ときどきいると思います。
「あなたがAという差別に反対する言説がBという問題を生みます。あなたは正義の側のつもりで、Bの問題に悩む人を苦しめてるんだ!」というのは反差別運動に対する常套句ですが、そういう発言をする人が、どれくらいAの差別反対の行動をしてるかによって、真に受けるかどうか判断するようにしてます
— font-da (@renrakufontda) 2013, 7月 21
現実のマイノリティの置かれている状況は複雑ですから、
マイノリティの中にさらなるマイノリティがいることも多々あります。
そしてそうした人たちが置き去りにされることも、すくなからずあると思います。
また現実問題として「Aの差別解消」を実現するために、
やむをえず「Bの問題」を棚上げすることも多々あると思います。
理想は大事ですが、より現実的な成果を手に入れ、すこしでも救われる人を
増やすためには、ある程度の妥協もときには必要ということです。
こうした状況で「Bの問題」を持ち出す人のタイプとして、
1. 「Aの差別反対」の中にある「Bの問題」を本気で解決したいと思っている
2. 「Aの差別反対」の足を引っ張るために「Bの問題」を持ち出している
のふたつのケースが考えられることになります。
その人がふだん「Aの差別反対」の言動をどれだけしているかは、
1.と2.のどちらのタイプかを判別するひとつの指標になると思います。
(万能の指標ではないと思いますが。)
その人が「Aの差別反対」の言動をふだんしていれば、
「Aの差別反対」に嫌がらせをしたい可能性はすくないので、
本気で「Bの問題」を考えていると、判断することができるでしょう。
ふだん「Aの差別反対」に関心がない人が、これみよがしに
「Bの問題」を持ち出せば、「Aの差別反対」の足を引っ張るための
「サバルタン探しゲーム」をしている可能性が疑われることになります。
そしてこういう人は、たいてい「Bの問題」にも本当は関心がなく、
「ゲーム」のために利用しているだけのことが多いです。
2.のタイプで深刻なのは「あなたがたは本当はBの問題を
無視する差別主義者だ」という印象を与えることです。
こうした印象付けは、「Aの差別反対」に関わる人たちを
「偽善者」に見せられるので、運動の士気を削ぐのに効果的ですし、
実際に運動を潰せることもあるからです。
(ツイッターで、わたしは何度か見たことがありますよ。)
つぎのツイートもおなじことを述べていると思います。
ここでは、運動潰しのためにわざと「サバルタン探しゲーム」を悪用する、
上述の2.のタイプについて述べたかたちになっています。
公害や薬害の被害者を救済する運動を潰す方法の一つは、救済案に対して「線引きはケシカラン。線引きから外れた人に補償をしないつもりだろう。被害者を救済するふりをした加害者の味方だ」とケチをつけることだ。ケチをつけ続けていたらそのうち救済運動をしている人は馬鹿らしくなってやめるだろう。
— なとろむ (@NATROM) 2012, 11月 2
もちろんこれは「やってはいけない」という悪い例ですが、
悪意ある人が運動を潰したくて実際に行なうことはありえるので、
その防衛のためにもおおいに参考になると思います。
現実の補償問題を解決をする以上、どこかで具体的な「線引き」をして、
補償の数量や範囲を明確にする必要があります。
そして被害者にもさまざまな人がいて事情が複雑ですから、
どんな「線引き」をしても、そこから外れた人が出てくることになります。
したがってどこかで現実と妥協する必要があることになります。
ここで「一切の妥協を許さない」という態度を取ると、
具体的な救済案がいつまでも決められないことになります。
どんな救済案を出しても「線引き」で外れる人がいることを盾に取って
反対し続ければ、救済案の決定を無限に先延ばしできるわけです。
この反対は「理想論」なので、反対しにくいという特徴があります。
よっていつまでも粘着を続けるのに都合がいいわけです。
苦労して救済案を練っている人たちも、救済から外れる人が出ないように
することは当然と思っていますから、こんな粘着をされ続ければ
いい加減嫌になってくるし、手を引く人も出てくるでしょう。
「線引き」への反対意見が、より外れる人をすくなくするための、
「線引き」のやり直しを求める建設的な意見(1.のタイプ)
ということはむろんあるし、それは極力顧みることです。
ところが現実に救済案を練っている人に向かって、
「被害者を救済するふりをした加害者の味方だ」などと絡めば、
足を引っ張るための論難(2.のタイプ)の可能性が高いでしょう。
付記:
「サバルタン」とは、つねに他者からの視点によってのみ語られ、
みずから語ることのないマイノリティもしくは被差別者のことです。
イタリアの共産主義者、アントニオ・グラムシが提唱し、
ガヤトリ・スピヴァクがフェミニズム研究において発展させた概念です。
なのでいちおう「左翼・フェミニズム用語」なのかもしれないです。
細かいことは後回しにして、とりあえず敵を殲滅する。派閥抗争もあるだろうけど、全体がぶっ壊れるほど激しくはやらない。
そういう、組織の運営方法には、感心します。
「分断して統治する」という言い方があります。統治側は市民を分断したがっているわけで、それを自分たちから分断していたら、敵を利する行為でしかないわけです。むしろ、とりあえずでもなんでも結束することが、巨大権力に対する抵抗になる。
>細かいことは後回しにして、とりあえず敵を殲滅する。
>派閥抗争もあるだろうけど、全体がぶっ壊れるほど激しくはやらない
自民党が仲間割れをなかなかしないのは、
支持層が利権で結びついていることが大きいのですよね。
食いぶちがかかっているので、ふだんは不満があって批判をしていても、
いざ選挙のときになるときっちりまとまるのですね。
反自民勢力は利権とは関係なく、理念だけで結びついています。
それで「理想追求」にこだわる人も、すくなくないのだと思います。
なので、妥協とか線引きのような「理想でない」ものが入ってくると、
士気が下がったり反発を起こしたりするのだと思います。
>それを自分たちから分断していたら、敵を利する行為でしかないわけです
たとえば脱原発の世界を見ていると、本当に分断ばっかりという感じですね。
原発推進派よりも脱原発派の他セクトのほうが、
憎しみが強いのではないか、という気さえしてきます。
ふたこと目には「◯◯には△△がいるから信用できない」とか
「◯◯をやっているところはいっしょに組めない」とか
「△△は、ケシカラン◯◯とは縁を切るべきだ」とか、
だれを排除するべきかというお話をしますし。
こんなのも自分の生活と関係ない「理想追求ゲーム」だから、
やっていられるのでしょうけれど。
これじゃあダメですよ。むしろずっと中にいて、ずっと声を上げ続けないと。そこらへんの目的と手段のあいまいさは、歯がゆく感じます。
もちろん、目的のためには何をしても良いとは言いませんが、潔癖なだけではだめだ。
>ご清潔な社民党は、理念のために権力を手放したんですよね。
社民党の連立政権からの離脱は賛否両論あると思うけれど、
「理念追求」にこだわって現実との妥協をしなかった、
というパターンのひとつと見ることもできそうですね。
男女共同参画もまかされていたし、辻元清美が離党する原因にもなったし、
政権の中ににとどまって一定の発言力を維持したほうが
よかったのではないかと思われることも、たしかにいくつかありますね。
>http://kinshati.exblog.jp/17339996
そしてリンクはなつかしい記事ですね〜。
こちらは政権にとどまって一定の発言力を維持したパターンですね。
民法改正と外国人参政権への反対なので、
わたしにとっては、はなはだありがた迷惑だったけど。