呼ばれる、経済学で使われる概念があります。
「社会福祉を貧しい人、すなわち『本当に支援が必要な人』に限って
行なおうとすると、かえってだれも救済できなくなる」というものです。
「再分配のパラドックス」
『本当に支援が必要な人』に限った「選別主義」のほうが、
再分配の効率がよくなるように思われがちです。
ところが実際には所得の高低に関わらず、すべての人にできるだけ
おなじように幅広く支援する「普遍主義」のほうが、
格差が小さくなって貧困も減るということです。
それで「パラドックス」と呼ばれることになります。
再分配のパラドックスは、データでもしめされています。
以下の表に出てくるアメリカ、イギリスは支援を限定して行なう
「選別主義」寄りの国で、デンマークとスウェーデンが
支援を広く行なう「普遍主義」寄りの国です。

左から2列目の「社会的扶助支出」が生活保護に相当するのですが、
アメリカとイギリスは生活保護に予算をたくさん投入しているわりに、
相対的貧困率が高くなっています。
デンマークとスウェーデンはすくない生活保護の予算にも
かかわらず相対的貧困率が低くなっています。
社会福祉は、対象を限定する「選別主義」よりも、
幅広く行なう「普遍主義」のほうが、再分配が効率よくなされ
より確実に貧困を解決するという「再分配のパラドックス」が、
データでしめされている、ということです。
なぜこうなるのかですが、簡単には「本当に支援が必要な人」の
基準をどう決めても、そこにはかならず恣意性が入るためです。
そのため支援のしかたが公平だと思えない人が、
どうしても出てくることになります。
具体的には「本当に困っているのか?怠けているんじゃないのか?」と
勘ぐったり、「うちだって苦しいのに不公平だ」と
やっかんだりする人が出て来る、ということです。
こうして支援を受ける人への風当たりが強くなっていきます。
そうなると、支援を受ける条件や審査を厳しくしろ、
という要求が実際に出てくるようになるし、
それによって条件や審査が本当に厳しくなることもあります。
そして支援の対象となる人が減ることになるので、
「本当に支援が必要な人」にも支援できなくなってしまい、
結局貧困も格差も解消しない、ということになります。
>イギリスの救貧法
1834年のイギリスで成立した新救貧法は、「本当に支援が必要な人」に
限定した「選別主義」を徹底したものでした。
「生活保護改悪は福祉のパラドックスで「本当に困っている人」さえ救えず
ブラック企業を増大させる」
この救貧法は、つぎのような特徴があります。
1. 労働可能な人間の救済をいっさい拒否する。
(これによって、労働者は仕事を選ぶ余地がすくなくなり
当節流に言う「ブラック企業」が幅を利かせるようになった。)
2. 救済を受ける人の地位が、働いている人間の最下層の
生活水準以下にする原則を設ける。
3. 環境が劣悪な「救貧院」という収容所を建てる
4. 全国で基準を統一するために、救貧院区の合併、中央集権化をはかる
「選別主義」を徹底すると、支援を受ける人への風当たりが強くなると
前に書きましたが、さらには支援を受ける人が特別な眼で
見られるようになり、スティグマが強くなることになります。
「選別主義」の最大の問題は、ここにあると言えるでしょう。
新救貧法下のイギリスでは、貧困は犯罪なみに見なされ、
救貧院は監獄なみの惨状をもたらすことになったのでした。
チャールズ・チャップリンの母親が救貧法の適用を、
ひたすら拒んだというエピソードがあります。
これも救貧法を受けることで、「国家公認の貧民」とされるのだけは
絶対に嫌だと思ったからにほかならないです。
支援を受けることがいかにスティグマが強いかを、
伺い知ることができるお話だと思います。
http://bandeapart72.tumblr.com/post/43777428074/6-2
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チャールズ・チャップリンは、ロンドンの母子家庭で育ち
6歳のときに救貧院に収容されています。
2人の息子に食べ物を与えるために、自分は食べずに
我慢し続けた母親は精神を病み、それでも新救貧法の適用を
受けることを拒み続けましたが、家賃の滞納が続いたため
大屋が警察に通報し、母子別々に収容され、母親は救貧院で亡くなります。
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支援が強いスティグマになったことへの反省から、
ヨーロッパの民主主義国では、「選別主義」をやめて、
できるだけ「普遍主義」を行なうようにしてきました。
「普遍主義」は支援の対象が国民全員になりますから、
支援を受けることが特別扱いされないし、スティグマにもならないわけです。
ところで、イギリスの救貧法は、現代の日本で生活保護
バッシングをする人たちの「理想」ではないかと思います。
彼らはふたこと目には「選ばなければ仕事はある」と言います。
なにかというと「生活保護のほうが恵まれている、
働いている自分たちの収入のほうがすくない」とやっかみます。
生活保護バッシングをする人たちは、泥棒よりも生活保護のほうを、
激しく叩きそうに思われます。
生活保護は現代の日本においては、スティグマが強いですし、
生活保護バッシングは、江戸時代の部落差別と類似していると思います。
現代の日本の生活保護バッシングは、いまから200年近く前に
イギリスで失敗したことを、なんら学習することなく
繰り返そうとしていると言えるでしょう。
付記:
チャールズ・ディケンズの『オリバー・トゥイスト』という
小説を読むと、救貧院のことが出て来ます。(批判的に書かれます。)
主人公のオリバー・トゥイストが救貧院で暮らしていて、
ことあるごとに「救貧院小僧」と侮辱を受けたりするのですが、
救貧法の適用を受けることが、強いスティグマになっているわけです。
オリバーの暮らす救貧院では、管理をしている教区吏が
しょっちゅうオリバーを含めた孤児たちに虐待をします。
このような教区吏による暴力も、救貧院の惨状を考えると、
あながち作り話ではないのだろうと思います。
またオリバーは盗賊団に入れられ、窃盗をやるよう仕込まれたりします。
純粋なこころを持ったオリバーは、おいそれと悪に
染まらなかったりするのですが、救貧法の支援を受けることが、
犯罪組織に入ることと紙一重だったとも言えると思います。
これは非常に良い内容だと思います。
まだ一回、ざっと読んだだけですので、何回か読み返させて頂きたいと思います。
以上、取り急ぎ。
>これは非常に良い内容だと思います
ご評価くださりありがとうございます。
と言っても、kirikoさまのむかしの記事と、すくらむの記事を
並べただけで、わたしのオリジナルはたいしてないのだけどね。
それでも「再分配のパラドックス」は、いまの生活保護バッシングと
関係することでもあるし、もっと知られてよいことだと思ったので、
自分の勉強をかねて書いてみたのでした。
リンクさきの記事も含めて、お時間のあるときにご覧いただけたらと思います。