なくなったのは9月20日で、発表されたのは9月28日です。
ご冥福をお祈りいたします。
「社民党元党首 土井たか子氏が死去」
「土井たか子氏死去、与野党問わず惜しむ声多々」
「訃報:土井たか子さん死去 女性初の衆院議長」
土井たか子氏は1993年、非自民党政権の細川内閣のときに
女性ではじめての衆議院議長になったかたです。
土井たか子氏の逝去も、ひとつの時代の終わりなのかもしれないです。
それ以上に目立った大きな成果は、1989年の参院選ですね。
この選挙では「反消費税」を掲げて旧社会党は大勝し、
自民党を過半数割れに追い込みました。
さらにこのとき女性候補者をたくさん擁立して当選させ、
「マドンナ旋風」とも言われたのでした。
1989年の自民党の大敗で「山が動いた」と言われました。
1990年代の政治改革から、2009年の民主党政権取得にいたるまでの
一連の時代は、このときに始まったと言えると思います。
土井たか子氏には思い入れのあるかたも、いらっしゃると思います。
じつはわたしは、土井たか子氏には思い入れがないのですよね。
1989年の「山が動いた」ときは、わたしは選挙権のない子でしたよ。
わたしが本格的に政治に興味を持ち出したのは、
ミレニアムのころからですが、そのころのわたしは
自民と民主しかほとんど知らない、という状況でした。
それで旧社会党、社民党は、関心の中にあまり入って来なくて、
土井たか子氏のこともさほど意識してなかったのでした。
つぎのはてなハイクでは、土井たか子氏の功績について触れてあります。
これを見ると、土井たか子氏は女性の権利の向上のために
いくつもの業績をなしたことがわかります。
こうした情報をしめしてくださるのは喜ばしいことです。
http://h.hatena.ne.jp/RASEN-KAIDAN/81795671605375101
土井さんが、低かった女性の生活保護給付を男性並みに引き上げること、
父系主義の国籍法を両系主義に改正することなどを国会質問で訴え
むかしは女性の生活保護給付額は、男性とくらべてすくなかったのですね。
「女は結婚して男に養われるから保護はいらない」という
発想があったのではないかと想像します。
(いつ改正されたのかは、確認できなかったです。)
父系主義の国籍法は1984年に改正されました。
それまでは、日本人男性と外国人女性とのあいだに産まれた子どもは
日本国籍を取れましたが、外国人男性と日本人女性とのあいだに
産まれた子は、日本国籍が取れなかったのでした。
「女は嫁いで夫の家のものになる」という発想があったのでしょう。
Wikiには家庭科の男女必修にも取り組んだとありますが、こちらは読んだ記憶なし
家庭科が男女共修になったのは、中学は1993年、高校は1994年です。
土井たか子氏に関しては、どのサイトもウィキペディアの引用ばかりで、
べつの情報ソースは確認できなかったです。
後に社民党の党首に復帰した際は、福島さんや辻元清美さん、
保坂展人さんのようなフェミニストを擁立しましたが、
単に衰退した総評系労組の穴埋めではなく、土井さんの中に、
確固たる男女平等の政治理念があったからできたことだと思います
本当にフェミニズムを理解している人材を、積極的に登用しているのですね。
安倍政権のように女性の権利に反対してきた右翼女性ばかりとか、
女性を登用する意識のとぼしい民主党とは違うようです。
土井さんが果たせなかった、婚外子の財産相続差別や再婚禁止期間の廃止、
選択的夫婦別姓を実現していほしいと強く思います。
最後にまだ見果てぬ民法改正に触れているのが、わたしとしてはうれしいです。
婚外子の相続差別撤廃は、2013年の12月に実現していますね。
民主党には土井たか子氏の理念に共感する政治家はいると思いますが、
民法改正に関してはすっかり及び腰ですね。
強烈な反対に抗して実現させようとする気力はなさそうで、
完全に「先送り」にしているのではないかと思います。