ツイッターやフェイスブックでは、ユーザがなくなった場合の
アカウントの対処方法が取り決められています。
くわしくは以下の記事をご覧いただきたいと思います。
「Twitterが発表した故人ユーザーについてのポリシー--Facebookとの比較」
(はてなブックマーク)
「自分が死んだら、FacebookやTwitterのアカウントはどうなるのか」
(はてなブックマーク)
ツイッターの場合は、なくなったかたのアカウントを削除するか、
代わりの人がオフラインでアクセスできるよう
なくなったかたのデータのアーカイブを提供するかを、
遺族やともだちなどが申請することができます。
フェイスブックの場合は、なくなったかたのアカウントは削除するか、
「追悼アカウント」に切り替えるかの選択があります。
「追悼アカウント」になると、そのユーザのデータは残り
ウォールへの投稿はできますが、そのユーザでのログインはできなくなります。
一般になくなったかたのアカウントは管理がむずかしいと言えます。
通常はパスワードは本人が記憶しているだけですから、
本人がなくなったら、だれにもログインできないという問題が出て来ます。
なにより、なくなったかたのデータを遺してよいのか、
それとも削除するべきなのか、という問題もあります。
すぐに全部削除してよいとはかぎらないことですね。
本人が遺したいと希望している場合もあるでしょうが、
そうでなくても、有益な資料なので必要に応じて閲覧したい
というかたがいることもあるだろうと思います。
ウェブのサービスというのが、もともと生きている人間のためなのだと思います。
それゆえユーザの他界というのは、ウェブの性質上相性が悪く、
扱いがむずかしくなるのだと思います。
(ツイッターもフェイスブックも、他界したユーザのアカウント管理は
取り扱いをもてあましているような感じです。)
そもそもこれまであったウェブのサービスは、
ユーザがなくなることを念頭に置いていなかったように思います。
ウェブが普及してから歴史が浅かったこともあって、
ユーザがアカウントを保持するのはせいぜい数年であり、
そのあいだになくなることがないことを
暗黙のうちに前提にしてきたのではないかと思います。
ツイッターやフェイスブックが、ユーザがなくなったときの
アカウントの対処をはっきりしめすようになったのは、
ウェブが普及して15年以上経ったので、ユーザの他界を念頭に置く
必要が出て来た、ということでもあるのかもしれないです。
自分が死んだ後、データをどうしたいのかはっきりさせたいとき、
たとえば、「自分が生きた証をウェブの上に遺しておきたい」とか、
あるいは「だれか代わりの人がログインできるようにして、
自分のアカウントを管理してほしい」というときは、
あらかじめ希望を遺言のかたちでしめしておく必要があるでしょう。
今後は遺言状の中で、自分の死後のウェブのデータの扱いについて
書いておくのが一般的になっていくのかもしれないです。
(ウェブのデータに関する遺言状というと、
むかしから有名(?)なものとして「山形浩生の遺言状」がありますが。)
ちなみにわたしは、自分の死後ウェブのデータをどうしてもらおうと
思っているのかというと、じつはなにも考えていないのでした。
わたしが遺したデータをめぐって争いが起きるなんてことも、
かなりの確率でないことだと思います。
それゆえ自分が他界したあと、ウェブのデータ管理をどうしてもらうかを
決めるなんて面倒なことは、いまのところなにもしていないのでした。
このままいけば、そのまま放置ということになると思います。