「生物学的」と言い出す人は、たいてい生物学がわかっていないと思います。
てか、「生物学的」持ち出すやつが生物学分かってることは基本的にない、が、あらゆる生物学系専門収めてる人の共通意見って感じ……。
— はなびら葵 (@hollyhockpetal) 2015, 5月 17
具体的には、「性別役割分担は哺乳動物の一員として自然」とか、
「生物の目的は子孫を残すことだから同性結婚は反対」があると思います。
「性別役割分担は合理的?(3)」
「同性結婚と生物の目的?」
ほかに「母性本能」とか「性欲は男の本能だから」もあります。
「母性本能の信者がいた」
「生物学的に壊れた?」
イルカを引き合いに出して、保育所に子どもを預けることに
反対する人もいました。
「イルカと託児所」
男女で脳の構造が違うと言って、性別役割を肯定する人もいます。
また脳科学的に同棲はよくない、という人もいたのでした。
「男女脳の違い?」
「同棲はよくない?」
「進化生物学が根拠だ」と標榜している、
最近話題の「恋愛工学」もここに並べてよさそうです。
「恋愛工学が話題らしい」
こういう人たちにかぎってなぜ「生物学的」と言いたがるのかですが、
本当に生物学的なら、わざわざ「生物学的」と言わない
ということもあるのかもしれないです。
つまり「生物学的でない」という意識がどこかにあるから、
ことさらに「生物学的」と断わりたがるのだろう、ということです。
人類の歴史は「生物学的に自然でない」ことを続けてきたと言えます。
ヨーロッパの科学技術観に「人間が自然を克服する」という考えがあります。
まさに人類は自然状態に逆らって、科学技術を発達させてきたからこそ、
食料生産が増えたり病気が治せるようになったりして、
健康的な生活ができて平均寿命が伸びたということです。
同性愛は生物学的に正しくないと非難する人がいますが、それは違います。生物学的に真っ当であろうとするなら、ヒトは早く病に倒れなくてはなりません。同性も異性も虐げ多くの子供を残さねばなりません。叡智をもって「生物学的に正しくないこと」を実現してきたことこそが人類の偉大さの証なのです。
— 細 将貴 (@MasakiHoso) 2015, 5月 25
「生物学的に正しい」という概念が、そもそもおかしいのですよね。
生物学をはじめ自然科学の目的は、科学的事実がどうなっているかを
あきらかにしてそれをしめすだけです。
「正しい」とか「正しくない」という価値判断は含まれないです。
@e_liot そもそもの話をするなら、生物学的に正しい、なんて表現が意味不明ですね。過去の自然選択に洗われて現在こうなっている、というだけの物理的な話を「正しい」と評するのが間違いです。
— 細 将貴 (@MasakiHoso) 2015, 5月 25
自然科学的事実から、人間社会の価値判断や規範を導くのは、
「自然主義的誤謬」と言われるものです。
科学的事実という否定がむずかしいものを持ち出せば、
道徳やイデオロギーを正当化しやすいと考えるのでしょう。
「自然主義的誤謬」
たいていの場合こうした人たちは、正当化したい道徳や価値判断に
都合のいい科学的事実だけを持ち出すという、
恣意的なものであることが多いです。
科学ではなくイデオロギーであることが現れているということです。
道徳や価値判断を正当化したい側が「生物学的」と
言い出したとき、それに反論する人たちが言いたいのは、
「生物学は根拠にならない」ということです。
「同性愛は生物学的に正しい」とか「母性本能は生物学的に間違っている」
と言いたいのではない、ということです。
「同性愛は生物学的に間違っている」に対して、そんなことないよと反例を挙げるのは、「だから生物学を根拠にするな」であって「同性愛は生物学的に正しい」と言いたいわけではないのだ。生物学や物理学を社会的規範の根拠にするなということです。
— 鱗屋うろこ (@urocoya) 2015, 5月 26
同性愛の賛成派や母性本能を否定する側は、
自分から「生物学的」なんて根拠にすることはないですね。
同性愛の反対派や母性本能を肯定する側がから、
「生物学的」と言ってくるので、それに反論する必要から、
生物学のお話をするというだけです。
付記:
生物は非常に多種多様だというお話。
「#生物の多様な生殖 まとめ」
同性婚にしても、女性の就労についても、何かというと「生物学的に正しい」だの「哺乳類として正しいあり方」だの、訳のわからない事を言う人がいる。生物屋としては、ちょっともの申しておきたい。#生物の多様な生殖
— 飯島明子 (@a_iijimaa1) 2015, 5月 25
「「本質的に」という言葉は「俺の言いたいこと」に置き換えて読むといい(大意)」
とありました。「生物学的」も、そうやって置き換えて読むといいですね。
だいたい、生物がどうやって暮らしていても、異なる種であるヒトの生き方や社会構成には、たいして関係のない話です。現代社会で、大勢が幸せになるにはどうしたらいいか、だけを基準に考えればいいですよね。
ではアンコウの生態を基準に考えるのであれば、世の中の男性はおわゆる「ヒモ」のような生き方が、アンコウ式生物学として正しいわけですね。
なるほど。
男性としてははなはだ遺憾ではありますが、生物学的に正しいのであれば、致し方ないですね。自分も寄生できるメスを探しましょうか。
ちなみにカマキリのオスは生殖後メスに食べられちゃうそうですけど、、、生物学的にどうなんでしょうね。
やはり人間は大脳が発達しているので民主主義が理想だから選挙で議員を決めましょうとか、かなり他の生物と違ってきますね。
アルコールを飲むことでブレーキが利かなくなり、暴力やワイセツ行為を起こし「酔っていて覚えていません」とか。
昔の人が酒をキ○ガイ水と言ったのは、高等動物の人間を原始的野蛮にしてしまう作用があるということでしょうね。
脳科学については「大脳生理学」という分野があっても、脳科学という分野や学問はないということですよね。
脳科学者との肩書きで活動、書籍を書いている人もいますが、脳科学として正しいとか間違えているという以前に脳科学者なるものが存在しないのにと。
その肩書きで書かれている本を読んだことがありますが、すごく基本的なところで完全に間違えていて、そういう意味でも信用してはならない人々です。
>「「本質的に」という言葉は「俺の言いたいこと」に置き換えて読むといい(大意)」
「本質的に」ということばも要注意ですね。
わたしもむやみに使わないよう気をつけないと。
>生物がどうやって暮らしていても、異なる種であるヒトの生き方や社会構成には、
からだの作りがぜんぜん違いますからね。
ほかの生物種がどう暮らしていようと、
人間の暮らしとは無関係なはずなのですよね。
>現代社会で、大勢が幸せになるにはどうしたらいいか、だけを基準に
まったくですよね。
人間は人間の中だけで考えればいいことです。
「生物学的に」などと言う人は、ようはだれかの不幸を当然視していて、
それを正当化したいということになりそうです。
>アンコウのオスはメスに寄生して一生を終えるそうですね
>ちなみにカマキリのオスは生殖後メスに食べられちゃうそうですけど、、
「生物学的に」という人たちは、こういうのは例に出さないのですよね。
「生物学的に」というのが、道徳やイデオロギーであり、
都合のいいものを恣意的に持ち出す、ということだと思います。
(それとも、「お魚や虫は人間と種が遠すぎるからだめ、
もっと近縁の哺乳動物でないと」とか言い出すのかな?
この「近縁」もどこで線を引くか恣意的だったりするのだけど。)
>自分も寄生できるメスを探しましょうか。
がんばってくださいね(笑)
また関係があるんだかないんだか、
よくわからないことを書いていらっしゃりますね。
真ん中のお酒のお話はどう関係があるのかと思います。
ヒラリーさまの文章がわかりにくいことと、
関係ないお話をやり出すこととは、たがいに関連がありそうに思います。
人間が他の生物とまったく違うのは大脳の発達ですが、これは理性の有無でもありますよね。
酒の話と何が関係あるかは、酒によってその理性がなくなる場合がある。ストレートな欲望、欲求が優先になってしまうということです。
性欲等の欲求が消滅しては困るのですが、理性がなくてはもはや人間と言えませんから、理性抜きで本来生物として、と展開する人は人間社会の秩序をまったく考慮していないのではと思います。
お酒を飲むと大脳の機能が低下するのは、わたしも知っていますよ。
このエントリの主旨で、人間は大脳が発達しているということから、
お酒のお話に持って行ったら、かなりお話が外れることになりますよ。
ふと思ったんですけど、生物学的にって言っている人々の持ち出す動物って、社会性を持っていることが条件なんじゃないですかね。
もっとも生物層における社会性っていう話になると、これは生物学じゃなくて社会学になりますよね。
たしかに社会学であるのならそうした動物たちの社会性と人間の作り上げた社会との比較などもしますね。もっとも、あくまでも比較であって、どちらが優れているとか、どちらが正しいとか言うわけじゃないですけど。
生物学的な視点からそういうものを見る場合には、それらは習性ってことになるんじゃないでしょうか。で、習性はたとえ近縁種同士でも、住む場所とかによってかなり違っていたりするんですよね。
>たしかに社会学であるのなら
>あくまでも比較であって、どちらが優れているとか、
>どちらが正しいとか言うわけじゃないですけど
>生物学的な視点からそういうものを見る場合には、
>それらは習性ってことになるんじゃないでしょうか
動物の社会性と人間との関係は、そんなところのようですね。
動物の社会性は、人間が採り入れられるわけではないとか、
採り入れなければならないわけではない、ということもあると思います。
最初の「生物学的にって言っている人々の持ち出す動物」ですが、
「自分が信奉する規範やカチカンを正当化するのに都合がいい動物」
ということになるのではないかと思いますよ。
このエントリで書かれているのは、本来は社会学や人類学の分野から考察すべき問題を、より根源的な学問である生物学の分野から考察することで解決できるとする「生物学還元主義」の見方ですね。
生物学が取扱う生命現象も、化学反応・物理現象が複雑に絡み合った事象(複雑系)に過ぎず、究極的には物理学や化学で解ける問題だとする「物理化学還元主義」の見方もあります。
還元主義についてはWikiが良くまとめられていると思います。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%84%E5%85%83%E4%B8%BB%E7%BE%A9
例えば、先進国を中心として起こっている少子化高齢化は生物学の観点(密度効果)では説明不可能な現象で、社会学の観点で考えざるを得ませんし、同性愛や避妊性交といった繁殖に繋がらない性交は自然(生物学)の摂理に反するという意見はしょっちゅう見かけますが、その是非について生物学はいかなる回答も持ち得ません。
少子化は密度効果では説明できない旨のヤフー回答
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12128601737
同性愛など繁殖に繋がらない性的嗜好は生物に普遍的である旨のヤフー回答
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10134475975
また、婚姻制度についてもヒトをハレム型一夫多妻制の動物に擬えて、一夫多妻制にすべきという意見もしょっちゅう見かけますが、こちらもヒトの♂の性質は彼らとはずいぶん違います(彼らは妻子の扶養をほとんど行わない)。文化人類学の観点で各民族文化を俯瞰的にみればヒトは生物として一夫一妻型から緩やかな一夫多妻型の性質を持つと考えるのが妥当ですし、ヒトの膨大な文化的所産の影響度合いを考えれば、ヒトが持つ生物学的特徴にそれぞれの分化が束縛される必要はないです(文化的多様性の否定につながる)。
少子化は一夫多妻制導入では解決できない旨の私のヤフー回答
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11135764716
一方で、ヒトは他の動物と違うから他の動物の生態はヒトの生き方を考えるうえで一切参考にならないとする単一視点(学問)完結主義も、還元主義と同じくらい危うい見方だと思います。
これと似た論理構造を持つ意見として、「フランスの少子化改善事例は日本とは文化が異なる国であるから一切参考にならない」とする考え(日本のアンチフェミニストは大抵こういう主張をする)がありますが、こういう盲目的見解は科学における総合(事象を包括的に捉えること)と分析(事象の細部を細かく要素ごとに分化して考えること)に大きな障害となります。相違点があるのであれば、俯瞰的にみてそれぞれがどんな立ち位置にあるのか、要素ごとに細かく見てどんな違いが見いだせるのかについて考えるのが科学的、建設的な見方と言えます。
例えば、女性の社会進出と出生率との関連について、日本のように女性への社会的格差・差別がはびこっていて育児と仕事の両立が困難であるといった社会・文化的成熟度が低い地域では女性の労働力率上昇は出生率にマイナス効果をもたらし、北欧やフランスなど社会・文化的成熟度が高い地域はプラス効果をもたらすため、安倍政権のように女性の権利は蔑にしたまま女性を闇雲に職場へ放り出すのはフランスなどと違って出生率にマイナス効果を与える、というように、彼我の相違点にきちんと焦点を当てて考えるのが望ましい見方です。
社会現象は生物の一つであるヒトが作るものである以上、生物学で解ける(はず)とする還元主義や、日本の社会現象を考えるうえでフランス社会などは一切参考にならない、あるいはヒトの婚姻制度は社会学の問題であり生物学など一切考慮しなくても良いとするような単一視点完結主義に陥らないよう、なるべく多くの分野について学び、それぞれの担当領域を理解したうえで学際的に考えることでより深く建設的な見方が可能になるでしょう。
誤:
分析(事象の細部を細かく要素ごとに分化して考えること)
正:
分析(事象の細部を細かく要素ごとに分解して考えること)
追記。
理性はヒトに特有のものだと考えているような、生物学に全然興味がない方もおられるようですが、理性は他の生物にもかなり広く認められる脳の情報処理機能です。
理性についてのヤフー投稿
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1478494244
その方は社会学、人類学、国文学などにも全然興味なさげである一方、(私が苦手としている)芸能情報やY談への関心は強そうですが、どうしてそんな人が当ブログに常駐しておられるのか不思議ですね。きっとたんぽぽさんの類稀なる人望と忍耐力の賜物でしょうけど、私はイマイチ忍耐力に欠けるので、内容の逸脱や支離滅裂以前に、自分のブログに薄っぺらな内容の投稿があるのを見た時点で無警告削除してしまいそうです・・・・。
このエントリにコメントありがとうございます。
>「生物学還元主義」の見方ですね。
「生物学的」といってもそちらということですね。
社会活動も人間という生物の営みなのだから、
究極的には生命現象であり、生物学の知見で説明できるはずだ、
というのは、一定の妥当性がある考えかただと思います。
現実の社会現象は複雑なものも多く、生物学まで還元すると
うまく理解できないことも多々ありますね。
説明できる範囲を理解しているというのは、
すべての実証的な態度の基本だと思います。
そういう適用範囲をわきまえないのが、
このエントリで取り上げた人たちなのだろうと思います。
>「物理化学還元主義」の見方もあります
生体内で起きる現象は、すべて通常の化学や物理の範疇を超えない、
というのは「セントラルドグマ」として
生物学とくに生化学の共通認識になっていますね。
生命現象を化学や物理でどこまで理解できるかという問題はありますね。
分子レベルなら問題ないでしょうけれど、
細胞レベルになるともう難しいことがあるかもしれないです。
>少子化は密度効果では説明できない旨のヤフー回答
>http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12128601737
ご紹介ありがとうございます。
少子化が起きている国と人口密度とが相関していないことからも、
「密度効果」が関係ないのはあきらかですね。
>同性愛など繁殖に繋がらない性的嗜好は生物に普遍的である旨のヤフー回答
>http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10134475975
人間以外の動物にも同性愛は一般的に見られるというのは、
よく指摘されることですね。
http://matome.naver.jp/odai/2135536573867944301
http://bit.ly/1HnJDnE
同性愛の反対派は「動物に同性愛はない」と自信たっぷりに
断言して簡単に反論されることは、しばしばありますね。
>http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11135764716
一夫多妻制がうまくいかないのは、子どもの養育費を
支えるだけの経済力がないことが大きいですね。
いまでさえ国民全般の収入が減って、専業主婦を養えないどころか、
結婚さえできない人が増えているのに、一夫多妻制が維持できる
経済力をどうやって保証するのかと思います。
一夫多妻制を言い出す人は、「終戦直後の感覚に帰れ」と言うのと
同じくらいの無責任さがあると思います。
http://taraxacum.seesaa.net/article/407406699.html
http://taraxacum.seesaa.net/article/407726309.html
一夫多妻制を言い出す人は、たぶん男性だと思うけれど、
べつの下心があるのではないかと思います。
>これと似た論理構造を持つ意見として、「フランスの少子化改善事例は
>日本とは文化が異なる国であるから一切参考にならない」とする考え
>(日本のアンチフェミニストは大抵こういう主張をする)
そういう極端に触れちゃう人もいるのですよね。
外国のほうが優れていることが受け入れられない人に、
よく見られるパターンだと思います。
>なるべく多くの分野について学び、それぞれの担当領域を理解したうえで
>学際的に考えることでより深く建設的な見方が可能になるでしょう
両極端がイカンのですよね。
でも両極端のどちらかに走る人は、残念ながら少なくないです。
どちらかの極端に走ると「わかりやすい」からなのでしょうけれど。
>理性についてのヤフー投稿
>http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1478494244
こちらはご紹介ありがとうございます。
人間は大脳新皮質がとりわけ発達しているけれど、
人間だけのものではないということですね。
残念ながらわたしのブログには年に1-2人くらい、
そういう人がお越しになります。
(4回くらい出入り禁止にした人もいる。(苦笑))
>きっとたんぽぽさんの類稀なる人望と忍耐力の賜物でしょうけど
ご評価ありがとうございます。
でもわたしは人望はないですよ、人から嫌われることが多いです。
むしろ人望がないから、変な人が寄ってくるのかもしれないです。
忍耐力は無駄にたくさんあるのかもしれないです。
ふつうの管理者ならとっくに出入り禁止にしているのに、
わたしはなかなかそうしないで続けることが多いので。
>自分のブログに薄っぺらな内容の投稿があるのを見た時点で
>無警告削除してしまいそう
それはわたしも気になることがあります。
質の低い投稿や変な内容の投稿がたくさんあると、
「ここはそういう投稿をしていいところ」という雰囲気が
できてくるのですよね。
わたしももちろん、自分のブログのコメント欄の質は
一定以上に保ちたいと考えていますし。
還元主義や単一視点完結主義に走ってしまうと、当人は解った気になりやすく、そこで考察が止まってしまいやすいです。
少子化解決手段に一夫多妻制導入を主張する人については、たくさんの妻子を養うための原資をどう確保するのかについての考察が抜け落ちている場合が多いですね。そもそも、日本を含む先進国では裕福層男性がそもそも結婚を志向しないという現実を無視していますし、(男性の婚姻率は年収に比例するが、1000万円を超えると逆に低下する)未婚率が上がると男性からの妻子扶養額の絶対値が減少することに考えが及んでいないのですよね。それ以前の問題として、イスラム世界を含めた一夫多妻婚が存在する民族社会への研究で、女性一人あたりが産む子供の数は一夫一妻の場合よりより少なくなることが明らかになっており前世期の段階で決着のついた問題です。
ライオンやオットセイのように♂がほぼ妻子扶養を行わないタイプの動物のハーレムの王の立場になるのを望んでいるのかもしれません。
こうした典型的なハレム型一夫多妻型動物社会は私たちの価値基準に照らし合わせると、個体あたりの経済資本となるテリトリーの広さ、および繁殖可能性において構成員の♂♀の間で著しい差があることから、典型的な男尊女卑社会と言えそうですが、こうした男尊女卑社会では一般に雄の生存率は雌と比べて格段に低く、繁殖適齢期までに飢えや病気、闘争などで死んでしまった多数の雄の屍の山と、群れから疎外されたあぶれ雄を出すことよって成り立っています。ちなみに、トラやクマなどの単独生活者も雄は雌の数倍ものテリトリーを持っており、(時間差)一夫多妻型配偶システムです。これまた同様に、自立してテリトリーを獲得する際に飢えやテリトリー争いで死んでしまう割合において雄の方が格段に高いためにそうなっています。
ところが、この手の主張をする人はこうした暗部を直視しない人が多いように思えます。
戦乱のあったころのような昔はともかく、今の日本社会は男性の生存率が女性より格段に低いということはなく、一夫多妻型婚姻システムや男尊女卑より一夫一妻型婚姻システムや男女平等の方が生物学的に「親和性は高い」とは言えるでしょう。
ただ、人間社会には膨大な宗教・科学技術・社会システムといった膨大な文化的蓄積があるので、かつては一夫多妻婚や男尊女卑型社会構造を生み出した生物学的基盤(大きく偏った性比により希少側の性が個体あたりで多くの経済的、生殖上の利得を得やすくなる構造)が失われてもなおそうした社会が続いていることが多々あり、文化人類学や社会学などの見地からの解決策の提示が必要です。
そこで、たんぽぽさんがおっしゃる「非モテ男性」「弱者男性」の生態や精神構造を考えると、まずは生物学の見地から考える方が合点がいきやすいのではと思います。
弱者男性は正攻法で配偶者を獲得できず、隙を狙って卑怯な手段でそれを得ようとする「スニーカー」に相当すると思います。スニーカーについてはおそらくご存知かと思います。
卑怯な生き方についてヤフーに書いたことがあります。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12117656382
↑に書いたような、雌から選ばれた雄の隙を突いて雌の産卵に合わせて物陰から飛び出して放精するサケや、ゾウアザラシではハーレムの王が眠りについた隙を狙ってハーレムを構成する雌にのしかかって自由を奪い強制交尾するあぶれ雄などがそれに当たります。
これを人間社会にアレンジしたのが彼らです。正攻法で強者♂と争うのは鍛練するのが面倒で傷つくのが怖くてできない、立場が弱い♀(ゾウアザラシの場合、雌は雄より格段に小さく非力、男尊女卑の人間社会では女性は差別構造によって経済的に弱い立場に置かれていることが多い)に対しては、それを利用して居丈高になり、目的を達するといった点で酷似しています。
私もこの手の人と議論してみて、男女平等社会の方が弱者男性(彼らは草食系などと自称していた)にとって婚姻可能性や経済面で有利であると説いてもなかなか納得されず、どうして彼らの多くがアンチフェミニズムな主張を曲げないのか不可思議だったのですが、このようなスニーカーの生態や精神構造を正当化するのに理屈付けしたものだと考えれば納得しやすいと思います。
それどころか、男性の自殺率が女性より高いことや徴兵制のある国の兵役義務、おごりの習慣などを男性差別と主張してはばかりません。なお、兵役などはともかく、自殺率の性差は社会的処遇差によるものではなくむしろ生物学的な差によるものだとみる方が妥当です。
男女平等社会は基本的に男女で育児を分担するものですが、スニーカーはそうした負担から逃れ、一方的に相手に押し付けようとします。
>たくさんの妻子を養うための原資をどう確保するのかについての考察が
>抜け落ちている場合が多いですね
子どもは産むだけでなく育てる必要があることが、
わかっていない人がたくさんいるようですね。
前述の「終戦直後の感覚に帰れ」もそうだし、
「同性結婚で少子化が進行する」という人もそうだと思います。
>この手の主張をする人はこうした暗部を直視しない人が多いように思えます
よくありがちなことだと思います。
自分が「勝ち組」として残ったときのことばかり夢想するのですよね。
自分が淘汰される可能性のほうがずっと高いことは、
ぜんぜん念頭にないのですよね。
こういう楽観的な強者思考は、なぜにできるのかと思います。
>卑怯な生き方についてヤフーに書いたことがあります。
>http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12117656382
ご紹介ありがとうございます。
「スニーカー」のことは、あまり詳しくなかったです。
>このようなスニーカーの生態や精神構造を正当化するのに
>理屈付けしたものだと考えれば納得しやすい
そのようにも考えられますね。
彼らは本来の原因である「強者男性」や「男社会」にはものもうさず、
女にはねちねちねちねち絡みますしね。
http://bit.ly/18kzgzg
>男性の自殺率が女性より高いことや徴兵制のある国の兵役義務、
>おごりの習慣などを男性差別と主張してはばかりません
定番ですね。
こういうのは本当に困っているのではなく、
「フェミが返答に困りそうな議論を仕掛けたい」という
動機でやっているのではないかと、わたしは想像します。
>自殺率の性差は社会的処遇差によるものではなく
>むしろ生物学的な差によるものだとみる方が妥当です
これはお恥ずかしながら寡聞にして初耳です。
自殺率も社会的文化的要因で理解できると思っていたのですが。
>男女平等社会は基本的に男女で育児を分担するものですが、
>スニーカーはそうした負担から逃れ、一方的に相手に押し付けようとします。
彼らが理解や共感を得られないのは、そういう自己中心的なところが
見透かされるからだろうと思います。
同性婚反対論について、自然の摂理に反しているとか少子化が進行しているから認められるべきでないなどとしばしば言われますが、どちらも間違っていますよね。
同性婚および同棲婚世帯が子供を持つことを認めている地域における研究によると、同性婚世帯は一般世帯に比べて子供を養子などで引き取る割合が高く、より多くの子供がより良い環境で養育されることが明らかになっています。
また、それによって余った公的施設や予算が今まで見捨てられていた子供たちへ配分できるようになり、劣悪な環境による病気、虐待、死亡事故などから多くの子どもたちが救われますし、その子供たちが成長して結婚適齢期になれば次世代児の数も増加します。
おかしな偏見や、生物学や社会学に関して誤った認識がなければ、同性婚に特に反対する理由などないですし、同性婚を認めることは、少子化の解決に貢献し、価値観の多様性が認められ、社会・文化的成熟度が高まるものと言えます。
同性婚反対論者は恐らく自分が共感できない対象(私も共感はできませんが)をもっぱら排除するのが目的で、その目的に理屈を付けるために興味もない生物学や社会学を正しく理解もせず持ち出しているのでしょう。
それから、「楽観的な強者思考」の特徴について、以下のことが言えると思います。
・既得権は当然のモノとして根こそぎ利用する。
科学技術文明の恩恵により淘汰されず生存権が与えられていること、男女の社会的差別・格差構造の受益者であることなど。
・相手に対して非常に依存的で、ハイリターンを求めるが、しかるべきリスクを引き受けようとしない。その生き方自体がハイリスク。
この手の男性は経済面ではヒモ気質で、裕福女性は貧困男性を養うべきと主張、生殖面では受精逃亡型で、育児は男を当てにせず女がやるべきと主張する者が多い。
この手の論者と議論した時には、彼の根拠なき主張を裏付ける資料を論敵である私が提示するよう要求され、彼の主張である男性差別撤廃を、思想的に異なる私にも同性であることを理由に主張すべきと要求されましたね。これに対し、私には差別者側にあるという認識はあっても被差別者側にあるという認識は薄いので、そのような主張する動機に欠ける旨を説明しても通じず、「男性ならば、男性差別について詳しく学んで撤廃論を主張すべき」なのだそうで。こんな調子で、あらゆる面で他者依存的なので、私は対応していて気色が悪くなりましたよ…。
まさしく「スニーカー」の生態を支える思想構造です。
自殺率の性差については、もちろん社会的・文化要素で説明できる部分もありますが、それだけではどうしても説明困難で、生物学的(遺伝的)差異に求めざるを得ない余地が大きいです。
以下に男女別自殺率の資料があります。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2772.html
全体の比はおおよそ男3:女1ですが、自殺率そのものが非常に低い国では女性の方が上回るケースがみられるようになり、自殺率が高まるにつれて男性比率も大きくなるという構図があります。
女性比率が大きい国は男尊女卑が激しいイスラム圏や、家族の文化・社会的比重が高い中国です。イスラム圏は不倫が起こった場合は女性が一方的に非難され、強姦があった場合は被害者であるはずの女性が家族から非難され、社会的に処罰せられるといったことがあり、こうした理不尽な扱いが自殺の女性比率が高まる要因です。また、中国農村部では嫁いだ先のしきたりに従うことが求められ、女児を生むと非難される、旦那舅姑には絶対服従、という文化ですから、家族問題(家庭内人間関係、育児問題など)でのストレスが女性へ一方的にかかりやすいのが女性比率が高まる原因とされています。
自殺の男性比率が高まる原因は、職場問題(パワハラ、左遷、過労、人間関係不和)や経済問題(失業、浪費、貧困)となっていて、日本でもこれらを主因とする自殺は男性比率が高くなります。
これらの性別に与える影響の大きな要因の偏りを少なくした中庸な社会を考えたとしても、男性の方がはるかに多くなりそうですし、社会、文化的見地からの説明が困難なのが、多くの国で自殺要因で一番高い比重を占める健康問題(病苦)による男女比率で、男性の方が概ね2〜3倍多くなっている点です。男性の方が生得的に逆境に脆く八方塞になりやすいことがこの差を生む大きな要因と考えられます。
他にも殺人、強盗、傷害といった重大犯罪やホームレスの男女比が男性の方が世界的にみてはるかに高いことや、平均寿命でほとんどの国において男性の方が短いことについて、男性にばかりストレスがかかっているなど男性差別のせいとする主張も耳にしますが、こちらも社会的・環境要因、生物学的(遺伝的)要因の相互作用によると考えるのが妥当で、私は生物学的要因の方が強いと考えます。
これらについて、生物学的要因を無視してもっぱら社会・文化的要因に求め、男性差別の根拠とする主張は、自らを弱者に偽装した「楽観主義の強者思考」の一種であるように思えます。
>同性婚および同棲婚世帯が子供を持つことを認めている
>地域における研究によると、同性婚世帯は一般世帯に比べて
>子供を養子などで引き取る割合が高く、より多くの子供が
>より良い環境で養育されることが明らかになっています
これはなかなか興味深い現象ですね。
同性結婚を認めると、むしろ人口増加の可能性もあるのですね。
>同性婚反対論者は恐らく自分が共感できない対象
>(私も共感はできませんが)をもっぱら排除するのが目的で、
「同性結婚は少子化のもとになるから反対」という人は、
べつのところで人口減少に危機感を持って
少子化対策を主張しているかというと、そうではないのですよね。
無関心どころか、少子化がかえって進行する施策を
支持していたりすることがあります。
彼らは本気で人口減少を問題視しているのではなく、
同性結婚に反対するためのていのよい口実として
少子化を持ち出しているということだと思います。
>・既得権は当然のモノとして根こそぎ利用する。
>・相手に対して非常に依存的で、ハイリターンを求めるが、
>しかるべきリスクを引き受けようとしない。その生き方自体がハイリスク。
「依存」というより、わたしに言わせれば「搾取」ですね。
搾取できるものならなんでも搾取するという感じです。
>「男性ならば、男性差別について詳しく学んで撤廃論を主張すべき」なのだそうで
「男だから味方になるはず」と思われたのかしら?
「男子たるものなんとかかんとか」と言って、
ジェンダー規範を押し付ける(古風な?)人がいるけれど、
それの一形態かもしれないです。
>こんな調子で、あらゆる面で他者依存的なので、
>私は対応していて気色が悪くなりましたよ…。
依存的というのが、忌避されますよね。
日本人(というか、アジア人)は、欧米人と比べて
個の自立が弱く、他者に依存することに抵抗がないので、
彼らもまた「ふつうの日本人」なのかもしれないです。
あるいは上述のように、「依存」ではなく「搾取」のつもりだから
はばからずにいられるのかもしれないです。
>http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2772.html
これはご紹介、まことにありがとうございます。
自殺率は「男性>女性」なのは世界的な傾向なのですね。
>女性比率が大きい国は男尊女卑が激しいイスラム圏や、
>家族の文化・社会的比重が高い中国です
「女性<男性」となるのは、一部の「わけあり」の国なのですね。
原因は女性差別、わかりやすい状況ですね。
というか、女性差別が原因で自殺率が高くなる国は、
それくらいしかない、というべきかもしれないです。
わたしは自殺率のジェンダー差については、
原則的には社会的・文化的要因で考えるようにしています。
自殺率が「男性>女性」となるのは、たいていの社会では
男性のほうが既得権が多く、なにかあったとき失うものが多い、
ということがあるのではないかと、わたしは思っています。
とくに日本の場合、離婚率と男性の自殺率が
連動する傾向があるのですよね。
家庭生活や結婚生活が男性中心に作られているので、
離婚したとき男のほうが失うものが大きく、
衝撃を受けやすいということではないかと思います。
http://tmaita77.blogspot.jp/2012/12/blog-post_10.html
>自殺の男性比率が高まる原因は、職場問題(パワハラ、左遷、
>過労、人間関係不和)や経済問題(失業、浪費、貧困)となっていて、
職場環境も多くの国で男性中心でしょうから、
(日本でしたら、長時間労働とか専業主婦を持つ男性優遇の賃金とか)
それが満たされなくなったり、社会が維持できなくなったとき、
男性のほうが失うものが大きい思います。
こんなふうに男性の自殺率が高い原因は、
社会的・文化的要因でかなり理解できると思うのですよね。
それでも生物学的な要因も関与する部分はありそうですね。
>他にも殺人、強盗、傷害といった重大犯罪やホームレスの男女比が
>男性の方が世界的にみてはるかに高いことや、
重大犯罪とホームレスも、社会的・文化的要因で
かなりの部分、説明がつくとわたしは思います。
重大犯罪が男性に多いのは、男性のほうが行動に自由度が認められるので、
上だけでなく下にも逸脱しやすいからだと思います。
ホームレスに男性が多いのは、ようは女性が路上生活をすると
性被害の危険にあう可能性がきわめて高いから
ホームレスになりたくてもなれないということだと思います。
平均寿命は、これはさすがに生物学的要因でしょうね。
「弱きものよ、なんじの名は男なり」で、幼少のころからずっと
男のほうが「死にやすい」ので、男のほうが女より
産まれる確率が少し高く、小学生くらいのうちは、
男の子のほうが人数が多いのですよね。
社会的・文化的要因か、生物学的要因かにかかわらず、
これらが「男性差別」でないことはたしかですね。
重大犯罪とホームレスに男性が多いのは、女性差別ゆえですし。
平均寿命は差別とは関係がないですし。
平均寿命についてですが、こちらも自殺率と比べてさして遜色ないくらい差別がかかわっていると考えます。
平均寿命の男女格差
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1670.html
世界各国の男女別自殺率(再掲)
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2772.html
これらを見比べると、かなりの程度で類似性が見いだせると思います。
どちらも基本的相場のような比率があり(自殺率の男女比は概ね3:1、平均寿命はの男女比は概ね92〜95:100)、低い値を取る国では男女比が逆転するケースが増える、平均寿命で男女比が小さくなるか逆転している国は一人当たりGDPが低く出生率が高い国(度重なる妊娠・出産・育児による負担や、出産時医療の未整備は、女性の寿命に大きく係るリスクとなる)と男女平等指数の低く女性差別が深刻な国に多く、一方で自殺率で男女比が小さいか逆転している国では女性差別が深刻である場合が多い点で類似性が見られます。
これらの基本的相場自体が生物学的(遺伝的)要因だけではなく文化社会的(環境)要因によっても増幅されたものであると考えられなくもないですが、典型的な男性差別撤廃論(マキュリズム)にあるような、生物学的要因ではなくもっぱら文化社会的要因(男性差別)によってもたらされたと考えるのは相当に無理があるように思えます。
そもそも、これらの指標で男女平等を実現しようとしたら、女性に対して一方的な権利制限や生命にかかわるレベルの重大なリスクを強いることになるだろうと言えます。
犯罪については(物理的な距離のみならず選択肢の幅広さも含む)行動範囲の広さが大きく影響しますね。行動範囲に制限・制約が加わりやすい女性と子供・高齢者は伝統的に加害者にも被害者にもなりにくいが、社会成熟化によってそのくびきが取り除かれるにつれてその傾向が弱まっています。
一般刑法犯 検挙人員(罪名別,男女別)2013年
http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/61/nfm/images/full/h1-1-1-08.jpg
犯罪者の男女別比率の経年変化
http://www.asahi-net.or.jp/~zi3h-kwrz/penal/femalecrime.html
被害者の男女別・年齢 2003年
http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/44/nfm/n_44_2_5_3_6_1.html
罪種別にみると、非暴力的財産犯である窃盗は男女比が小さく、暴力犯(暴行・傷害)や暴力的財産犯(強盗・恐喝)は犯行目的遂行に体格的優位性がものをいうためか男性比率が特に高くなっています。
中には性別だけで加害者あるいは被害者になる可能性が限定される罪状があり、刑法上、嬰児殺害の加害者は女性のみ、強姦の加害者は男性(教唆犯は含めず実行犯に限る場合)のみ、被害者は女性のみとなります。性別は細かいことを言わなければ遺伝的に決まるので、これらの犯罪率の性差は生物学的要因として差し支えないでしょう。
伝統的な男尊女卑主義者は「生物学的に男は女より優れているから女は男に従わなければならない」(注※生物学では生物同士の総体としての優劣についていかなる定義もできない)といった、生物学に関する曲解やつまみ食いをして自説のよりどころとしつつ、文化社会的要素を無視しがちなのに対し、典型的な男性差別撤廃論者(マキュリスト)は自殺率や平均寿命など男性の方が悪い数値となっている社会的指標をつまみ食いし、それらの要因をもっぱら男性が差別されているものとして文化社会的要素に求め、生物学的要素を無視しがちという点で、方向性は逆のようですが、つまみ食いやご都合解釈が多く、どちらもバランスを欠いていてフェアではないですね。
典型的なマキュリストが訴える内容は、女性差別の副作用として顕れたものに過ぎない要素が殆どで、例えば男性から女性への奢りの習慣は、文化社会的には男女差別によって生じた所得格差の還元機能(年功序列賃金制という年齢差別に対する年長者から若輩者へのおごりの習慣と同様)と、生物学的な配偶者選択機能(♀はより多く経済援助をしてくれる♂を配偶者に選ぶ傾向があり、♂は♀から選ばれやすくなるためになるべく大きなプレゼントを用意する傾向がある)で概ね説明がつく内容ですが、彼らはこれらの要素を無視して男性だけが一方的に負担を強いられる差別と訴えるわけです。
そのうえで、自身は男尊女卑思想ではないと臆面なく主張しますから(少なくとも私がやり取りした手合いはそうでった)、「生物学的に男は女より〜」などと主張する男尊女卑論者よりたちが悪いかもしれません。
平均身長の国際比較
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2188.html
https://en.wikipedia.org/wiki/Human_height
ほとんどの国で平均身長の男女比は1.07〜1.08:100となっていて、男女比が同等か逆転している国はおろか接近している国すらないです(やたら離れている国はあるが、都市内の調査でサンプル数の面で少々疑問)。
なお、双生児研究から身長の分散における遺伝寄与率は0.9ほどとされます。
>平均寿命の男女格差
>http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1670.html
>平均寿命はの男女比は概ね92〜95:100)
平均寿命も国際比較のお話だったのですね。
(なんとなく日本国内で考えていた。)
寿命を決める要素が、ほとんど健康や医療問題だけになっているとき、
「基本的相場」になって、女性>男性ということになりますね。
>世界各国の男女別自殺率(再掲)
>http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2772.html
>自殺率の男女比は概ね3:1、
自殺率の高い国も低い国も、「基本的相場」は3:1になっている
というのが特徴的ですね。
(「基本的相場」の比率が現れることが、自殺率の男女差は、
生物学的な部分もあることをしめす、ということになるのかな。
社会的文化的要因でほとんど決まるなら、「基本的相場」は現れず、
もっと比率がばらけることにはなりそうです。)
>平均寿命で男女比が小さくなるか逆転している国は
>自殺率で男女比が小さいか逆転している国では
イスラム圏の国ぐにや中国はこれらの両方に当てはまっていますね。
どちらもジェンダー差別が原因であり、相関はあるのでしょう。
>http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/61/nfm/images/full/h1-1-1-08.jpg
>犯罪者の男女別比率の経年変化
>http://www.asahi-net.or.jp/~zi3h-kwrz/penal/femalecrime.html
>被害者の男女別・年齢 2003年
>http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/44/nfm/n_44_2_5_3_6_1.html
犯罪件数はやはり行動の自由度が大きいようですね。
被害者に男性が多いのも、行動の自由度が大きいからだと思います。
>それらの要因をもっぱら男性が差別されているものとして
>文化社会的要素に求め、生物学的要素を無視しがちという点で、
そういえば「男性差別論者」は「生物学的」うんぬんは言わないですね。
>つまみ食いやご都合解釈が多く、どちらもバランスを欠いていてフェアではないですね
結論がさきにあって、それに合う事実だけ選んだり、
解釈をしたりするからでしょう。
>典型的なマキュリストが訴える内容は、女性差別の副作用として
>顕れたものに過ぎない要素が殆どで、
わたしもそれは実感しています。
そういうのを説得力があることだと信じていて、
「フェミはまじめに議論しろ」とか、しつこく迫ってくるのですよね。
>自身は男尊女卑思想ではないと臆面なく主張しますから
それもよくあることだと思います。
>平均身長の国際比較
>http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2188.html
>https://en.wikipedia.org/wiki/Human_height
こちらもご紹介ありがとうです。
身長は後天的に変えられる部分がほとんどないですからね。
それでほとんど生物学的要素で決まってしまい、
社会的文化的要因の入り込む余地がないのでしょう。