昨年の3月29日にイングランドとウェールズで、
同性結婚が法的に認められるようになったのでした。
「イギリスの同性結婚法案」
「英国で同性婚法案が施行」
イギリスにも同性結婚に反対している人たちはいます。
彼ら反対派は同性結婚が認められたあかつきにはどうなるかの、
さまざまな「予測」を主張していました。
その「予測」がことごとくはずれたという記事があるので、ご紹介します。
「英国同性婚実現から1年。反対派の予言はこんなに外れてました」
(はてなブックマーク)
「One year on: 10 predictions about same-sex marriage
that didn’t come true」
同性結婚の反対派が展開していてはずれた「予測」として、
つぎの10項目を挙げています。
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1. 近親相姦は合法化されず、ノーマン・テビット(Norman Tebbit)卿は
いまだ兄弟と結婚していない
2. 天が裂けて聖書にあるような嵐が起こったりしなかった
3. 動物性愛者の権利運動は始まらなかった
4. 死者が墓から蘇って「死体性愛(ネクロフィリア)の日」を祝ったりしなかった
5. 教会やモスクが同性同士の結婚式を挙げるよう「強制」されたりしなかった
6. 平等な結婚に反対する教師が大量解雇されたりしなかった
7. 小児性愛は今なお違法
8. 誰かのアナルから悪魔が出てきたりしていない
9. 「ジェダイ婚」が無理やり法制化されたりしていない
10. 復活したイエスが男性との結婚を強いられたりしていない(今のところは)
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ここには「教会やモスクが同性結婚の挙式を強要される」とか
「同性結婚に反対する教師が解雇される」といった、
わりあい現実的なこともいくつかあります。
中には「死者がお墓からよみがえる」とか「おしりの穴から
悪魔が出てくる」とか、オカルトまがいのものもあったりします。
これらは極端な意見なのだろうとは思いつつ、
こういうことをまじめに主張していたのかというと、
たかがオカルトとも言えなくなって、ちょっと嫌になってきます。
ほかに「動物と結婚したい人が出てくる」とか
「子どもと結婚したい人が出てくる」といったものは、
日本の同性愛反対派の中にも言う人がいそうな主張だと思います。
2.は、デービッド・シルベスターというイギリス独立党の地方議員のことです。
このかたは、イギリスで数週間も暴風雨が続くのは、
同性結婚に対する神の怒りだ、などと主張したのでした。
このシルベスター氏は、かかる発言で党員資格停止処分を受けました。
「洪水の原因は同性結婚?」
5.については、同性結婚の挙式をしたくない宗教団体は
式を行なわなくてよいことが決められています。
教会によっては、同性結婚の挙式の禁止を続けているくらいです。
「英政府、同性婚合法化の法案発表 イングランドとウェールズで」
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ただし、同性間の結婚式を望まない宗教団体に対して、
式を取り行うよう強制することはしないとした。
また、イングランド教会とウェールズ教会は、同性婚を禁じた
教会の規定が改正されない限り、式を行うことは禁止される。
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7.については、先日渋谷で配っていた反同性結婚のビラも、
「同性結婚を認めたら、学校で同性愛はふつうだと
教えなければならないのか?」と主張していました。
学校教育への影響というのは、どこの国でも反同性愛の人たちが、
敏感になりやすいところなのかもしれないです。
「渋谷で反同性愛のビラ」
ここに挙げたような「これを認めたら、あれもそれも認めることになる」と
因果関係もはっきりしないのに結びつけるのを
「危険な坂道」論法とか、「ドミノ理論」なんて言ったりします。
この論法が当たることはまずないです。
もともと因果関係がないのだからとうぜんと言えます。
「危険な坂道」や「ドミノ理論」が出てきたら、
まず「とんでも」と思ってまちがいないです。
「これを認める」ことで「あれもそれも認めることになる」ことに
ならないかどうかは反証不可能なことではあります。
そしてなにより不安をあおる効果があるので、
まともな反論ができないけれど、反対したいという人には
都合がよいので、持ち出されることがあります。
日本でも同性結婚の反対のために、「危険な坂道」論法を
持ち出す人は、ときどき見かけることがあります。
選択的夫婦別姓の反対のために持ち出す人もよくいます。
「結婚制度がなし崩しになる?」
このような「とんでも」理論に対する扱いは、
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自分としては、こういうトンデモ説への対応は、
時間と気力があれば丁寧に反論するもよし、
ミサワ風に「へぇーこの主張2年くらい前に流行ってたよね
2年くらい前に見たわ」と流すもよしだと思ってます。
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ということでよいと、わたしも思います。
ふたつのスタンスのうち、どちらでもよいと思いますよ。
過去に根拠のない「とんでも」な主張を振り回して
不安をあおって同性結婚に反対してきた人たちは、
一連の言動に対して責任を取らせる必要はあると言えます。
また今後も、べつの課題で「危険な坂道」論法を
持ち出す人が出てくることがあるでしょう。
その意味にていねいに検証する必要があることだと言えます。
こういう「とんでも」をまともに相手する気なんて、
起きないというかたもいると思います。
それよりは同性結婚が認められたことにともなって、
自分の生活を改善するほうが大事だろうと思います。
また終わった課題にこだわるより、まだ残っている
性的少数者の課題に取り組んだほうがいいとも言えます。
そのように考えるかたは、一連の反対論を
「過去のくだらない主張」として流せばよいと思います。