「体罰」というのは学校教育法11条で、明確に禁止されています。
体罰を行なうというのは、法律に違反しているということです。
したがって、本来は教育現場のいかなる場所でも、
あってはならないはずのことです。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S22/S22HO026.html
第十一条 校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、
文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に
懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。
体罰は必要だと主張する人たちもいるのですが、
これは違法行為をすること主張している、ということになります。
体罰を肯定するなら、学校教育法の改正を合わせて要求する
必要があるはずですが、わたしが見聞きするかぎり、
体罰肯定派にそういったことは見られないようです。
本来なら違法行為の体罰ですが、現実にはあちこちの中学や高校で
横行している「あたりまえ」のことではないかと思います。
桜宮高校の体罰自殺以来、ほかの学校で起きている
体罰についても、ちらりほらりと報道されています。
マスコミに報じられるのは、おそらく氷山の一角でしょう。
体罰が横行する背景のひとつは、「勝利至上主義」にあるとされます。
したがって、試合に勝つことを目標とする運動部で、
一般的には起きることですが、文化部でもコンクールのある
吹奏楽などで、起きることがあるようです。
元プロ野球選手の桑田真澄氏が、体罰がさまざまな害を
産むことについて述べた記事が、いくつかあるのでご紹介します。
「桑田真澄さん 体罰は安易な指導」
「桑田真澄さん“体罰では強くならない”」
「野球を好きになる七つの道 〜その4〜」
桑田真澄氏は、むかしから体罰の害について問題視をしていました。
2010年にはプロ野球選手を対象に、アマチュア時代に受けた
指導についてのアンケートを行ない、論文を書いています。
「桑田真澄氏の論文から」
「桑田さんの発言が話題をあつめているが過去にもこの人は・・・ぜひ読んでください。」
桑田真澄氏が、体罰に対してはっきりと反対するような
健全な意識の持ち主だとは、ずっと知らなかったですよ。
(もっとも野球自体興味がなかったのではあるが。)
わたしは、桑田氏のことをすっかり見直しました。
つぎの記事も、体罰はなぜ許されないのか、法律で禁止までする
必要があるのかについて、よく書けていると思います。
「体罰容認論を完璧に論破できる12のQ&A」
それから、つぎの保坂展人氏の記事も、とてもよいと思います。
「「愛のムチ」という名の「暴力」」
体罰自殺事件があったいまだから、「体罰はケシカラン」と
したり顔で言っているけれど、ちょっと前までは、
体罰を容認していた人は、結構いるのではないかと思います。
あるいは、いまは分が悪いので鳴りを潜めているけれど、
内心では体罰に賛成している人もいるのでしょう。
この事件をきっかけににわかにであっても、
体罰に反対になったのであれば、いまもって考えが変わらず
体罰を肯定し続けているよりは、ずっとよいと思います。
教師に理想的な完全なる体罰禁止を押し付けるなら、ある意味体罰よりも厳しい登校禁止処置や出席停止措置をドライに行えるようにする事と学校での躾は一切放棄を容認する姿勢が国民的に必要となってくるでしょうね。
>体罰容認論の基本となるのは、教師が暴力を伴わない実力行使
>(問題児童の出席拒否)が現状は出来ないと言う事が大きいですね
体罰容認論でいくぶん説得力のあるものは、そのあたりになりそうですね。
いま問題になっているのは、生徒の攻撃に対する
教師の防衛ではなく、あきらかに生徒が反撃できない
状況で行なわれる体罰のことでしょうね。
桜宮高校の体罰も、生徒が反撃できない状況でなされていますし。
このように教師と生徒の権力関係によってなされる体罰は、
いかなるものも禁止するべきことだと思います。
学校でなくても(一人のボスが独善的に支配するような)閉鎖的集団の中ではそうした問題が起きやすいですが。
話題がずれるかもしれないのですが、思い出したことを書きます。
かつて大日本帝国軍は当時オランダ領だったインドネシアに進駐し、現地民の独立を承認しました。この点について善し悪しではありますが、迫害を受けていた現地民には一応歓迎されました。
そしてこの際、現地の青年たちに軍事教練を施したのですが、これが後々に問題になりました。というのも、この際にビンタ、鉄拳などの暴行が行われたことで、戦後の軍事裁判で「虐待」とされたからです。
ところが当時の大日本帝国軍ではビンタ、鉄拳は日常茶飯事であり、上官から一兵卒に至るまで、虐待の意思など毛頭なかったのでした。
なんだか、現代日本の教育者やスポーツ界って大日本帝国軍を真似ているみたいですね。
>いじめや体罰といった暴力やセクハラ(性的暴行)など
>世の中で普通に犯罪とされることが、
>学校においては半分許されるようにまかり通ってしまう、
まったくそうですよね。
「いじめ」「体罰」なんてことばを使わずに、
「恐喝」「窃盗」「暴行」のように、はっきりと犯罪をしめす
ことばを使って表現しろ、というかたもいらっしゃりますね。
実際そうでないと、やっていることの深刻さや異常さが
理解できないだろうと、わたしも思います。
>学校でなくても(一人のボスが独善的に支配するような)閉鎖的集団の中では
いじめや体罰がまかり通る背景には、閉鎖的空間にも原因がありますね。
なので学校以外でも、起きることはあるのですよね。
学校だと組織の構造上、閉鎖的空間にならないようにするのが
むずかしい、ということはありますね。
いかにして風通しをよくするかは、ひとつの課題だと思います。
一般の学校で教師が体罰を使うのは、そうしないと教室を管理・運営出来ない、手に負えないからだと思いますよ。生徒を暴力的に支配するのが元々好きなトンデモ教師も、ゼロではないだろうけど。
12のQ&Aには「不良高校でも体罰に頼らずに教室を運営している教師は居ます。」とありましたが、確かに居ますよ。一部の優れた能力を持つ教師。しかしあとの大半の教師は、そうした優れた教師にいつかはなりたいと思っている、普通の能力の教師なのですよ。不本意ながらも時として体罰を使わなければ、40人もの生徒に最後まできちんと授業を受けさせられない、普通の能力の教師。
ですから、一般の学校の教室から体罰を一掃するには、普通の能力の教師が体罰を使わずに管理・運営が出来る人数まで、税金を投入して教員数を増やす。それしか無いと思いますね。
スウェーデンの小学校は1クラス20人だそうです。日本は民主党が頑張っても、小学1、2年生だけが35人。何この差。しかも35人学級を小学6年まで増やす予算申請は安倍政権が却下。そんなんで「教育再生」とか言っている。馬鹿の極み。
閉鎖性の話が出ていますが、私は教育技術の伝承や教員の孤立化を防ぐ目的でも、完全複数担任制の導入を希望しています・・・が、夢のまた夢っぽいですな、残念ながら我が日本では。
従って日本の公立校においては、この先も「なるべく体罰を使わず、なるべく学級崩壊を起こさせない教育」が引き続き行われます。それを望まない保護者は、体罰を使わずとも生徒全員がまじめに授業を受けるような良い子を集めた私立校に、なんとか学費を捻出して通わせるでしょうね。
それが安倍政権の掲げる「教育再生」だと言う事です。
不勉強で申し訳ありませんが、その実例を御紹介頂けませんか?興味がありますもので。
宜しくお願いいたします。
このエントリにコメントありがとうございます。
>この際にビンタ、鉄拳などの暴行が行われたことで、
>戦後の軍事裁判で「虐待」とされたからです。
>ところが当時の大日本帝国軍ではビンタ、鉄拳は日常茶飯事であり、
ここでも、「日本の常識が世界の非常識」だったのですね。
しかも日本は支配者だったので、自分たちの「非常識」を
他国に押し付けやすい立場だったわけだ。
自分たちは「虐待」だと思っていなかったことが、
軍事裁判で「虐待」とされて、どう思ったかと思います。
じつは日本も、江戸時代は「体罰」が行なわれていなかったのですよね。
「体罰」が見られるようになったのは、
日露戦争のころからで、軍隊からはじまったそうです。
太平洋戦争のころには、軍隊の体罰はすっかり定着していて、
「あたりまえ」のものとなっていたのでしょう。
>現代日本の教育者やスポーツ界って大日本帝国軍を真似ているみたいですね
軍隊の体罰が、どうやって教育現場やスポーツ界に
入り込んだのかも、気になるところですね。
旧日本軍がなくなったあとも、学校やスポーツ界で続けているのだから、
とんだところで、戦前の遺物を引きずっていることになりますね。
わたしは知らないんです。
ごめんなさいね。
このエントリにコメントありがとうございます。
日本の教育界で体罰が横行する理由は、はっきりとはわからないけれど、
大きな原因は、「体罰は必要だ」という容認する論調が
蔓延しているからではないかと思います。
毎日新聞の世論調査でも、体罰容認が42%です。
桜宮高校の体罰自殺事件で、体罰に対して批判的になっている現在でも
これくらい容認する人がいるということです。
自殺事件が忘れられたら、また容認の割合は高くなるのでしょう。
http://mainichi.jp/select/news/20130204k0000m010084000c.html
「体罰を使わないと教育できない」と信じている
教師がいることは、たしかですね。
単に言いわけに使っているだけなのかもしれないですが、
本当に体罰を使わないと教育できないのなら、
そんな人は教師をやめてほしいです。
>スウェーデンの小学校は1クラス20人だそうです。
>日本は民主党が頑張っても、小学1、2年生だけが35人。
少人数教育の利点は、いろいろ言われていますね。
生徒の人数がすくないほうが、教師は指導がしやすいでしょうから、
体罰の防止にもいくばくかの効果はあるのかもしれないです。
民主党がせっかく35人学級を導入しようとしたのに、
安倍政権が却下したのは、とても残念ですね。
政権が自民に戻って後退した、ひとつの例だと思います。
>閉鎖性の話が出ていますが、
閉鎖性の解消という観点から言えば、いじめや体罰を監視する
第三者機関を設けるのが効果的ではないかと思いますよ。
被害を受けうる生徒が、外部の機関にアクセスできるというのは、
住んでいる空間の開放化という点で効果的だと思います。
>完全複数担任制の導入を希望しています
複数担任制というのは、どういったものなのかしら?
ひとつのクラスに担任が複数人ということかな?
>日本でも複数担任制の20人以下の公立小学校は現存していますが、
>実際にはそれらの公立小学校で学級崩壊・いじめの蔓延と
>言った事態があるのですけどね
少人数教室にしても、いじめはすっかりなくならないのですね。
やはり組織が閉じている、ということがネックなのかしら?
(この問題、わたしはあまりくわしくないので、
じゅうぶんなコメントができないんだけど。)
それはわたしも思います。
自分がやり返される可能性があると、
絶対に体罰はふるわないと思います。
弱いものに強く、強いものに弱い人間。
もっとも唾棄するべきタイプの
ひとつだと思います。
コメントありがとうございます。
>僕に体罰を振るおうとして僕がよけたら
それはすばらしいです。
よくやりましたと言っておきます。
意外と簡単によけられるのかもしれないです。
体罰を振るうほうは、相手が無抵抗なことを
前提にしていそうなので。
階段から落ちた先生は、自業自得ですね。
そのあと自分の体罰に対して
反省があったかどうかはわからないです。
>桑田真澄投手は現役時代から
桑田真澄氏は、こうしたことは
なかなかしっかりした考えを
持っているみたいです。
わたしは桑田真澄氏のことを
ほとんど知らないので、くわしいコメントが
できないのが残念ですが。
ちなみにその教師に同情するような人はあまりませんでした。
そのあと自分の体罰に対して
反省があったかどうかはわからないです。
僕も、その教師が反省化したかはわかりません。そいつには会いたくないですし。
あいうえおさまを、
逆恨みしていないことを祈ります。
>そいつには会いたくないですし
会わないのが無難でしょうね。
こちらにコメントありがとうございます。
>体罰はなくてもマトモな人になれます
むしろ体罰を受けるほうが
まともでない人になることが多いと思います。
「ものごとは暴力で解決すればよい」
ということを学習するからです。
>体罰教師は復讐が怖くないのでしょうか
体罰教師や体罰親はなぜか
相手から暴力を返される可能性を
まったく考えないようです。
自分の圧倒的優位を確信し、
相手は無抵抗と信じて疑わないのでしょう。
>不良が武器を使って体罰教師を復讐で
わたしも問題の体罰教師に同情はしないです。
>よくやったというのは違う気がします
「結果的にそうなった」ということでも、
「よくやった」ということは
あると思いますよ。
また体罰教師が階段から落ちなくても、
よけただけでもじゅうぶん
「よくやった」だと思います。
私はよけるのに精いっぱいで体罰教師が落ちることは想定していませんでした。
女性に対して「殴り込み」という単語を使った私がいうのもなんですが
ご無事でなによりです。
ごめんなさいね、いちばん大事なことを
ずっと言っていなかったです。
お話のようすだと、あいうえおさまは、
怪我はなかったと思われますが、
そうでしたらよかったです。
>僕がそのまま殴られたら後頭部を打って
>最悪死んでたかもしれません
一歩まちがえれば、大惨事に
なっていたかもしれないのですね。
とっさの判断で、きょうあるを得たことに感謝、ですね。
>教師の方は顔面から落ちたから
>手をついて腕と足などの骨折で
暴力に訴えると、自分が怪我をする
事態になるということで、くだんの教師には
いちおうの「クスリ」にはなったかもしれないです。
>私はよけるのに精いっぱいで
>体罰教師が落ちることは想定していませんでした
余裕があったわけではなかったのですね。
体罰教師が落ちることを想定しないのは、
それでふつうだと思います。
>「殴り込み」という単語
それについては、気になさらないで結構ですよ。
わたしは「おとしまえ」の妖怪なので(笑)
https://lacrima16.tumblr.com/post/632010296475664384/
>なぜ素直に体罰を受けるのでしょうか
ごもっともなご意見です。
よけるくらいなら遠慮はいらないと思います。
お話のように金属バットを持って
威嚇する程度なら、女の子でもできそうです。
本当に教師を殴り返したら
その生徒は補導されかねないので、
そこまではやるわけにいかないですが。
わたしはくだんの教師に
多少は同情するかもしれないです。
体罰を使うのが悪い、くだんの教師は
自業自得、という考えは変わらないですが。
直接被害を受けるところだった
あいうえおさまが、くだんの教師に
まったく同情する気になれないのは、
それはそれで理解できます。