すこし前7月29日ですが、ローマ教皇が同性愛者に理解をしめし、
存在を認めるというニュースがあるので、ご紹介したいと思います。
「ローマ法王、同性愛に理解…女性登用は認めず」
「ローマ法王が同性愛に一定の理解、同性愛者を「裁く立場にない」」
バチカンにも同性愛者の聖職者がいることについて質問された
フランシスコ教皇は、つぎのように述べたとあります。
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「もし同性愛の人が主を求めていて、善意の持ち主であるならば、
私に裁く資格があるだろうか。彼らを排除すべきではない。
(同性愛の)傾向は問題ではない。彼らは私たちの兄弟だ」
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聖職者や一般の信者に同性愛者がいるという現実を、無視できなくなった
ということもあるのかもしれないです。
教皇が同性愛者の存在を認めたのは、歴史的な事件だと思いますよ。
ご存知のように、聖書には同性愛を禁止する記述があります。
それゆえカトリック教会は同性愛者の存在には否定的だったのでした。
記事でも「歴代の法王とは一線を画し」と書いてあります。
これまでの教会のスタンスを大転換させるということになります。
「同性愛を認めるのがグローバルスタンダード」というのは、
わたしのブログでも何度も書いていることです。
そうした中にあって、ジェンダーのことも含めて
保守的とされるカトリック教会でも同性愛の存在を認めるように
なったことは大きいのではないかと、わたしは思います。
カトリック教国で同性結婚を認めない国への影響もあるかもしれないです。
ちなみに記事によると、フランシスコ教皇は、
女性の聖職者は否定していて、妊娠中絶も反対であると述べています。
これらはとても残念なことです。
付記:
キリスト教やイスラム教が同性愛を禁止してきたのは、
これらの宗教が初期のころ、信者を増やしたくて
「産めよ増やせよ」を奨励していたからだろうと考えられます。
同性結婚は子どもを作れないので、生殖に結びつかない恋愛や結婚を
「リソースの無駄遣い」と考えたのでしょう。
男性の自慰行為を禁止しているのも、おそらくおなじ理由で、
「男性が一生のあいだに作れる精子の数は限られている」と、
信じられていたことがあります。
つまり「子どもを作る前になくなったらどうするのだ、
無駄遣いはするな」ということですね。