日本人の中には因習・反動的な家族思想が
宗教の代わりになっているというお話です。
「サザエさんに見る日本の“家族信仰”は異常
『シングルマザーの貧困』著者が語る、標準以外を無視する社会」
(はてなブックマーク)
>フィクションに現れる家族信仰
すくなくない日本人が、かかる「家族教」にとらわれていることは、
フィクションに現れると思います。
創作ゆえに作者の偏見が反映されやすいからです。
サザエさんの新聞連載が始まったのが1946年です。
それから70年近く経っているのに、ああいうユートピア家族とでもいうべき
標準世帯を前提に、制度が作られているのが問題です
『サザエさん』は日本の家族を語る上でやり玉に挙げられますね。
波平とマスオは平凡な会社員ですし、フネとサザエは専業主婦ですから、
「家族教」が教えるところの「正しい家族」だと思います。
もっともサザエさんの家庭は2世帯で暮らしているし、
夫が妻の親と同居ですから、かならずしも典型的ではないかもしれないです。
もっと最近に作られたずっと「典型的」な作品があります。
臼井儀人氏の『クレヨンしんちゃん』です。
『クレヨンしんちゃん』の家庭環境の特徴はつぎのようでしょう。
こうした家庭が平凡なしがない庶民として描かれるのですね。
「少数派を排除する「日本の大衆コンテンツ」に未来はあるのか?」
日本での子ども向けアニメ作品にありがちな家庭環境というと以下のような特徴がある。
・東京郊外のベッドタウン住まい
・お父さんはサラリーマンでお母さんは専業主婦
・長男長女の4人家族
・裕福ではないが貧しくはなく、家庭環境は良好
まさに「家族教」の教える「標準家族」が、
ふつうで多数派であるかのように描かれている典型だと思います。
じつはこのような家庭環境はふつうでも多数派でもないのですが、
このあたりは上述のサイトで分析しています。
子どもアニメの描く家庭像は現実の日本と大きくずれていて、
疑似マジョリティの世界となっている。
もっというと「バブル期の理想家族」の次元で止まっているのだ
それでも漫画が描かれた当時は、本当に平凡なしがない
庶民だったのでしょうが、現在の基準では庶民の暮らしの
平均からは逸脱した裕福層になっているのですよね。
かつての野原ひろし=子持ちでマイホームとマイカー持ってる
出世の目が出ないショボイおやじ
今の野原ひろし=子持ちでマイホームとマイカー持ってる
ちゃんと職を持った立派なお父さん。勝ち組
この20年
一体どれほどの経済的損失が発生したのかがうかがわれる。
— KAKERU (@BARKAKERU) 2014, 12月 16
このように平均より恵まれた暮らしをしている
アニメに登場する家族を、「平凡で多数存在する庶民」と、
すくなくない人が思い込んでいるのではないかと思います。
「標準家族」という信仰は、時代の変化に追随できず、
現実からどんどん乖離していってもそのままということです。
時代に合わせた変化ができないところが、
信仰の信仰たるゆえんなのだろうと思います。
>合理性のない家族信仰
「家族教」というものは、信者だけが理解できる信仰ですから、
正当化する合理的な理由なんてないと言えるでしょう。
それゆえ信者たちは合理性を問われたり批判されたりすると、
美醜の問題にすり替えたり、感情的な反発をすることになります。
安倍首相はよく「美しい」という表現を使いますね。
彼は美しい家族像に収まらないものに目を向ける気があるのかどうか
これは、繰り返しますが美醜や感情の問題ではなく、人権の問題です。
「美しい」なんてことばが出てきたら要注意ですね。
それは彼らの信仰に合致しているというだけということです。
そして「美しくない」という彼らの信仰のもとに、
教義に合わない存在を迫害する可能性があるということです。
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)も、
しばしば「夫婦別姓なんてわがままだ」とか、
感情むき出しで攻撃してくることがあります。
これも信仰ゆえに反対する合理的な理由がないので、
感情的に反発するしかない、ということでもあると思います。
記事では最後に、基本的人権と民主主義の問題だと
述べていることは、注意したいと思います。
シングルマザーもその子どもも安心して暮らせる社会は、
平等意識や人権意識のうえに成り立つものです。
そしてその意識は、民主主義社会の拠って立つ基盤でもあります。
これだけは、みんなで守っていただきたい。
シングルマザーのことはきらいでも、
民主主義のことはきらいにならないでください!
腹が立ったり美しいと思えないのは自由だが、
そう思われる人たちにも生きる権利はあるということです。
そして自分が腹が立ったり美しいと思えない人も、
おなじ社会でいっしょに暮らすのが民主主義だということです。
兄妹のうち兄が、夫婦と一人っ子の家に居候する4人家庭というかなり特殊なパターンですね。
国民的アニメ『ドラえもん』も、
一般的な家庭ではなかった。
ちなみに、ドラえもんとドラミは
べつべつに暮らしていて兄妹のキズナが薄れた、
というお話はないようですね。
住んでいる時間まで違っているのに。
それでふつうだと思います。
苗字に病的に固執する、選択的夫婦別姓の
反対派(非共存派)が異様ということです。
のび太のママはちょっと酷薄ですね。
ペットは家族と考えない、という時代の
作品ということもあるかもしれないです。
なので同居のロボットは
なおさら家族にならないでしょう。
これは家族でなくても、さらには
人外であっても「一体感」「キズナ」は
生じうることを示しているとも言えます。
最近のアニメではママが「ドラちゃんも私の家族よ」というシーンがあるようです。
>男性は一緒に住んでいる者を家族として扱うと
『ドラえもん』の作者もそれを意識して
ドラえもんに対するパパとママのスタンスを
考えたのかもしれないですね。
その説は、わたしは寡聞にして初耳で、
わたしには実感がなかったりするのですが。
>最近のアニメではママが「ドラちゃんも
>私の家族よ」というシーンが
時代とともに家族に対する意識が
変化したので、それに合わせた
ということかもしれないですね。
非共存派は「サザエさん」をみている年配の方しかない野だろうと思います。
「こち亀」は、わたしはほとんど知らないので、
登場人物がなにをしているかは、知らなかったです。
みんな経営者ばっかりですね。
それはすごいかもしれないですね。
アニメやコミックは、シナリオの都合が
大きいのだとは思いますが、
「一般的」とはだいぶ違っている家庭が
よく出てくるように思います。
>「ちびまる子ちゃん」
そういえばそうですね。
一時期安倍政権が持ち上げた三世代家族ですし、
ある意味、選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)の
理想に近いかもしれないです。
http://taraxacum.seesaa.net/article/427775899.html
『ちびまる子ちゃん』がうけないとしたら、
シニカルだからではないかと思います。
「親を馬鹿にする」という批判が
あったようですし、「親の権威」に固執する
因襲・反動的な人には、ちびまる子ちゃんは
受け付けないのかもしれないです。
そして反対派(非共存派)には、
そうした因襲・反動的な人は多そうです。
>「サザエさん」をみている
そもそもアニメなんて見ていないのではないか、
という気もしています。
「アニメなんてどれも子ども向きで低俗」
くらいに思っている世代、
ということかもしれないです。
これはサザエさんにも言えますが。
>主人公のおじいさんの弟が亡くなるって
高齢ならあとから産まれたほうが
さきに亡くなることもあるでしょうね。
生前どんな暮らしをしていたかにも
よると思います。
>長生きなキャラが多い気が
>100歳越えの兄妹が(両さんのお祖父さんとその妹)が生きている
遺伝的なものもあるのかもしれないです(笑)
長生きするキャラクタが多い、
ということは、その世界はそれだけ
平穏ということかもしれないです。
「こち亀」については解説ありがとうございます。
わたしはほとんど知らないので、
コメントができないです。
植田まさしの『コボちゃん』の家も、
苗字が異なる家族が一緒に暮らしています。
(あまり話題にならないけれど。)
妻の両親との同居の三世代家族で、
この点に関してはサザエさんと同じです。
https://ebookjapan.yahoo.co.jp/books/102393/A000006026/
コボちゃんはおじいちゃんと苗字が
違っていますが、おじいちゃんは
孫がとっても大好きです。
反対派(非共存派)向きと思われる
フィクションの家族は『クレヨンしんちゃん』が
あるのではないかと思います。
https://www.tv-asahi.co.jp/shinchan/character/
このエントリでお話していることについても、
「典型的」「平凡」で反対派(非共存派)向きと
思いますし、なにより夫婦同姓、家族同姓です。
でも反対派(非共存派)は
話題にすることがほぼないです。
お下品だからでしょうけれど。(笑)
アニメ化する際に、サザエさんのキャラや
作風が変えられてしまい、残念だと思います。
>非共存派はこのことを知らないと
それほどよく知られたことではないですし、
たいていの反対派(非共存派)は
きっと知らないと、わたしも思います。
いかんせん、サザエさんの苗字も
「磯野」だと思っているとおぼしき
反対派(非共存派)もいるくらいですし。