わたしは日本史はあまりくわしくないのですが、
平安時代の中ごろ、関東地方に平将門という豪族がいたのでした。
地方政治の乱れと腐敗に平家一族の内紛が重なって、
関東地方に朝廷から独立した政権を作る「平将門の乱」を起こしたのでした。
この乱は短期で鎮圧されることになり、平将門は朝廷軍によって討ち死にし、
その首は平安京へ運ばれ晒し首となったのでした。
ところがこの平将門の首が3日目に夜空に舞い上がり、
故郷に向かって飛んで行って数か所に落ちた、という伝説があるのですよ。
その伝承の地はいくつかあって、いずれも「平将門の首塚」と言われてます。
いちばん有名なのは、東京の大手町にある首塚です。
この平将門の首塚にはじつはいわくがあるのですよね。
「不敬なことをすると祟りがある」なんて言われているのですよ。
取り壊そうとすると工事関係者が不審な死や事故にあうというのです。
なんだか羽田空港の鳥居を思わせるお話です。
関東大震災ののち、首塚の跡地に大蔵省の仮庁舎を建てようとしたら、
工事関係者や省職員、さらにはときの大臣早速整爾が
相次いで不審死を遂げる、ということがあったのでした。
また第二次世界大戦後、GHQが周辺の区画整理をする際
じゃまになるというので、首塚のあったところを造成しようとしたら、
やはり不審な事故が相次いで計画を中止することになったのでした。
それにしても、東京のど真ん中にこんないわくのある史跡があるとは、
わたしはちっとも知らなかったですよ。
(オカルトならなんでも知っているよ、というわけではないが。)
それでわたしも大手町の平将門の首塚に行って来たのでした。
これが首塚を正面から見たところです。
お花がたくさんお供えしてあります。
維持管理をしている「将門塚保存会」のかたたちがお供えしたのでしょう。
きちんと手を入れられているのがわかります。
わたしが行ったときは、ちょうどお線香をあげているかたがいました。
ほかの参拝客たちに首塚についてガイドしていたので、
(「不敬なことは絶対してはいけない」とか「まわりのオフィスは
首塚にお尻を向けないように机を並べている」とか言っていた)
おそらく保存会のかただろうと思います。
真ん中にはお賽銭箱が置いてあるので、お賽銭をあげることもできますよ。
いろいろな角度から首塚を写してみました。
後ろにある灯籠のようなものも見えると思います。
だれも来ないのかと思ったらそうでもなく、参拝客がぽつりぽつりとやって来て、
わたしがいるあいだは、ずっと境内にだれかがいる状態でした。
(入り口付近から境内の全景を写そうと思ったのですが、
たまたま居合わせた観光客を写すわけにいかないと思ったので控えました。)
近所のオフィスから来たとおぼしきスーツを着たビジネスマンも来ましたよ。
そこそこ有名な観光スポットなのかもしれないです。
境内には蛙の石像や置物がたくさん並べられています。
「首が故郷に帰る」にちなんで「蛙」ということです。
「左遷になった会社員が、もとの職場に帰って来られる」
「誘拐されたり行方不明になった子どもが、無事に帰って来られる」
というご利益が、これらの蛙の置物にはあると言われています。
妊娠や出産で退職を余儀なくされたけれど、もとの職場や職種に復帰したい
というかたは、平将門の首塚にお参りするとご利益があるかもしれないですよ。
首塚の案内板。
「保存会」のかたが建てた石碑と、入り口にあるのぼり。
神道政治連盟や日本会議の場かげた政治活動に歯止めをかけてくれる良心的な神主さんはいないものでしょうかね。
>私は神社におまいりするときには、時々、
>「選択的夫婦別姓が導入されますように」と絵札をかけたりします
それはとてもいいと思います。
神社本庁の思想が社会一般の要望に合わなくなっていると
神社の人に理解してもらうのは、効果があることでしょうからね。
>神道政治連盟や日本会議の場かげた政治活動に歯止めをかけてくれる
>良心的な神主さんはいないものでしょうかね。
そうですよね。
でも、神社本庁の活動に熱心な神社は、選択別姓にしっかり反対でしょうし、
選択別姓が容認できる神社は、神社本庁の活動に興味なさそうなのですよね。
>平将門は当時の東国に独立した新しい国を建てて新皇と称したつまり「朝敵」なので
平将門はそういえば「反逆者」なのですよね。
現在の神道は平将門をどう扱っているのかは、気になるところですね。
>明治時代に国家神道になるとき、そんな「逆賊」を祀っているのは良くないとして、
>記紀の神々に祭神を取り換えられたのでした。
やはりというか、現在の国家神道は平将門を歓迎しなかったですね。
平将門のことにかぎらず、国家神道は明治以降のイデオロギーに合うように、
いろいろなところを人為的に作り替えたようですね。