このとき「死に際して批判を控える理由などない」と喝破した
「Fondriest」氏のコメントを紹介したのでした。

そこへわたしが「自分の親しい人がなくなって批判されたとき
おなじことが言えるかだよね」とレスをしたのでした。
そして「Fondriest」氏とすこし議論になったのですよ。
「死に際して批判を控える理由などない」
(はてなブックマーク)
わたしもちゃんと理解できたかどうかわからないのですが、
「Fondriest」氏の考えは、「公人・有名人は生きていても反論できないし、
本人以外のだれかが反論するだろうから、本人の生死に関係なく
批判に遠慮も配慮もいっさいいらない」ということではないかと思います。
「Fondriest」氏は公人を無機質なデータか事象のように
思っているのかな?という気が、わたしはすこししています。
公人・有名人も生身の人間であり、感情もあれば親しいともだちもいる
という認識がとぼしい、という印象を受けているのですよね。
MITUDONさんはそこまでは感じなかったと言っていますが、
直接影響を与えることも言動を改める余地もないなくなった公人を
批判することへの意義は懐疑しているようです。
「Fondriest」氏は、公人・有名人に関しては、生死にかかわりなく
本人から応答があることを念頭に置いていないのだろうと思います。
それは批判される本人のための批判ではなく、
批判する側やまわりの人たちの都合にもとづく批判なのだと思います。
(ちなみに公人と私人をわけた主張をしているのは、「Fondriest」氏だけです。
ほかのかたたちは、公人私人のべつに関係ない主張をしている。)
この議論に参加したMITUDONさんは、なくなったかたは反論できないので、
批判することに対しては配慮が必要と考えているようです。
またなくなったかたは以後言動をあらためることができないので、
批判することに意味がないだろうと考えていらっしゃります。
MITUDONさんは、「批判」と「評価」をわけて考えています。
「批判と否定的な評価はどう違うの?」という疑問があると思いますが、
おそらく「批判」は本人からの応答があることを意識した発言で、
「評価」はそれを意識しない、という意味だろうと思います。
なくなったかたに対しては、本人が応答できないのだから、
応答を念頭に置かない「評価」でじゅうぶん、ということなのでしょう。
>「Fondriest」氏による人格攻撃
そして「Fondriest」氏は、わたしを人格攻撃してくれたのでしたよ。
つぎのようにです。




「私怨で粘着」とか「デタラメで自分の間違いを糊塗する」などと
言っているのですが、なんのことか、わたしはぜんぜんわからないですよ。
わたしがなにを「お仲間同士で慰撫し合」うというのでしょうか?
そもそも「お仲間」というのはだれなのでしょうか?
「Fondriest」氏の人格攻撃は、まったく意味不明なことばかりです。
もちろんそれらは具体的にどういうことか根拠を挙げて
しめしていただきたいと、わたしは「Fondriest」氏にお訊きしましたよ。
ところが「Fondriest」氏は根拠を出すことなく、
さらにわたしを揶揄して人格攻撃の上塗りをするだけでした。
しかもわたしが「Fondriest」氏の発言を覚えておくと、
なぜかわたしが恥ずかしくなるそうです。ますます意味不明ですね。
ちなみにわたしが「覚えておくよ」と言った発言は、
「自分の親しい人がなくなって批判されたとき
おなじことが言えるかだよね」とはじめに訊いたとき、
「Fondriest」氏が「言えないと思ってるの?」ときっぱり言ったことです。
あげくのはてに「Fondriest」氏は、「たんぽぽは人間が悪い」とまで言ってきました。
「Fondriest」氏とわたしとは、ネットの交流はたいしてないのですが、
いくばくかのネットのやり取りだけで「人間が悪い」なんて
人格否定をされるいわれはないですね。
見過ごせないのは、「Fondriest」氏は自分が「人間が悪い」と思った
相手に対しては差別してよいと考えているのではないか?ということです。
doroyamadaさんが、「頭の悪い人への差別は読んでてつらい」と
コメントしていて、それに対して「Fondriest」氏は「私はたんぽぽ氏の
頭が悪いとは思っていない。人間が悪いだけ」と返事したのでした。
それで「人間が悪いなら差別してよいのか?」という疑問が出てくるわけです。
この疑問に対しては、「Fondriest」氏からはお答えがないままです。
(「たんぽぽを差別してない」とは言ってのけたけれど、
一般論として「人間が悪い」人を差別しないのかは、なにも言っていない。)