という主張を展開する人がいる、というお話の続き。
「弱者男性を養わない理由」
http://togetter.com/li/824984#c1925113
子育てによる労力負担を考えると、男女平等と少子化対策、
格差問題に対する対処を全て並立するようにするには、
キャリアに乗り始めた若い女性が覚悟を決めて低収入男性を
専業主夫化するつもりで養う、という答えくらいしかないんですね。
これはフェミニスト側の海外事例研究でもあった議論です。
「弱者男性」に「金がない」ことを解決したいなら、
労働問題や福祉問題として扱えばよいことです。
雇用や福祉の充実は政府や行政の役目ですから、
解決したいなら政治や社会に訴えればよいことです。
このあたりは以下のエントリでもお話したことです。
「きもくて金のないおっさん」
そこへもってきてなぜ「高収入女性」が、彼ら「弱者男性」の
経済問題の負担をしなければならないのかと思います。
政治や社会に対してものが言えないから、
やりやすい「女たたき」に走るということでしょうか?
「女性を攻撃する弱者男性」
「高収入の女性は金がない男を養え」という考えは、
本来なら国や行政が解決する雇用や社会福祉の問題を、
高収入女性の個人の負担に肩代わりさせるということでもあります。
それは「生活保護や年金などの社会保障を国に求めず、
家族が面倒をみろ」というのとおなじような発想です。
個人の負担に転嫁して社会保障を削減していく
「小さな政府主義」的であり、危険な発想とも言えるでしょう。
「憲法24条と社会保障」
これもこれまでの歴史の問題ですね。
男性は高収入でもそれほど高収入でなくとも、また女性が非常に家事が得意でなくとも結婚して相手女性が専業主婦であることに誰も疑問を持ちません。
ところが女性が結婚して相手男性が専業主夫だとなれば、何が悲しくて専業主夫になるような男と結婚しなきゃならなかったのか?
高収入だからでなく、高収入女性であるほどの女性ならなおさら相手も高収入、社会的地位の高い男と結婚すべきだったのでは?と疑問に思われ、その疑問を持たれることはその女性にとって屈辱になると思います。
男性は奥さんが専業主婦であることに何ら疑問を持たれません。
この歴史的常識?を覆すのは女性管理職を増やすよりよほど難しいでしょうから、弱者男性という人は低い収入でも楽しみや生き甲斐は見つかるはずで、専業主夫などという現実性の低いことを主張する時間とエネルギーの無駄遣いをやめて、その時間、エネルギーを他の充実した物事に向けるべきですね。