2014年01月13日

toujyouka016.jpg しかばねに鞭を打つ

1月3日に関西の人気タレント、やしきたかじん氏がなくなりました。
享年64歳、きょうびでは早死にですね、ご冥福をお祈りいたします。
原因は食道がんです。
花岡信昭氏もそうですが、たばこの吸い過ぎは寿命を縮めるようですね。

「やしきたかじんさん死去 64歳 2年前に食道がん公表」

 
ネットで政治に関する発言をしている中には、たかじんの逝去に寄せて
いろいろと言いたいことがあるかたもいるのですよ。
関西のかたはご存知のように、やしきたかじん氏は
「たかじんのそこまで言って委員会」という政治や社会問題を
扱う番組の司会を続けていたからです。

わたしはネットの評判程度しか知らないのですが、
たかじんの番組は世論の右傾化のイデオローグとして機能し続けたのでした。
あの橋下徹氏が府知事選に出馬して当選できたのも
この番組で知名度を上げたことに負うところもあるのでした。
それでつぎのように、たかじんに批判的なエントリを書く人がいるのですね。

「やしきたかじん死亡 - あの「極右番組」の司会者」
(はてなブックマーク)


ブックマークを見ると、このたかじん批判エントリに対して
「死んだ時ぐらい静かに弔ってやれよ」というコメントが付いています。


さらにこのブックマークコメントに対して、つぎのように
「死に際して批判を控える理由などない」と反論する意見も出て来ています。

sbm-20140113

id:kechack死に際して批判を控える理由などない。
故人への美辞麗句のみが報道される中むしろそれには意味がある。
勿論右派が同じことをするのもかまわない。問題はその内容


なくなったかたの批判をすることに対して、
これをご覧のみなさんは、どのようにお考えになるでしょうか?
この問題は簡単には答えが出ないかたもいるだろうと思います。
すくなくともわたしはそうです。

なくなったからと言って、生前の負の業績が帳消しにはならないのですよね。
生前に批判されるべきだったことは、なくなったあとも
やはり批判されるべきであることに、変わりはないでしょう。
またなくなったあとも依然としてこのましくない影響が残っていれば、
それを批判する意義や必要はあるだろうと思います。

とはいえ、なくなったかたを悪く言うのは、
どのような事情があるにせよ、一般に不謹慎なことですね。
なによりなくなったかたは、自分で批判に対する反論ができないです。
またなくなった以上、以後自分の言動を改めることはできないのに、
批判することにどんな意義や必要があるのか?という疑問もあります。


あえてわたしの考えをもうしあげるなら、
自分が親しかった人、信頼できる人、尊敬している人がなくなったとき、
その人が批判にさらされるのを受け入れられるかだと思います。
自分にとっては「よき人」「評価できる人」でも、
ほかのだれかにとっては「忌まわしい人」「批判するべき人」
ということは、いくらでもあるだろうからです。

自分の親しい人がなくなったとき、批判する人が出て来ても
「死に際して批判を控える理由などない」とおなじように言えるのなら、
「しかばねに鞭を打つ」のもいちおうはいいかなと思いますよ。

(「いちおうは」というのは、当人の中で一貫性が取れていても、
「いかなる正当な内容であっても、自分の親しい人がなくなったとき
批判されるのは受け入れられない」という人の考えを侵害するから。)

posted by たんぽぽ at 18:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | ウェブサイト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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