これはキャラクタが仮想世界で生活をするのですが、
人間関係がモチーフにあり、恋愛や結婚もできるようになっています。
ところがこのゲームの英語版をリリースするにあたって、
同性愛者の設定がなく同性結婚ができないようになっているので、
外国のユーザから抗議がたくさん来たのですよ。
「“任天堂、同性婚機能を削除!?” 『トモダチコレクション』米国版めぐり物議
言葉の壁が生んだ誤解広がる」
「任天堂ゲームに不満の声、同性婚の設定なく 米」
(はてなブックマーク)
「同性婚、ゲーム続編では可能に=任天堂米法人が謝罪」
(はてなブックマーク)
「「任天堂は同性婚にNO」? ゲームの設定めぐり海外で波紋」
「日系企業のみなさんへ〜任天堂事件の教訓」
(はてなブックマーク)
「Nintendo Says No to Gay Weddings in Upcoming Game」
「Nintendo says no to virtual equality in life game」
『トモダチコレクション』というゲームには、
もともと同性結婚の設定はなく、異性同士の結婚しか存在しないのでした。
(つまり存在していた同性結婚の機能を削除したのではない。)
ところがつぎのふたつの事情から、同性結婚ができると
外国ユーザに思われることになったのでした。
ひとつは、男性と男性のような外観の女性が結婚しているシーンを
日本のユーザがスクリーンショットに撮ってネットに投稿をしたことです。
投稿者は日本語で説明を付けてはいましたが、
おそらく日本語が読めない外国人が動画だけ見て、
同性結婚ができると誤解したのだろうと思います。
もうひとつは旧バージョンからデータをインポートする際、
バグでキャラクターグラフィックが入れ替わってしまい、
見かけ上同性結婚しているようになる、というものです。
これはセーブとコンティニューができなくなる致命的なバグなので、
任天堂はこのバグを修正することになります。
かくして同性結婚ができるというのは事実誤認であり、
同性結婚の機能はないとわかったため、同性結婚もできるよう
その機能を実装しろという要望が強まることになったのでした。
任天堂の最初の対応はそっけなく、同性結婚の機能を
サポートさせるつもりはぜんぜんない、というものでした。
ところが批判は高まり続け、ついに対処せざるをえなくなったもののようです。
任天堂は同性結婚できないことを公式に謝罪することになりました。
そして今回はもう無理だが、今後おなじようなゲームを作るときには、
同性愛者の存在も顧慮すると約束することで、収拾を付けたのでした。
とくに同性愛者にとっては、(異性愛者でも同性愛者の存在を
認識していれば)フィクションの世界で異性愛者しかいないのは、
おおよそリアリティがなく、不自然としか言いようがないでしょう。
なにより自分や知り合いの同性愛者が締め出されていることになります。
同性愛者はつねづね差別や偏見にさらされているのですし、
こうした冷遇に対しては敏感になるというものです。
任天堂の最初の釈明が「いかにも日本的」なのですよね。
実際、日本ならこのような釈明で、批判は抑え込まれると思います。
「日本で大きな問題になってはいません」と任天堂みずから
言っているくらいですから、世話ないですよ。
http://www.huffingtonpost.jp/2014/05/08/nintendo-tomodachi_n_5292748.html
任天堂が社会的な見解を表現しようとする意図はありません。
異性婚しかないのは、現実世界を再現したものというよりかは、
ちょっと変わった、愉快なもうひとつの世界だからです。
我々はゲーム会社として、なにより重要であり、目指しているのは、
楽しんでもらえるゲームを創ることですから。
ゲームの中で、結婚したり、子供を作ったりという部分が
特徴的なのは確かですが、それだけではありません。
いろいろなことができるゲームですし、その部分のみが取り上げられるのは、
ゲームの中身が理解されていないのかな、という印象です。
まだ海外では発売すらされていないので、そういった報道になるのかもしれません。
すでに発売された日本で大きな問題になってはいませんし、
まずはゲームを楽しんでいただきたいと思います。
同性愛者を描かなければ「社会的な見解を表現」した
ことにならない、ということはないですね。
現実に同性愛者がいる以上、あえて同性愛者のいない世界を描くのは、
「同性愛者は本来あってはならないもの」という
社会的なメッセージを発することにもなるからです。
また同性愛者のいない世界が、「愉快なもうひとつの世界」であり、
「楽しんでもらえる」などと考えているところに、
任天堂が同性愛者をどう見ているかをしめしていると言えます。
「ゲームの中身が理解されていないのかな、という印象です」にいたっては、
なにが問題なのかさえ、把握できていなさそうな感じです。
ゲームにかぎらずフィクションというのは作者がいます。
よって作者の思想やイデオロギー、恋愛観、結婚観、
家族観、人生観といったものが反映されることになります。
同性愛者のいない世界を作って平然としているのは、
作者の性的少数者に対する認識をしめすことになるでしょう。
想像するに、このゲーム作者も「家族のカチ」的なものを信奉していて、
異性愛者だけの世界が「自然」と思っているのかもしれないです。
「同性愛者を描かないことが社会的見解を表明しないことになる」
という倒錯した考えも、このような「自然」を描いていれば
政治的に無色透明、という意識によるものと思われます。
任天堂の対応は、同性結婚が法的に認められてないし、
同性愛者の存在を度外視してもなんら差し支えない
「日本の常識」であればこその対応なのだと思います。
その感覚で、性的少数者の権利が叫ばれ、一部の州とはいえ、
同性結婚が法的に認められる国へ来るとどうなるかを、
今回の騒動はしめしたと言えるでしょう。
「日本で大きな問題になってはいません」というのも、
日本ではそれだけ性的少数者の権利がなおざりにされていること、
そして任天堂もそうした日本の企業の一員であることを
語っているだけとも言えるでしょう。
家族やジェンダーに関することで、外国へ進出した日本企業が
現地でトラブルを起こすのは、これにかぎったことではないです。
昨年もカリフォルニアで日本の製薬会社が、
現地の女性社員から女性差別で提訴されているのでした。
「日本企業が訴えられた」
ご存知のように、日本と欧米の民主主義国とのあいだで、
ジェンダーに関する人権意識のギャップがどんどん広がっています。
そして国際社会で活躍する以上、人権意識をグローバルスタンダード
レベルにするのは必要不可欠なことだと言えるでしょう。
日本人の人権意識がいまのままであれば、
外国でトラブルを起こす日本企業は、今後も増えることと思います。
今回の任天堂は、人権水準のグローバルスタンダードに
無自覚だった「日本的」な企業の典型だったと思います。
上述のように「日本的」な対応で切り抜けようとするあたり、
外国における人権問題に対して無防備でもあったと思います。
付記:
任天堂は過去にも異性愛者しかいない世界のゲームを作って
外国から抗議されたことがあります。
このとき批判されたことは、教訓にならなかったのかと思います。
「「『ファイアーエムブレム 覚醒』ではドラゴンもペガサスもOK、
でも同性婚はできない」海外から批判」
(はてなブックマーク)
>これを厳密に突き詰めると同性愛者向けのゲームというもの自体も
>作れなくなってしまう恐れもありますね
同性愛者向けのゲームは作れると、わたしは思いますよ。
同性愛者と異性愛者の置かれている状況が対称ではないからだけど。
異性愛者だけの世界は、同性愛者の排除となる可能性が高いけれど、
同性愛者だけの世界は、同性愛者の保護となることが多いですからね。