補助ブログで延々と書いていた、「歴史修正主義をスルーしておいて
疑似科学を批判しても無意味」発言と、それにともなう一連の議論について、
一通り完結したのでリンクを並べておきます。
https://twitter.com/apesnotmonkeys/status/508274488417349632
(はてなブックマーク)
お時間と興味のあるかたは、ご覧いただけたらと思います。
(たいしたものではないけれど。)
「歴史修正主義批判の中心主義」
「歴史修正主義というにせ科学」
「歴史修正主義批判の中心主義(2)」
「歴史修正主義批判の中心主義(3)」
「権威主義や大衆蔑視を伴う?」
「甘やかされるにせ科学?」
「ある歴史修正主義の議論」
「愛が感じられない批判」
「皮肉で琴線に響かせる?」
はなはだ残念なのは、このようなできごとを通して、
歴史修正主義批判のかたと、にせ科学批判のかたとのあいだの
溝が深くなりかねないことだと思います。
(わたしがせっせとこれらのエントリを書くのも、
溝を深める方向に寄与しそうなのではあるが。)
にせ科学を信奉する人が、歴史修正主義に陥るのはよくあることです。
歴史修正主義もにせ科学の一種と言えますし、
それぞれの信奉者は精神・思考構造もよく似ているところがあります。
歴史修正主義批判のかたと、にせ科学批判のかたは
本来ならおたがいの蓄積を利用し合えるでしょうし、
協力できる関係にあるはずなのですよね。
ところで僕は、疑似科学批判、歴史修正批判の中に、トンデモさんを嘲笑するひとがいることを、気にしています。僕が疑似科学批判を控えているのは、嘲笑する人と同じになりたくないからなのです。
>各自が自分にできることをすればいいんですよ
わたしもおなじ意見ですよ。
多くのかたはそう考えると思います。
ところがどういうわけかネットの歴史修正主義批判のかたたちは、
それが不満のようなのですよね。
>トンデモさんを嘲笑するひとがいることを、気にしています
残念ながら、みょうに選民意識や愚民思想に陥った人たちも、
一部にいらっしゃるのですよね。
自分もくわしくない分野であれば、「とんでも」に騙されうるという
謙虚さがたりないのかもしれないです。
>僕が疑似科学批判を控えているのは、嘲笑する人と同じになりたくないから
かくいうわたしもおなじような理由で、
批判に加わりたくないと思うことはありますよ。
その気持ち、ちょっとわかります。
わたしはときどきにせ科学批判をすることがあるし、
こないだもこのブログで派手に議論になったのですが、
にせ科学批判によって「嘲笑している」という印象を与えないよう、
じゅうじゅう注意したいと思います。