厚生労働省がセクシャルハラスメントの対策を強化することになりました。
これによって、セクハラに同性どうしのものが含まれることも、
指針に明記することになるとのことです。
(この指針の見直しは、おそらく厚生労働省の内規だと思います。)
「セクハラ、同性への言動でも=指針に明記ー厚労省」
「男のくせに・結婚まだ?…同性間でもセクハラに」
(はてなブックマーク)
セクハラは同性間でもあることはずいぶんと指摘されたことですし、
やっとかという感じはありますが、これはこれで歓迎することだと思います。
順調にいけば、2014年7月から実施されることになります。
具体的になにがセクハラとして扱われるようになるのかというと、
「男ならしっかりしろ」とか「男のくせに」と言ったり、
「結婚はまだ?」とか「子どもはまだ?」と訊くことがあります。
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指針は、セクハラに該当する言動や企業に求められる対応などを具体的に示したものだ。
厚労省は今回の見直しで、例えば、男性上司が部下に「男ならしっかりしろ」
「男のくせに」などと「性別役割分担意識」に基づいた発言をしたり、
女性上司が女性の部下に「結婚はまだなの?」「子供は?」と
尋ねたりすることをセクハラにあたると明示する。
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これらのことばは、結構日常的に出てくることもありそうに思います。
実際にこう言われて、不愉快な思いをしたとか、
傷ついたというかたも、たくさんいるのではないかと思います。
こうしたことがようやく指針ではっきり御法度となるということです。
ところがこれらを、ふつうに使う人もすくなくないだろうと思います。
「男らしさ」のジェンダー規範を望まない人に押し付けたり、
裏返しで「女ならしっかりしなくていい」というメッセージを送ったり、
結婚や出産といった個人のライフスタイルに干渉することばなのですから、
むやみに言うことではないでしょう。
うっかり言ってしまわないよう、注意が必要だと思います。
「男のくせに」がセクハラであれば、「女の腐ったよう」というのも、
問題なくセクハラ認定してよいのではないかと思います。
「女の腐ったよう」ということばに含まれるジェンダー規範や
女性差別的要素は言うまでもないことだからです。
きょうびは「女の腐ったよう」は死語化しつつあるようですが、
たまには使う人もいるようですよ。(ミソジニーと思われますが。)
「結婚はまだ?」がセクハラであれば、「男は結婚して一人前」という
社会通念もセクハラ認定してよいだろうと思います。
「結婚しているほうが仕事に責任を持つはず」などと考えられて、
人事などで非婚者が差別的に扱われることがあるからです。
11月19日の読売新聞の「編集手帳」は、かかる厚生労働省の
セクハラ対策強化を受けて書いたようなのですが、
これがセクハラをぜんぜん理解しようとしていないのですよ。
https://twitter.com/Potsuri_Potsuri/status/402802673172238336/photo/1
記事の最後で
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「男なら…」のひと言で傷つき傷つける間柄って、
それ以前にすでに人間関係がほころびているような気がしますけどねえ。
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などと締めくくっているのですよ。
冒頭に引用している1930年の立原道造のほうが、
ずっと現代にも通じる感覚を持っているというものです。
「男なら…」のようなジェンダー規範の押し付けで、
不愉快になった人や傷ついた人も、すくなからずいると思いますよ。
そういう人を知らないというなら、「そんなことで傷つく男は
みっともない」とされてきたので、傷ついたことを表に出ぜずにいて、
「いなかった」ことにされたのだと思います。
かかる傷つく人を軽視する人間関係こそ、問題にしたいですね。
こういうハラスメントを軽視する人は、きっといるだろうとは、
わたしも思っていたので、これはこれで「想定の範囲内」ではあります。
それでも発行部数トップの全国紙が、看板コラムに書くとは思わなかったです。
と言われてる男をみていて、
「そっか〜、私はしっかりしなくてもいいのか…どうせ」
といじけてしまう部外者の女性。
(コラムのように関係性だけで済まされる問題じゃなく)
>「そっか〜、私はしっかりしなくてもいいのか…どうせ」
「男ならしっかりしろ」というのは、言外に「女ならしっかりしなくていい」
というメッセージを含むのですよね。
どんな副作用があるかわからないですし、ジェンダーを含むことばは、
極力控えるにこしたことはないということですね。
コラムを書いた人に「女ならしっかりしなくていいということか?」
と訊いたら、どう答えるのかと思います。
そういう話で男同士の絆を深められるとするのは前時代的なホモソ的発想でしょう。
>男同士でもやたら猥談をしたがったり、他人の性体験を聞き出そうとしたりする人がいますが、
やるほうは「男同士なら問題ない」と思っているのかもしれないけれど、
嫌だという人もとうぜんいますからね。
そうしたこともセクハラとして扱うことは必要だと思います。
>男同士の絆を深められるとするのは前時代的なホモソ的発想でしょう
コラムを書いた「男なら」とか「男くせに」を維持したがっている人も、
それによって男同士の絆が深まると思っているのかもしれないですね。
ホモソーシャル社会をよかれと感じるのかもしれないです。
そうなると、女性を締め出すことになって、やはりよくないことになるわけだ。