2015年06月05日

toujyouka016.jpg 大阪都構想と地方問題

「大阪都構想」とはなんだったのか、その意義や背景について解説した、
とてもよい記事があるのでご紹介します。

「「大阪都構想」住民投票騒動が示す日本問題の本質」
(はてなブックマーク)

「大阪都構想」がなぜ浮かび上がってきたのか、
それは大阪の経済都市としての衰退という構造的問題であることを、
大阪の歴史的事情をふまえながら解説しています。

「地方活性」が言われるようになっていますが、
この問題は大阪だけにとどまらない、首都圏以外のすべての
地方に共通する問題であるということも、指摘されています。

 
もっとも重要なことは、地方の人たちの中央への
依存体質からの脱却であり、「この世界の中で、この地域と住民が
自力でどのようにして生きていくのかの方向性」だとしています。

記事では、日本の前近代は地方分権が強かったことや、
大阪が経済の街として繁栄することになったのは、
企業家精神あふれる商人たちが自発的に集まって、
みずからの才能で財産を蓄積してきたからだという、
歴史的背景に触れています。

こうした歴史的事情をふまえて、抜本的な地方問題の解決には、
かつてあったような自立の意識をふたたび取り戻すことが
必要だとしているのでした。
記事は基本的にこの立場で書いていると言えます。


地方の自立を制度的にも精神的にもむしばんできたのが、
明治以来推し進められてきた中央集権化政策です。

記事では、かつての経済の中心であった大阪の衰退の原因を、
--------
1. 明治以来の中央集権化政策によって、産業の中心が
首都圏に移ったことによる、大阪の国内の相対的な地位低下。
2. 経済のグローバル化によって、産業のシェアを
後発新興国に奪われるという、大阪の国際的な地位の低下。
--------
であるとしています。

地方の住民たちの中央への依存体質も、明治に入ってから
推し進められたきた中央集権化によって作られたものです。
全国の地方に中央から官僚が自分たちの権限で
お金を配分し続けてきたことで、いつのまにか地方の人たちも
「生きるすべは中央が与えてくれる」と
考えるようになっていったからです。


官僚たちの権力に対する強烈なこだわりはすさまじいです。
ここではつぎのエピソードが紹介されています。
堺屋氏は、自らが通商産業省の官僚として大阪万国博覧会を企画していた時、
庁舎内で堺屋氏のネクタイをつかみ、文字通り吊し上げて
企画撤廃を迫った同省幹部のエピソードを交え、
戦中から戦後に一貫した、集権と中央統制という国策に反するものを
すべて敵視していた霞ヶ関の本音を説明した

中央集権は近代化が必要とされた19世紀後半から
20世紀前半にかけては、効率的な統治システムだったと言えます。
地方の多様性が重要になってきた20世紀の末あたりには、
すでに時代遅れのシステムになっていったのでした。

今後は地方活性が全国の首都圏以外での課題となるのでしょうが、
かかる中央集権体制からいかに脱却するかが重要となるのでしょう。
霞ヶ関の役人たちは、口では「地方活性」と言うのでしょうが、
地方が自分たちの権限から離れようとすれば、
強力な抵抗勢力となることが予想されます。


橋下・維新は、官僚の既得権益が大きすぎることが
経済停滞の主要因であるとして、地方の統治機構を
改変することを掲げて登場したのでした。
橋下・維新が支持されたゆえんは、こうしたところにあったと言えます。

「大阪都構想」の限界は、統治システムを効率よく改変したあと、
そこで地域の住民たちが自力で生きていくために
なにをするかのビジョンにとぼしかったことがあります。
そして中央への依存体質から脱却できていない人たちが
支持者となっただけであったと、記事では分析しています。

「大阪都構想」は「官」の予算再分配が重要課題になったのは、
住民の自立を重要とするこの記事の立場からしたら、
シニカルな戯画なのでしょう。
ようするに「お役人どもがたかるのは許さない、
俺たちにたからせろ」ということなのですから。

もっとも橋下・維新ないし「大阪都構想」の限界は、
支持者の資質の問題というだけではなく、ここでも中央集権的な
日本の統治システムにも原因の一端があるとしています。


僅差とはいえ「大阪都構想」が否決されたのは、
かかる依存体質から脱却し始めた、ということかもしれないです。
さすがに「誰かに食わせてもらうことに慣れた没落商家の末裔」
である大阪の有権者も、現状を変えるためには
自ら能動的に動かなければならないということは、
うっすらとではあるが、学んだはずである。

その先にあるものが、「先祖のように裸一貫で世間(世界)に
投げ出されて自力で生きていく」ことである、
というところまで意識が及んでいるかどうか。
そうであることを一大阪出身者としては期待したい。

5月22日エントリでご紹介の記事を見ると、
このまま「大阪都構想」の議論を続けていくと、
賛成派がだんだんと不利になるだろうという予想があります。
上記引用の期待する方向へ、向かいつつありそうな感じです。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/watanabeteruhito/20150518-00045808/
これは筆者の私見ですが、橋下氏は、今後時間を掛けて
大阪都構想の議論が深まっても勝てる見込みがないと考えていたから、
議論が生煮えの状態でリスキーな勝負に出たのでしょう。


posted by たんぽぽ at 20:39 | Comment(3) | TrackBack(1) | 政治・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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この記事へのコメント
たんぽぽさん。
今、70代くらいの人で若い頃に集団就職で都内近郊に出てきたという人が多いので、逆に言うとそれほど大昔のことではないですね。
そういう人にとっては地方回帰とか自身の生まれた地元を活性化させようとの政治的方針は随分と変わったものだと思うでしょうけど。
大阪の場合は昔から商業的に繁栄していたという意味では異なりますが。

でも企業家やノーベル賞受賞者は東京出身の人が少ないとかノーベル賞についてはゼロですね。
研究などはその地方の大学等で確保されても、企業家の出発点が東京に上京することだったり地元で成功すると本社を東京に移すなどの発想が、ちゃっかり全部、東京の手柄であるかのように思われてしまう悪循環があると思います。
でもIT時代になって体ごと、また本社ごと東京近郊に持ってくる必要性は薄くなってくると思うんですね。
世代的にまだ最前線の世代がIT普及前の世代が多いことと、東京への憧れと過剰評価ですね。
実際に若い世代では政治や官僚の意向がどうでなく、地元で生きていくんだとの意識が強まっている傾向にもあるので、むしろ若い世代にはその前の世代ほど東京志向が強くないので期待できると思います。
予測・調査している人自身が憧れて地方から東京に出てきたような人が多いんじゃないですかね。
国としても昔ほど米国に対する憧れもないだろうし、自国・地元志向が強くなっている若い子たちが各地方を創っていける資質に長けていると私は思っています。
Posted by ヒラリー at 2015年06月06日 05:03
ヒラリーさまのおかげで、12エントリ連続コメントが付きました。
ありがとうございます。
Posted by たんぽぽ at 2015年06月07日 13:30
たんぽぽさん。
お見舞いやお祝いとは別のことでお礼されるのはじめてかなと(笑)
私も今まで、たんぽぽさんのブログに何本コメントしたか分かりませんが。
それに私は文章力ないから、ひとつひとつが長くなるし。
それで、もういいよ。とか疲弊感が発生するとご迷惑おかけしていますが、コメントしたいと誘発してくれるブログは貴重ですよ。
なのでこれからもお願い致します。
Posted by ヒラリー at 2015年06月07日 22:36
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橋下の都構想は支配欲に憑かれたゲーム
Excerpt:  はた迷惑なゲームは終わった。支配欲に憑かれた思いつきのゲームが。思う存分,人を右往左往させることができて,自らの密かな欲望を十二分に満たしてくれたゲームが。
Weblog: アルバイシンの丘
Tracked: 2015-06-06 18:40