2015年03月01日

toujyouka016.jpg 「2分の1成人式」の問題

このところ「2分の1成人式」なる学校行事が広まりつつあります。
ふつう親子で参加して、10歳(小学4年生)の節目を祝う行事です。

これは子どもの家庭事情に不必要に立ち入ったり、
家族の多様化や子どもの虐待にまったく無配慮なので、
問題視する必要があることだと思います。
(わたしはこういうのは拒絶反応が出てきます。)

「「生んでくれてありがとう」父母への感謝を述べる“2分の1成人式”に疑問の声」
(はてなブックマーク)
「考え直してほしい「2分の1成人式」--
家族の多様化、被虐待児のケアに逆行する学校行事が大流行」

(はてなブックマーク)
「「名前の由来」「昔の写真」必要か? 2分の1成人式」

 
「2分の1成人式」については、ベネッセのサイトにくわしく出ています。
「9割が満足」「親子で感涙する」などと見出しにあって、
全体的には評判がいいことがわかります。
このあたりが広まっていくゆえんなのだろうと思います。

「9割が満足! 親子で感涙する「2分の1成人式」とは!?」

自治体レベルで導入を進めているところもあります。
愛知県はかなり熱心であり、冊子の発行を行なっています
最初にリンクしたまとめは、埼玉県川口市の小学校で行なわたものです。


行事で行なわれているコンテンツとして、とりわけ問題なのは、
親に感謝の手紙をわたす。親からも手紙をもらう
だと思います。
「親に感謝」というのは「2分の1成人式」の定番のようです。
愛知県が発行している冊子には、「親子でよかった」などという
タイトルが付いているくらいです。

親が毒親とか、親から虐待されている子どもにとって、
親への感謝をすることを要求されることが、どれだけ苦痛であり
深く傷つけられるかは、言うまでもないと思います。
(わたしも問題家庭の子であり、親に抑圧されていたので、
「親に感謝の手紙をわたせ」などと言われたら、
とても苦痛でいたたまれなかったですよ。)

さらには片親家庭の子どもとか、あるいは児童施設にいるなどして
親がいない子どもはどうなるのか、ということがあります。
これらの子たちは感謝をささげる親もいないわけです。
「2分の1成人式」を行なう学校は、
彼らに対してどのように対処しているのかと思います。


もうひとつ大きな問題をはらむコンテンツはこれです。
自分の生い立ちを振り返る(写真、名前の由来)

これは家庭事情というプライベートを詮索することになります。
子どもに隠しておきたい事実がある家庭にとって、
過去の家庭事情に触れることを要求されるのは、
とてもつらいことであり、現在の幸せを壊すことにも
なりかねないこともあるでしょう。

「小4の娘(夫の連れ子)のことについて」
たった10行、「生まれた時の様子」が書いてあげられません。
夫は出産の知らせがもらえず、初めて娘と会ったのが生後1ヶ月半です。
(できちゃった結婚で、妊娠7ヶ月で別居、生後2ヶ月で離婚です。)
娘の1番小さい時の写真は、離婚後夫に引き取られた
生後2ヶ月半の時のものです。生まれてすぐの写真はありません。
写真もない、生まれてすぐの様子もわからない。


「2分の1成人式」はつぎの想定をしていると言えます。
--------
1. 子どもには父親と母親が揃っている。
(片親家庭や親のない子はいない。また現在の父親と母親が実の両親で、
親が再婚したといった複雑な事情もない。)
2. 親はかならず子どもに感謝されることをしている。
(毒親、問題家庭、子どもの虐待は存在しない。)
--------

これも日本で家族に関して因習・反動的な人たちが信仰している
「家族思想」のあらわれなのかと思います。
さきの愛知県の冊子にも「親と子の絆メッセージ」とあります。
彼らの信仰の中では、1.はもちろんですが、
親はかならず子どもに感謝される存在なのでしょう。

「家族思想」の信奉者たちは、信仰に合わない「異教徒」を
「存在しない」ことにして排除しようとします。
「2分の1成人式」も虐待親の子どもなどを
みずから「異常」と思わせ、隠れようとさせる効果があるのでした。

「サバイバーから見た「2分の1成人式」〜エピソード1〜」
加えて同級生の素敵な家族のエピソードを聞かされ続ける事で、ダメージは増す。
自分だけが変なんだ、異常なんだと思いかねない。
そんな事を、小学生の自分にさせたくない。

「新しい学校行事「2分の1成人式」」
「学校で,『子どものために尽くすのが母親だ』とか,
すごく家族愛みたいなものが強調されていた。
『それが普通で当たり前で,ノーマルだ』って言われて,
だから,うちみたいな家庭のことは,隠さないといけないんだと思った」--
これは,私がかつて出会った,児童虐待の被害者(いまは成人)の語りである。



posted by たんぽぽ at 16:55 | Comment(2) | TrackBack(0) | 家族・ジェンダー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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この記事へのコメント
まったくその通りですね。
なんで半人前のお祝いしなければならないんだろう、というのが一番の疑問。
世話になった人に感謝しなければならないぐらい自立してない人間が、成人式と名のつくお祝いなんてするな、と思います。
また、いちいち人から感謝されなきゃモチベーションを維持できないなら、親なんてするな、と思います。
もし感謝する必要があるのなら、卒業、就職、結婚式、誕生日・・各々必要な場面でやってくださいって感じですね〜。
Posted by うがんざき at 2015年03月02日 12:32
このエントリにコメントありがとうございます。

>なんで半人前のお祝いしなければならないんだろう、

そうそう、10歳になったからなんだ?というのがありますよね。

わたしの想像だけど、中間にあって児童全員で
お祝いできる行事が欲しかったのではないかと思います。
誕生会だとみんなばらばらだし、入学式は児童どうしが
まだおたがい知らないし、卒業式は最後だから
このあとみんないなくなってしまいますからね。

そこへ例の「家族思想」の人たちが乗っかって、
いまのようになったのではないかと、わたしは憶測します。


どうしてもやりたいなら、子どもだけの行事にすればいいと思います。
親は登場しない、そうすれば「親への感謝の手紙」もなくなります。
もちろん産まれてからのおいたちとか、
家庭環境を掘り返すようなこともしないようにします。
Posted by たんぽぽ at 2015年03月03日 22:30
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