少子化対策に関するかなりあきれた記事です。
「低収入でも子供を産み、育てられる「発想の転換」」
(はてなブックマーク)
今回はここに注目したいです。
ちょっと傲慢ですらあると、わたしは思いますよ。
http://www.j-cast.com/kaisha/2014/10/16218490.html?p=2
年収350万円のひとが子供を持つには、発想の転換が必要です。
塾や習い事もなし、大学はいかないか、ネットでタダのもので学ぶ。
大企業に入ることは諦める。単に子供が育てばよい。それで満足する。
それでも子供を持つことの喜びは計り知れないでしょう。
人はだれしも教育を受ける権利があります。
経済的事情で希望に反して習いごとや進学ができない人が多い状況を
社会が野放しにするのは、教育を受ける権利の侵害になります。
自分の幸せがなんであるかは、自分で決めることです。
他人さまに「おまえのしあわせは教育を受けることではない」とか
「おまえのしあわせは子どもを育てることだ」などと
決められるいわれのないことです。
他人のライフスタイルへの介入という観点でも大問題です。
きょうび大学進学率が高くなっているのはなぜかと言えば、
学歴がないとまともな就職先がないからです。
大学卒でも就職難の時代です。高校卒ならなおさらです。
ましてや中学卒では、雇ってくれる企業などほとんどないでしょう。
学歴がないとおのずと就職先がかぎられるわけです。
そのかぎられた就職先というのは、年収が低いことが多いです。
よってそうした人たちは経済的に苦しいことになり、
結婚して子どもを持ったとしても、自分の子どもに
習いごとや進学をさせるのがむずかしくなります。
かくして子どもも低学歴となり、社会に出ても
低収入の職にしか就けないということになります。
そして貧困層の子どもはやはり貧困層にしかなれないという
「貧困の連鎖」が起きることになります。
格差が固定される社会となるということでもあります。
「日本の「子供の貧困」がシャレにならなくなっている」
どんな社会でも、親の最終学歴が高いほど
子どもの最終学歴も高くなるという相関があります。
貧困率の低い社会でも「蛙の子は蛙」になる傾向があるわけです。
父学歴別にみた,学校卒業者の大卒・院卒率。どの社会でも,親の学歴と本人の到達学歴は密接に関連している。 pic.twitter.com/FuVyp4Neqy
— 舞田敏彦 (@tmaita77) 2014年6月7日
経済的事情が進学の妨げになる人が多い社会であれば、
この傾向にはますます拍車がかかるでしょう。
東京大学の大学経営・政策研究センターの調査を見ると、
親の年収が高いほど、子どもの進路は就職が減って、
4年制大学への進学が増えているのが歴然としています。

敗戦直後はどんな時代だったかというと、
1955年でも高校進学率が51.5%、大学進学率は10.1%でした。
中学卒が半数近くいたのであり、社会もこれだけの数の
中学卒の人がいることを前提にしていたということです。
早いお話、企業も中学卒の人を採用しないと、
雇える人がいなくなるということです。
「高校・大学の進学率の推移」

http://taraxacum.seesaa.net/article/407406699.html#comment
あと貧乏人が多かった頃は貧乏人の受け皿もあったんですよ。
かつて「金の卵」と呼ばれた人たちが中卒で地方から都会に集団就職してきましたね。
勿論、彼らは学歴による差別を受けたりもしたでしょうが、
それでも社員として雇う企業も沢山あったし、
職人に弟子入りして一生ものの手に職をつけることが出来たわけです。
今、中卒者の就職先なんてゼロではないにせよ、本当に少数じゃないですか?
まあ日本がもっと貧乏のドン底になったらわかりませんけど。
(2014年10月20日 00:03)
現在の高校進学率は96%以上です。
中学卒は4%もいないのであり、このくらいマイノリティであれば、
社会の側も中学卒はいないも同然と考えるようになるわけです。
就職難ゆえに無理をしてでも進学しようとする人たちが
多い時代において、「低収入、低学歴でも子どもがいればしあわせ」
などと考えられる、現状において不利になる選択が
わざわざできる人は、まずいないでしょう。
かりにそんな親がいたとしたら、「親のせいで自分は貧乏」とか
「親のせいで行きたい大学に行けない」と恨む子も出てくるでしょう。
果ては傷害や殺人事件にまで発展しかねないと思います。
貧乏なのは親の育て方のせいだと子供が父親殺害http://t.co/29aKEEJAw4 行きたい大学も行かせられない親とか殺されて当然な!!!!
— 加藤 (@katou_mikuko) 2014年10月23日
関連エントリ:
「「終戦直後」?」
あなたが厳しい環境で努力なさったことは、すばらしいことだと思います。
でもそれはだれでもできることではないと思いますよ。
それゆえ経済的理由で教育を受けられない人は
たくさんいるのだし、そうした人に努力を説いても、
かえって追いつめるだけになるでしょう。
それからここでは教育を社会問題として語っています。
そこへ精神論や根性論を持ち出すと、本来政治や社会が解決することを、
個人の自己責任に転嫁することにもなるでしょう。