「名誉男性」化した女性議員というのでは意味がない、
という意見もあると思います。
それはもちろんごもっともだと思います。
それでもなお、現状のように女性議員が10%もいない状況においては、
女性議員が増えることはそれだけで歓迎することだ、
ということを述べた記事があるので、ご紹介したいと思います。
「【総選挙2014】多様な女性政治家が誕生するために、
「女性代表」を求めなくていい」
(はてなブックマーク)
この記事は3つの節がありますが、ここで注目するのは最後の
「同じ女として」共感しなくてもいい
という節です。
女性議員が増えることを歓迎するのはどういうことかというと、
「女性の多様化を支持する」ということです。
自分と政策や思想の合わない女性とか、女性の権利に理解のない
女性自身を支持する、ということではないのですね。
女性も男性と同様多様性があって「いろいろな人」がいます。
その中には、女性の権利に理解のない女性をはじめ、
自分がまったく支持できない女性もいるでしょう。
女性議員が増えるということは、そうした女性も入ってくることになり、
その状況も受け入れる必要があるということです。
私は女性の多様化は支持するけれど、「保守派の女性を支持するか」と
言われれば、まったく支持しない。女性の生き方が多様化するということは、
「同じ女として」共感できる女性ばかりではなくなるということだ
女性にも多様性があることを考えれば、どんな女性でも
すべての女性を代表することはできないことがわかります。
その意味で「女性代表」はありえないのであり、
かならずしも「おなじ女性として」支持や共感ができるところや
共通点を探す必要はないことになります。
どんな女性であっても、すべての女性を代表できるわけではないからだ。
多様化ということは、理解できないもの、共感できないものが増える
ということであり、むりやり「同じ女として」の共通点を探す必要はない。
女性にも男性とおなじように「いろいろな人」がいれば、
女性どうしでも意見や利害が合わないことがあって当然です。
「女の敵は女」というのは、「女なみんな一枚岩だろう」という
男性視点の思い込みということになるでしょう。
ブックマークにはつぎのコメントがあります。
「女性代表」という見かた自体、男性による女性の客体視であり、
女性がすくないがゆえの視点ということになるでしょう。
【総選挙2014】多様な女性政治家が誕生するために、「女性代表」を求めなくていい(深澤真紀) |ポリタス 「総選挙」から考える日本の未来
- [女性]
女性政治家を「女性代表」と言うこと自体、男性社会の発想なんだろうな。
2014/12/14 09:44