんなに遅いのかと思います。
記者がだれも判決に気がつかなかったのでしょうか?
遅れてはいても、現行民法に違憲判決が出たことを
取り上げたことはよかったと思います。
婚外子の相続差別も、民法改正のひとつの課題として、
夫婦別姓とおなじく、いつまでも解決されずにいます。
最高裁でも何度も争われていますし、
今回の訴訟で違憲判決が出たことは、とてもよかったと思います。
記事によると、判決ではつぎの説明がなされたとあります。
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判決は、原告が出生したときには父は結婚しておらず、
それ以前も結婚歴がなかったことから
「尊重すべき法律婚は存在していない」と指摘。
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この理由はいささか問題があるように思います。
「尊重すべき法律婚」の存在によっては、
婚外子は相続差別を受けてもよいと考えられるからです。
本来なら尊重するべき法律婚の有無にかかわらず、
非嫡出子と嫡出子とのあいだに、相続差別があってはならないはずです。
それから、「尊重すべき法律婚」というのが、
どういうことなのか、わたしはよくわからないのでした。
原告の父はべつの女性とのあいだにできた嫡出子がいます。
それでも、婚外子の相続差別が違憲だというのですから、
おなじ親から産まれた嫡出子と非嫡出子とのあいだの競合
ということではないようです。
婚外子の相続差別は、以前にも違憲判断が出たことがあります。
2011年8月24日に、大阪高裁で下されています。
「婚外子差別に違憲判断」
記事の最後に「下級審でも違憲判断が示されたケースが出ている」と
書いてあるのですが、この大阪高裁の違憲判断のことを
指しているものと思います。
付記:
2011年8月の大阪高裁の違憲判断も、マスコミが記事にしたのは
10月4日で、ずいぶんとあとになってからでした。
今回の違憲判決といい、マスコミの動きが遅いのは、
なにかわけがあるのでしょうか、ちょっと気になります。
「婚外子の相続差別は、以前にも違憲判断が出たことがあります。
2011年の8月24日に、大阪高裁で下されたものです。
今回の違憲判決で2件目ということになります。」
と書いてありますが、違憲判決は2件目ではありません。
私は、日本で最初の婚外子相続差別違憲判決の原告です。
1993年6月23日、東京高裁です。
翌、1994年11月30日にも同じく、東京高裁で2件目の違憲判決が出ていますし、他にもまだあります。
法制審議会が民法改正の答申を出してから、20年近い年月が流れてしまったというのに、未だに先に進まないというのは本当に残念なことですね。
コメントありがとうございます。
>私は、日本で最初の婚外子相続差別違憲判決の原告です
わたしのブログに、ようこそお越し下さりました。
とても恐縮です。
>1993年6月23日、東京高裁です。
>翌、1994年11月30日にも同じく、東京高裁で2件目の違憲判決が出ていますし、
情報、まことにありがとうございます。
過去にも婚外子の相続差別に対して、違憲判決が出ているのですね。
しかもいまから20年ほど前ですね。
過去に違憲判決が出ているのに、民法改正がなされないということは、
今回の違憲判決も「焼け石に水」になりそうですね。
エントリの「今回の違憲判決で2件目ということになります」
という文章は削除しておきます。
ご指摘は、まことにありがとうございます。
>法制審議会が民法改正の答申を出してから、20年近い年月が流れてしまったというのに、
もう20年が近づきつつあるのですね。
自民党が政権を取って、ふたたび民法改正は遠ざかったし、
いったいあと何年経ったら実現するのかと思います。
それから、2週間の控訴期限となれば、判決確定は11月末になります。
年末年始は緊急事態の記事以外は、マスコミが報道しないので、実質1ヶ月程度あとの報道は当事者が記者会見を開くなり、判決言い渡し時間をマスコミに知らせて、判決日に登庁するところを撮影させたりしなければ、すぐには、報道されないことはいくらでもあります。
わたしのブログにコメントありがとうございます。
お返事が遅くなってもうしわけないです。
>すぐには、報道されないことはいくらでもあります
判決が出た日とメディアの報道とのタイムラグについて、
事情をお話くださり、まことにありがとうございます。
なるほど、そういうことなのですね。
婚外子差別の違憲判決は、それほど緊急性はないでしょうしね。