いまなにかの社会問題に取り組んでいる人たちというのは、
なにか特別な資格とか経歴とか資質とか才能とかがあったりする、
どこか立派な人ではないか?とお考えのかたも、いらっしゃるかもしれないです。
ところが実際にはそんなことはなくて、ごく平凡な人が、
ふつうの生活の中でたまたま興味を持ったとか、そういうことを
考えるきっかけがあった、というだけなことが多かったりします。
以下にそういうことを語った、荻上チキ氏と乙武洋匡氏の
対談があるのでご覧になるとよいでしょう。
「荻上チキ「ヒーローじゃなくても世直しはできる」」
上述の対談ではこのようなことが語られています。
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大人になってからたまたまそのテーマに関心を持ち、
たまたま手を動かせる場所に立っていた。
そういう「たまたま」の積み重ねなんです。
「社会問題に取り組んでいる人たちは、
もともと特別な理由や資質があった人なんだな」とは思ってほしくなくて、
普通に生活してきたなかで様々な疑問や好奇心が積み重なり、
今の立ち位置に至ったんだと知ってほしい。
もっといえば、社会問題と対峙するのに、何も特別な経歴や資質は必要ないんだ、
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かくいうわたしも、こうやって民法改正やジェンダー論に関する
ウェブログやウェブサイトを作っていますが、
そのための特別な経歴や資質があった、ということはぜんぜんないのでした。
わたしの場合、もともと恋愛に興味がありました。
ネットをはじめたころは、恋愛相談の掲示板をよく覗いていました。
その興味の派生から、家族・結婚制度やジェンダー論にまで、
興味を持つようになり、いろいろ調べたりしていくうちに
いまのようになっていったのでした。
「政治の世界に迷いこむ」
そういうしだいなので、最初のころのわたしなんて、
特別な経歴や資質がないどころか、はたから見たらいかにも
「あたまのたりないお嬢さん」という感じだったのではないかと思います。
いや、いまでもその名残りはあるかもしれないです。
なので、ブログやサイトも、自分が調べたことや
自分の周りで起こったことを書き留めておく、という感じです。
読者諸氏を啓蒙しようなんて、立派なことを考えてはいないし、
わたしに他人の啓蒙なんて無理だと思います。
ようするに「ヒーローじゃなくても世直しはできる」ということです。
そして社会問題の解決のためには、いろいろな役割が必要だし、
だれでもなんらかの役割を果たせられるわけです。
あるいは、そうしたヒーローでないふつうの人たちが、
自分にできる役割を果たしていくことの積み重ねが、
社会問題を解決していくと言えるでしょう。
偉い人たちの活動や、賢い人たちの分析や研究は必要だし、
それはそれでとても大事なことです。
でもそうしたものばかりでなく、ヒーローでない市井の人が
思ったことや感じたことを、どんどん声に出すことも必要だということです。
いわゆるふつうの人が社会問題を扱っていく際、
「自分は何の当事者なのか」「隣に誰がいるのか」を見据えて、
「目の前の身近なテーマをひとつ掘り下げ」ることが大事だと、
さきにご紹介の対談では語られています。
最初からいろんなことに手を出さず、はじめはひとつのトピックにしぼり、
そこからすこしずつ広げていけばよい、ということですね。
こうした考えかたは、「強い指導力を発揮する」とか、
「なにかを変えてくれそうだ」という期待感だけで、
カリスマ性のあるヒーローを待望する、橋下や維新の会に期待する人たち
(きょうびはアベノミクスを支持しているのか?)に
よくありがちなタイプとは、対極的だと思いませんか?