2014年10月05日

toujyouka016.jpg 櫻井よしこの別姓反対

櫻井よしこ氏が選択的夫婦別姓の反対論を書いています。
出展は2010年2月13日号の『週刊ダイヤモンド』です。
民主党が民法改正法案を提出しようとしていたころの記事ですね。

「 日本固有の文化文明を壊す『夫婦別姓法案』に反対 」

最近になって(といっても、今年の5月)、この桜井よしこ氏の記事を
批判しているエントリがあるので、ご紹介しておきます。

「夫婦別姓という概念の大切さ」

 
櫻井よしこ氏の主張もよくありがちな反対論です。
その中にあってつぎのくだりは、しばし変わっていると思うので、
見て行きたいと思います。

========
日本の女性たちは自立もできず、人格も尊重されずに生きてきたのか。
答えは否であろう。日本の女性たちが、同時代の欧米の女性たちに
比べてどれほど力を持っていたかについて、多くの人びとが書き残している。
渡辺京二氏の『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)には
外国人が見た日本の女性の生き生きとした姿が多出する。
長岡藩の城代家老の娘、杉本鉞子の『武士の娘』(ちくま文庫)には、
日本の女性たちが手にしていた現実生活における力の程が描写されている。
========


「日本の女性たちは自立もできず、人格も尊重されずに生きてきたのか」
という最初の問いですが、わたしに言わせれば「Yes」ですよ。

55年体制時代は男女雇用均等法がなく、女子社員の仕事は
コピー取りやお茶汲みが相場、寿退社するのが当たり前でした。
またセクハラやDVは概念も確立していませんでした。
被害にあってもそれを主張どころか自覚することもできず、
泣き寝入りするしかなかったのでした。

戦前になると女性には選挙権もなかったです。
上の学校に進学する道もじゅうぶん開かれてなかったのでした。
妻は無能力者とされみずから財産を管理できず、夫の管理下に置かれました。
また正妻とめかけがいて、嫡出子とめかけの子とのあいだで
利害が複雑に対立させられていたのでした。

ベアテ・シロタ・ゴードンが憲法24条を書いたのは、
日本女性がこうした悲惨な状況にあることを知っていたからです。
結婚成立を「両性の合意のみ」とすることで、
男性の一方的な意志でもなく、家の都合にもよらない
女性の意志も尊重した自由な結婚を保障しようとしたのでした。

「ベアテ・ゴードン逝去」


桜井よしこ氏は「外国人が見た日本の女性の生き生きとした
姿が多出する」とか「日本の女性たちが手にしていた
現実生活における力の程」などと書いています。
それで日本社会にはびこる差別が免責されるかのようです。

社会構造上、差別される立場にあっても、
実際には差別的扱いをほとんど受けずにいる人もいるでしょう。
その一方で差別に悩んだり苦しんだりしている人がいるのも事実です。
「生き生きとした」女性や「現実生活における力」を手にした
女性の存在を理由に、差別を放置してよいことにはならないです。

また「生き生きとした」女性や「現実生活における力」を
手にした女性であっても、選挙権がないとか上の学校に行けないといった
差別的扱いに不満や抑圧を感じることもあるでしょう。
表面的に「生き生きとし」ているからといって、
権利が制限されていることに対して、
不自由をなにも感じていないなどとは、決まっていないことです。


また、選挙権がないとか財産がみずから管理できないとか、
上の学校に行けないとか、結婚してお嫁さんになる以外に
生きざまがないといった権利の制限された状況で追求できる
「生き生きとした」生きかたや、手にできる「現実生活における力」は、
おのずとかぎられた狭いものになります。
追求できる生きかたが狭いのは、それだけで不幸なことです。

それとも桜井よしこ氏は、「むかしの女性は生きざまが狭くても
幸せだったのだから、いまの女性もかぎられた生きざまでも、
権利などと言わずにそれで幸せになれ」とでも、言うのでしょうか?
なにをもって幸せとするかは本人の決めることです。
他人がしあわせのありかたを決めるのは、おこがましいかぎりです。

まさか「余計な権利意識を持たなければ、選択できる生きざまが
狭くてもしあわせだった」などと言うのではないでしょうね?
これは女性に教育を受けさせたがらない人の理屈ですね。
「自分が不幸と気がつけないほど馬鹿にしておくのがいい」ですよ。


桜井よしこ氏の主張は、『三丁目の夕日』を読んで、
「この時代はみんなしあわせだった」などと郷愁に浸るようなものです。
歴史ゆえに美化されていて、都合の悪いところや、
いまの基準ではとても耐えられないことが、無視されるのですね。

このような郷愁は自分で思っているだけでも、
なにをあまいことを言っているのかと、言われるようなことです。
櫻井よしこ氏の場合は、「むかしに郷愁を感じろ」と
「あまい考え」を他人に要求さえしているとも言えるでしょう。


桜井よしこ氏の主張を批判的に扱っているエントリでは、
つぎのことが書いてあります。
========
歴史を振り返るとどうだかは、ぼくは知りません。
でも、「今の」日本女性が「今の」欧米の女性たちより
力を持っていないことだけは間違いありません。
そして、ぼくは「今の女性」の夫婦別姓の許容が大事だ、と言っているのです。
========

歴史や伝統にこだわるのは、もっぱら反対派(非共存派)ですね。
選択的夫婦別姓を望む人たちは、現代の社会に生きていて、
現代の自分の生活をよりよいものにしたいわけです。

歴史や伝統なんて本当はどうでもいいことです。
かつての時代がいかに暮らしよかったものであっても、
現代の自分の暮らしの改善にはなんの足しにもならない、
「過去の栄光」でしかないということです。


現在では日本の女性が、欧米の民主主義国の女性とくらべて
力を持っていないことは、言うまでもないと思います。
賃金格差をはじめ、管理職の比率、片親家庭の貧困率、非正規雇用の比率、
男性の家事時間など、並べ始めたら枚挙にいとまはないですね。

「女性の賃金は男性の7割」
「OECDの男女格差の報告」
「専門職と管理職の女性比率」
「女性幹部3%で過去最高」
「女性たちの貧困のメモ」
「女性の就労形態の組成変化」
「子どもの有無と就労形態」
「家事をしない日本の男」

「子どもを持つ女性にとって日本は最低の先進国」とも
言われているくらいです。

「日本は最低の先進国」
「日本は最低の先進国(2)」

posted by たんぽぽ at 23:23 | Comment(2) | TrackBack(0) | 民法改正一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

はてなブックマーク - 櫻井よしこの別姓反対 web拍手
この記事へのコメント
櫻井よしこも、気持ち悪い方ですね。頭のタガが外れた方としかいいようがありません。。。

ところで、例によって朝日新聞なのでメンバーでないと読めませんが、選択的夫婦別姓についての良記事を載せてくれています。今のところスキャン画像等は見つけられていません。

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11386627.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11386627
Posted by 魚 at 2014年10月06日 03:19
このエントリにコメントありがとうございます。

>櫻井よしこも、気持ち悪い方ですね。

歴史をつまみ食いして「むかしの女性は権利がなくても
これだけしあわせだったんですよ」などと言う人、
ときどきいるようですね。

>http://www.asahi.com/articles/DA3S11386627.html

いつもご紹介ありがとうございます。
こういうのはどんどん話題にしてほしいと思います。

全文読めないので、わたしは後日図書館で確認ですね。
Posted by たんぽぽ at 2014年10月06日 21:23
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック