とても興味深い記事を見つけたのでご紹介します。
多くの女性にとっては日常的であろう、ハイヒールの小史です。
「男たちがハイヒールを脱いだ理由」
(はてなブックマーク)
記事のタイトルに「男たちが脱いだ」とありますが、
いまから見ると意外なことにハイヒールはもともと男性用の靴だったのですね。
男性がハイヒールをはかなくなったのは18世紀の中ごろで、
このころから「女性用の靴」とされるようになったのでした。
かかとのついた靴は、もともと西アジアの乗馬用に使われていました。
ペルシアの騎馬兵の軍靴にもかかとがついていました。
かかとをあぶみに引っ掛けることで、馬上での姿勢が安定するからです。
わたしはバイクに乗らないのであまりわからないのですが、
いまでもバイクに乗るときは、かかとや土踏まずのある靴が好まれることがあります。
これも乗馬とおなじく姿勢が安定するのでしょう。
>〜17世紀
ハイヒールがヨーロッパに入ってきたのは、16世紀の末です。
ペルシアが西ヨーロッパの国ぐにに外交使節を派遣したことに始まります。
ハプスブルク対オスマンの時代ですが、隣国オスマンの強大化を
恐れたペルシアが、西欧諸国との同盟を模索したのでした。
(ちなみに西洋史の本を見ると、隣国ハプスブルクの強大化を恐れたフランスが、
オスマンと内通したことが、書いてあると思います。)
「ヒールのついた靴を履きさえすれば、たちまち凛々しく見える」ので
かかとの高い靴に「男らしいたくましさを感じ」て、
「自分たちの外見を雄々しく精悍に見せたい」と思った
貴族たちが夢中で履いたというのですね。
もともと男性用の軍靴だからそうなのだろうと思いますが、
ハイヒールのイメージが、いまとまったく違うのが興味深いところです。
そののち、社会の下層階級にまでかかとのついた靴を履く習慣が
広まるようになると、庶民と差をつけるために、
貴族たちはかかとをとても高いものにしたのでした。
かかとの高い靴は、17世紀当時のヨーロッパの泥だらけの街路を
歩くのには不便で機能性はよくないのですが、
「地位を誇示するのに最適な手段のひとつは、非実用性」だったのでした。
貴族たちは外で働く必要も、遠くまで歩く必要もなかったので、
あえて非実用的な服飾が着られたし、またそのような非実用的な服飾が
できることで、その特権階級性をしめせたのだと思います。
役に立たないところにお金や労力をかけるというのは、
ロココ時代(18世紀)に顕著というイメージがありますが、
その前の17世紀にも、そういう価値観はあったということなのでしょう。
世界史の資料集などで、ルイ14世太陽王の肖像画を見て、
ハイヒールを履いていることに気がついたかたもいると思います。
わたしも肖像画をはじめて見たとき、「当時は男性がハイヒールを
履いていたのかな?」と思ったのですが、ようやく謎が解けました。
記事を見ると「ヒール部分と靴の裏は必ず赤く染められていました。
赤の染料は高価で、勇ましさを含意する色だった」とあります。
肖像画のルイ14世の靴も、かかとは赤くなっていますね。
ルイ14世は靴を集めるのが大好きな人でもあったのでした。
自身がハイヒールを愛用したのは、当時の価値観もあるでしょうが、
163センチと小柄だったので、背を高く見せたかったのもあったのでした。
「ヒールで身長を10センチつけ足し、戦闘場面の肖像画で
ことさらに飾り立てるのも珍しく」なかったとあります。
女性がハイヒールを履くようになったのは、1630年代ごろからとあります。
これは「女性のファッションに男性的な服装の要素を
採り入れる流行」によるものなので、17世紀の中ごろは
まだハイヒールは「男性の靴」だったことになります。
17世紀の末になると男性と女性とで靴のかたちに差が出るようになります。
「男性はもっと角ばって頑丈で、がっしりとした低めのヒールを履くようになり、
一方女性のヒールはより細く、曲線的になっていきました」とあるので、
このころから「女性用のハイヒール」が出て来たようです。
「女性の靴は、ドレスのすそから足先がのぞいたときに足が小さく
上品に見えるように、多くの場合つま先が細くなっていました」とあります。
このあたり、中国の纏足と発想が似たものを感じますね。
現在のハイヒールもつま先が細くて、外反母趾の原因になることもあるのですが、
つま先の細いハイヒールが出て来たのも、このころからみたいですね。
(ただでさえつま先に負担がかかる靴なのに、
なんでわざわざつま先を細くするのかと、わたしは思っていたが。
ちなみに、男性がハイヒールを履くのが一般的だった16〜17世紀ごろは、
女性よりも男性のほうが外反母趾にかかる人が多かった。)
>18世紀
18世紀に入って啓蒙思想や知性主義が普及しはじめると、
男性たちは合理性や実用性を重視し、特権より教育が大事と考えるようになります。
「地位や生まれとは関係なく、男性は教育を受ければいかに立派な
市民になれるかという議論」があったとあります。
福沢諭吉の『学問のすゝめ』のような思想が広まったのでしょう。
これに応じて男性の服飾も、実用性が重視されるようになります。
「「男性の虚飾放棄」と呼ばれる思想の始まり」とあります。
いまでも男性用のスーツは女性用スーツとくらべて
色のバリエーションがすくなく華やかさがないのですが、
男性の服飾が飾らない地味なものになったのは、このころからのようですね。
とくに注目したいのは、男性は「階級差があいまいになる一方、
男女間の違いはさらに顕著になっていきました」という記述ですよ。
階級より教育が重視されることで、男性どうしは平等に近づいていくのに対し、
男性と女性の格差は大きくなったということです。
女性がいっそう差別的な状況に置かれることになったのでしょう。
男たちが理性や教育を追求しているかたわらで、
「女性は感情的で涙もろく、教育のし甲斐がない」とされたところに、
18世紀中ごろの「女性観」が現れていると言えます。
「非合理な服装とハイヒール」はそんな女性の象徴とされたわけです。
ハイヒールが女性の靴となったことや、実用性のない着飾った服飾が
女性のものとなった経緯が、女性差別的な意識によるものだということは、
注意しておくことだと思います。
1740年ごろには男たちはハイヒールをはかなくなったのでした。
「ハイヒールはこっけいで女っぽいもの」となったからです。
ハイヒールが輸入された17世紀初頭は「男らしいたくましさ」の象徴でしたから、
約150年間ですっかりイメージが変わったことになります。
>19世紀以降
フランス革命の時代になると、女性もハイヒールをはかなくなります。
理由ははっきり書いてないですが、前時代的と思われるようになったのか、
あるいは啓蒙思想が女性にも広まって来たということかもしれないです。
(パリの女性市民がズボンを履くのを許可制にする程度には、
フランス革命政府は女性の服飾に関して因習的だったのではあるが。)
これでハイヒールは「歴史的な靴」として姿を消したかと思いきや、
さらに半世紀後の19世紀の中ごろに、ふたたびはやるようになります。
「写真によって流行や女性自身のイメージが作られる方法が変わり」
ポルノ制作者がモデルの女性に「現代風なハイヒールを履かせ」たことが
ハイヒールが復活することになったはじまりだとあります。
フランス革命期にすたれたということは、
ハイヒールは「アンシャン・レジーム」時代の靴と思われて、
「歴史的なもの」と見られていたのではないかと思います。
(おそらくいまの日本人が和服やわらじを見るような感覚。)
それを「現代風」として、当時の新技術と結びつけて
ふたたび登場させたところが、いささか興味深いところだと思います。
「ポルノグラフィーと結びついたことがきっかけで、ハイヒールは女性の
エロティックな装飾品と見なされるようになった」とあります。
ハイヒールが復活したころは、「そういう女」が履く靴だったのかもしれないです。
その後エロスと関係なく、一般の女性が日常的な靴として
ハイヒールを履くようになった経緯がどんなのかは、
残念ながら記事に書いてないのでわからないです。
付記:
ハイヒール小史の記事をツイートしたら、びっくりするくらいたくさんの
リツイートとお気に入り登録をいただきましたよ。
ハイヒールは相当数の女性にとって日常的だと思うので、
やはり興味のあるかたもかなりたくさんいるということのようですね。