公式ブログを見ると1962年産まれとあります。現在51歳ですね。
男女雇用均等法が施行されたころに社会人になった世代です。
バブルの時代に若いころを過ごしてきたことになります。
「東京都議会セクハラ野次」
「セクハラ野次に批判拡大」
「セクハラ野次・外国の反応」
「野次の主は鈴木章浩」
バブルの時代、すなわち1980年代は、少子化対策なんて
まったく意識されていなかったのでした。
また55年体制最後の時代で、男性の雇用や収入は安定していたので、
経済的事情が結婚の壁になることもほとんどなかったのでした。
このころの女子の4年制大学進学率は15%もなく(2009年は44.2%)、
また女性の平均初婚年齢は25-26歳でした(2012年は29.2歳)。
こんな時代ですから、「女は短大でじゅうぶん、
4年制大学へなんか行かなくていい」とか、
「総合職についたら嫁の貰い手がなくなる」と言われていましたし、
また「クリスマスケーキ(=25歳を過ぎたら売れ残り)」
なんてことばがあったりした時代でした。
すっかり忘れていたが「女はせいぜい短大。四大でも文学部くらいが適当」「総合職就職なんてしたら嫁の貰い手がなくなる」「クリスマスケーキ=25歳過ぎたら売れ残り」的言われようをしてきた四半世紀前を思い出すと、そういう価値観を同時にくぐってきた50歳前後の男性がその程度でも納得はいく
— hiroyama (@locksley6k) 2014, 6月 23
そういう時代に若いころを過ごしてきた現在50過ぎの男性が、
「女は結婚して一人前」とか「女が結婚できないのは自己責任」とか
考えていたとしても、「無理もないこと」なのかもしれないです。
男女雇用均等法が施行されたころではありますが、
そうした男女平等意識が追いつかない人(男性)も、
まだまだたくさんいただろうと思います。
若い男性がセクハラをする「おじさん」化していくプロセスは
つぎの記事にちょっとくわしく書いてあります。
これを見ると、セクハラをする「おじさん」化するというのは、
特別なことではなく、男性であればだれにでも
ありえることだと言えるのではないかと思います。
「日本のおじさんの誇りは失われたままなのだろうか〜都議会の醜悪な野次で思うこと〜」
セクハラするのは「おじさん」に社会的地位があるからですね。
その社会的地位の誇示としてセクハラをするということです。
それゆえ「おじさん」対してヒエラルキーの下位にいる
女性や若い男性は、それをはっきり拒絶できないので、
いつまでもセクハラが続くことになるわけです。
若い男性もはじめはセクハラに拒否感があっても、
「おじさん」たちにやめさせることがなかなかできないわけです。
それで拒否するより、いっしょに「仲間」になったほうが楽と考えるようになり、
しだいに「おじさん」化することになるのでしょう。
55年体制時代は終身雇用と年功序列が維持されていたので、
若い男性もじっとがまんして会社に居続ければ、
いずれ会社の中で一定の地位を得られたのでした。
「おじさん」化はそうしたシステムとも関係しているわけです。
現在は終身雇用と年功序列が崩れましたが、それでも若い男性を
「おじさん」化するしくみは、まだ残っているもののようです。
鈴木章浩氏は日本会議の地方議員連盟のメンバーでもあるのですね。
日本会議と言えば、日本最大級の右翼団体ですよ。
10年前のジェンダーフリー・バッシングも主導していました。
こうした思想背景を持った人物であれば、
あのようなセクハラ野次も「さもありなん」と言えそうです。
「都議会で性差別ヤジを発した議員は日本会議地方議員連盟会員だった」
(はてなブックマーク)
公式サイトの「ごあいさつ」では「日本のすばらしい文化、歴史、伝統、
そして日本人の高い精神性をしっかりと受け止め、
次世代に夢と希望の持てる社会を継承していくのは、 私たちの責任です」
なんて書いていて、ミギっぽい感じがしますね。
鈴木章浩氏は過去に尖閣諸島に泳いでわたったことがあって、
ただの右翼なだけでなくエキセントリックな人でもあるようです。
2012年8月19日なので、いまから2年ほど前です。
石原慎太郎都知事(当時)が、尖閣諸島を都で買い取ろう
などと言い出していたころですね。
「鈴木章浩都議、過去には尖閣諸島に泳いで上陸【セクハラやじ】」