フジテレビの「バイキング」で佐藤ゆかりが選択的夫婦別姓の
反対論を展開したのですが、今度は積極的に現行の同姓強制を
維持する「根拠」について見てみることにします。
「佐藤ゆかり、フジテレビの「バイキング」で、選択的夫婦別姓の反対論を展開」
佐藤ゆかりは、なにを言っているのかというと、
結婚する以上負担があるのはとうぜんだということです。
それゆえ現行法の結婚改姓の強制派必要だと言いたいわけです。
このような主張をする反対派(非共存派)は、それなりにいると思います。
佐藤ゆかり議員。婚姻に改姓という負担があるのは社会の一員となるにあたってその覚悟を……みたいな。後で録画を確認するけど、だったら多くの場合改姓しない男性はどうなのかと。
— 破レ傘(横浜駅取材班) (@kenketsumiyagi) 2015, 4月 10
フジテレビの「バイキング」で佐藤ゆかり議員「人生をですね、そこから先一緒にやっていこう、家庭を築こう、社会の一員として責任の一端をになっていこうと、そういう決意で婚姻をするわけですから、(続く
— 破レ傘(横浜駅取材班) (@kenketsumiyagi) 2015, 4月 11
続き) そういう面倒くさいことをあえてすることでその重みといいますか、婚姻の解消がペーパーレスにやれるような時代になっちゃいけない。たくさん負担をかけたほうがいい」
……とのこと。婚姻に「家庭を築」く意味はあるだろうが、独身でも「社会の一員として責任の一端をにな」うだろうに(続く
— 破レ傘(横浜駅取材班) (@kenketsumiyagi) 2015, 4月 11
結婚すると社会の一員となるというのが、わけがわからないです。
結婚していない人も「社会の一員」ですし、「責任の一端」を担っています。
佐藤ゆかりにとっての「社会」は、結婚している人だけで
構成されているのでしょうか?
それからあらたに「社会の一員」となるからといって、
入り口で負担の覚悟をしなければならない理由がわからないです。
これから「責任の一端」を担うなら、今後が大変なのですから、
余計な負担などないに越したことがないです。
佐藤ゆかりは「婚姻の解消がペーパーレスにやれるような
時代になっちゃいけない」とも言っています。
離婚が容易になるのを防ぎたいなら、
離婚の手続きのハードルを高くすればいいことです。
結婚のハードルを高くしておけば、離婚する人が減るというのなら、
そういう事実をしめすデータを見せていただきたいです。
結婚に必要な「負担」が改姓である必然性もわからないです。
負担を増やすのが大事だというなら、たとえば婚姻届けを出す際
高額の手数料を課すということも考えられます。
続き)、なぜ《婚姻において》《片方にのみ》改姓という負担をかけるのか。負担が必要というなら婚姻届に高額な手数料でもかければ良いのではないか。
— 破レ傘(横浜駅取材班) (@kenketsumiyagi) 2015, 4月 11
不必要に負担を強いられて苦労するのがエラいんだ、
という発想は、日本社会では結構見られると思います。
「手作りにこそ愛情がある」なんて、「手作り信仰」がやたら強いのも、
「苦労するのがエラい」という信念の現れと言えるでしょう。
おなじものでも苦労して得れば貴重なものになる、
という発想でもあるのかと思います。
結婚の負担を増やすことで離婚が減らせるなどと考えるのも、
こうした発想の現れではないかと、おそらく思います。
おなじものを得るなら楽に効率よく得たほうが
いいに決まっていることです。
それでもこういう「苦労信仰」は、自分でやっているだけなら、
「勝手にすれば」でまだすむと言えます。
ところが「信仰」だからなのか、往々にして望まない他人に
強要してくるから、嫌になってしまいます。
佐藤ゆかりをはじめ、選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)も
日本社会に蔓延する「苦労信仰」を楯に取ったということだと思います。
そしてこれは効率重視という観点からは、
まったく不合理であることは、言うまでもないことです。
結婚改姓しないほうが、負担が少なくて具合がいいことは、
あきらかすぎて、非共存派たちも正面から反論できないのでしょう。
それで「苦労するのがエラいんだ」という、
自説に都合のいいカチカンを持ち出すのだと思います。
これも一種の「感情的反発」だと思います。
現行法では改姓を要求されるのは、夫婦のどちらか一方です。
そして多くの場合女性が改姓します。
改姓しない男性は、「負担の覚悟」も「面倒くさいこと」も
あえてなにもしないのですが、「社会の一員」となって
「責任の一端」を担うのにそれでよいのかと思います。
非共存派がいくら「苦労信仰」を力説しても、
結婚改姓が非対称であることは、納得できる説明がないことです。
多くの場合改姓することのない男性が、なぜ「負担」をしなくて
エラくなくてもかまわないのかも、説明がつかないことです。
結婚改姓が社会の一員となる決意表明というのであれば、その素晴らしい発露を女性のみに謳歌させるのは非常にもったいないのです。
ですのでここはひとつ、妻が夫の姓を名乗るのと同時に、夫が妻の姓を名乗るようにしてはいかがでしょう。
そうすれば負担が2倍になって苦労も増え、まさしく社会の荒波に立ち向かう覚悟を、お互いに実感できるようになるでしょう。そして同じ苦労を分かち合うことで、夫婦仲も深まるに違いありませんよ!
って、こんなネタ、とっくに誰かが言っていそうな気がしますけど、、、。
>妻が夫の姓を名乗るのと同時に、夫が妻の姓を名乗るようにしてはいかがでしょう。
それはよいアイデアですね。
名字を変えて苦労するのがそんなに大事なら、
女性だけ改姓して男性は改姓しないのはおかしいですからね、
夫婦の双方が改姓するようにする必要があると思います。
おたがいの名字を入れ替えたら別姓になるからイカンと、
非共存派たちは言うのかな?
そういう場合は、「夫婦新姓」という方法があります。
これなら夫婦の双方が改姓の苦労ができて、夫婦同姓になれますね。
>こんなネタ、とっくに誰かが言っていそうな気がしますけど、、、
本当ならこういうのは、非共存派が提案してしかるべきですよね。
改姓の苦労を背負うのがエラいと言っているのですから、
彼らがその苦労がない男性の対処を考える必要があるはずです。
なぜか非共存派たちはこの手の具体案をしめすことはなく、
対案はいつも賛成派から出てくるのですよね。