いまさらですがご紹介したいと思います。
「なんで女がこんなことをしてやらなきゃならないのよ??」というのが、
わたしの率直な感想ですね。
おい、世の中の女子ども。聞け。今、日本に電気が足りない。そればっかりはどうしようもない。それを補うのは、みんなの元気だ。女の子の笑顔は何よりも元気を生み出す。電気も止まってるし化粧が雑でも大丈夫だよ。にっこり笑ってくれ。そしたら、こんな状況だって余裕なんだぜ。おはようございます!
— はちわる (@8waru11) 2011年3月13日
このツイートは、リツイートやお気に入り登録がたくさんあるし、
かなり拡散したのだと思います。
「名文」とか「気が効いている」と思った人も、たくさんいるのだろうと思います。
ライフラインが麻痺することで、生活が不安で心配なのは女性もしかりです。
街が混乱すれば女性のほうが危険が多いですし、
支援に関しても女性は男性にない特有の必要が出てきたりします。
女性も精神的に圧迫されているのに、なんでそれを押し殺して、
好きでもない男のために、愛想を振りまいてやらなければならないのかと思います。
さきのツイートの人は、震災で不安におちいった女性は、
だれから元気を生み出してもらえばいいと思っているのかと思います。
震災で不安なのは男だけで、女はなにも不安がないと思っているのでしょうか?
「女は男を喜ばせるための存在」という発想が無自覚に出ていますね。
上述のツイートを見て、かなり気分を害した人もいると思います。
震災による負担で精神的に圧迫されているところへこんなものを見たら、
ますますストレスがたまるというものです。
わたしはだいぶあとになってから、くだんのツイートを知ったのですが、
それでもかちんと来ましたよ。
リアルタイムで見ていたら、もっとむかついただろうと思います。
上述のツイートの女性差別性については、つぎのエントリで取り上げています。
よりくわしいことはこれをご覧になるとよいでしょう。
「【震災】性差別的なtwitterの投稿」
(はてなブックマーク)
>プリンセス・プリンセス
お話は変わりまして、『プリンセス・プリンセス』という作品があります。
原作はつだみきよ作の漫画で、テレビ化もされています。
舞台の私立藤森学園は男子校なのですが、全校生徒の生活の活気のために、
生徒たちの中から3人を選んで女装をさせて「姫」と呼ばせて
学園のアイドルをやらせるというお話なのですよ。
「princess princess d ep.1」
選ばれた生徒3人は、はじめに「姫」の役目を生徒会から聞かされます。
それは「容姿のみで選んだ」「愛想を振りまく係だ」
「全校生徒の欲望の発散口だ」ということだったりするのですね。
それで「そんなことやってられるか」と3人はブーイングを起こすのですよ。
ところが「愛想振りまき係」とか「欲望の発散口」というのは、
女性はわりとふつうに要求されたり、実際にやらされたりするのですよね。
震災直後に流れた上述のツイートがまさにそれというわけですよ。
不本意でも経済的理由で結局「愛想振りまき係」をやるはめになる
ということも、すくなからずあることです。
「そんなことやってられるか」と3人がブーイングを起こすところで、
ほとんどの男性のかたは「そりゃ当然だ」と思うのではないかと思います。
ところが、男性にとって「やってられなくて当然」のことを、
女性はすくなからず男性から要求されるのですよ。
震災直後のツイートを見ても、なぜ「愛想振りまき係」を
やらされることが、女性にとってこんなにも不愉快なのか、
いまひとつぴんと来ない男性もすくなくないかもしれないです。
(むしろ「男に受けてちやほやされるのだから、女性としても嬉しいのでは?」
なんて思っている男性もいるのではないかと。)
『プリンセス・プリンセス』なら、女装させられる男の子ですから、
男性諸氏もいくらかは「自分のこと」として考えられて、
「愛想振りまき係」をやらされる女性の気持ちが、
いくらかは理解できるのではないかと、わたしはちょっと期待したいです。
付記:
「女を容姿で選んで、愛想振りまき係をやらせて、男の欲望の発散口」
という図式は、ミスコンテストがまさにそうだと思います。
だからミスコンテストは批判されるということです。