2014年12月20日

toujyouka016.jpg 信仰としての家族思想

「夫が外で働き妻が専業主婦で子どもはふたり」という、
高度経済成長期に定着した「標準家族」を
「正しい家族」と考えている人たちが、
日本にはすくなくないことを、わたしは何度もお話しています。

こうした「家族のカチ」信仰についての、インタビュー記事があります。
ご紹介したいと思います。

「サザエさんに見る日本の“家族信仰”は異常 
『シングルマザーの貧困』著者が語る、標準以外を無視する社会」

(はてなブックマーク)

 
注目したい指摘はつぎの部分ですよ。
「標準家族」という家族思想が宗教のようになっているということです。
わたしもそう思いますよ。

カースト制度も宗教制度もない国なのに、家庭についてはいまなお、
これほどまでに保守的なんです。日本人は無宗教だといわれていますが、
実際は「家族教」を信仰する国といえるでしょう。母性神話をあがめる宗教ですね。

二宮周平氏が、日本人は家族思想が宗教の代わりになっている、
という主旨のことを、すこし前に言っていたのでした。
「家族が宗教のようだ」という言説は
識者のあいだから散発的に言われるのでしょうか?
この認識はもっと広めたいことだと思います。

「宗教の代わりとしての家族」


「家族教」の信者のあいだでは、「標準家族」にふくまれないものは、
「異教徒」や「邪教徒」ということになります。
記事で挙げられているシングルマザーはそのひとつの例です。

そしてシングルマザーは、その教理に反した異教徒というわけです

ほかに夫婦別姓も婚外子も同性結婚も、「異教徒」や「邪教徒」になります。
これらよりは風当たりはよいだろうと思いますが、
子どものいない夫婦や、結婚しても働き続ける女性も、
「異教徒」や「邪教徒」ということになるでしょう。


信仰に凝り固まった人は、「異教徒」や「邪教徒」と
決めた人たちを迫害するのが相場です。
「家族教」の場合はそのやりかたがやや巧妙だと思います。
はっきりわかるような迫害ではなく、
存在をひたすら無視し「いない」ことにするのですね。

でも目に見える形で迫害されるのではなく、ひたすら存在を無視されるんです。
この国は標準世帯以外の人たちを見捨てることによって、
美しい家族像の純粋性を守ってきました

「眼に見えるかたちで迫害しないからたいしたことない」と
うそぶく人もいるのかもしれないです。
シングルマザーの場合、賃金格差や子どもの貧困率を見れば、
その迫害のされかたは、あきらかだろうと思います。

「母子家庭の年収分布」
「ひとり親の子どもの貧困率」


こうした信仰を持った人たちが意思決定の場を占めると、
社会制度や社会保障も信仰に合致する
「標準家族」だけが存在するという前提で作られます。
「いないこと」にしている「異教徒」や「邪教徒」は、
社会制度や社会保障から締め出すことになります。
その結果は上述のようなシングルマザーの賃金や貧困率に現れるわけです。

選択的夫婦別姓や配偶者控除の廃止に反対するとか、
婚外子の相続差別廃止に渋い態度を取るとか、
性的少数者について人権問題として取り組まなくてよいという態度もまた、
「いないこと」にするという迫害の一形態です。

こないだ任天堂が同性愛者の出てこないゲームを作って
抗議されたことがあったのを、覚えているかたもいると思います。
任天堂のゲーム作者も「家族教」を信仰しているのでしょうが、
これも「いないこと」にするという迫害と言えるでしょう。


付記:

最初のリンクは、シングルマザーの問題についての
インタビュー記事の後編です。
前編もいっしょにリンクしておきます。

「もう「貧困はかわいそう」という時代じゃない 
『シングルマザーの貧困』著者が語る、人権意識が足りない社会」


「サザエさんに見る日本の“家族信仰”は異常 
『シングルマザーの貧困』著者が語る、標準以外を無視する社会」


posted by たんぽぽ at 15:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | 家族・ジェンダー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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