自分のサイトに書いたことが話題になっています。
「自民党中川雅治氏、いじめ加害告白「全部脱がし」
「おちんちんにマジック落書き」「いじめられる方も弱く」」
(はてなブックマーク)
問題の記事はすでに削除していますが、魚拓は残っています。
「教育鼎談」という、義家弘介議員と橋本聖子議員との対話記事ですよ。
「いじめ問題は解決できるのか」
なにをやらかしたのかというと、同級生の服を全部脱がして、
外へ服を取りに行かせたり、性器にマジックで落書きしたりしたのですよ。
こちらのツイートで、記事のスクリーンショットを撮ってあります。
中川雅治参議院議員(自民党)は「教育鼎談」で、自分が過去に行った悪質な性的いじめの内容を悪びれもせず書いている(公式ホームページ)http://t.co/jvl0SqZVbG この人も日本会議と神道政治連盟のダブル国会議員懇談会所属。 pic.twitter.com/AVbtXzOjjr
— 山崎 雅弘 (@mas__yamazaki) 2015, 8月 5
中川雅治は
やられた方は怒っていましたが、回りはこれをいじめだとなどと書いています。
思っていませんでしたね。今なら完全ないじめになり、
ノイローゼになったりするケースもあるのかなあと思います。
いじめられている方も弱くなっているという側面はありませんか
熊田裕通よりはっきりと、加害意識がない無防備さを現しています。
典型的ないじめ加害者の精神構造だと思います。
中川雅治が中学時代にやらかした上述のことは、
当時の基準でも悪質な「いじめ」と言えます。
全裸にするなんて立派な性暴力であり、犯罪の域に入るレベルです。
男子校だったのですが、男ばかりの集団だと、
「ちょっと小さくて可愛い」子に「女」の役をやらせて、
性的搾取の対象にすることは、ままあることです。
前者の告白は男ばかりの集団でよく起きる『体が小さい弱い子を『女』の代用品にして集団でいたぶって楽しむ』で、後者は『若くて生意気な女教師を集団で苛め抜いて泣かせる』これまんま集団強姦の暗喩だよ。やってることがまんまエロゲ。しかも反省してないし自覚もない。存在がホラーだよ。
— 水戸泉8/19『溺れる夜、秘する恋』発売 (@mittochi) 2015, 8月 7
中川雅治は「回りはこれをいじめだと思っていませんでした」などと
さらりと書いていて、いかにも「加害者らしい」精神構造です。
「加害者がだれもそう思わないからいじめではない」と
言いたいのでしょうが、加害者がいじめだと認識することなんて
めったにないですし、そんな加害者の意見など当てにならないです。
「いじめ加害者の記憶」
「今なら完全ないじめになり、ノイローゼになったりする
ケースもあるのかなあと思います」とも書いています。
中川雅治のいじめ被害者の子も、
精神的にダメージを受けた可能性はあると思います。
被害者の受けた傷を想像できないというのも、
いじめ加害者にありがちなことです。
さらには「いじめられている方も弱くなっているという
側面はありませんか」などと書いて、「被害者落ち度論」です。
いじめられる側は、むかしもいまも変わっていないと思います。
中川雅治が自分のしたことを、深刻ないじめだと
いまだに理解できていないというだけのことです。
いっしょに対談している橋本聖子は、
「今のいじめはもっと陰湿だと思いますよ」なんて、
これまたありがちな見当違いのことを言っていたりします。
いじめはむかしもじゅうぶん陰湿でしたよ。
陰湿に思えないのは、記憶や歴史は美化されるからでしょう。
「昔のいじめは陰湿じゃなかった、という幻想」
義家弘介にいたっては、「GHQの戦後の民主化で、
なるべくしてなったと私は思います」などと言っています。
結局それが言いたいのか?という感じです。
これもまったく逆で、戦後の民主化によって
もたらされたはずの人権意識が、いまもってふじゅうぶんにしか
定着していないからだと思います。
道徳教育の必要性を語っている政治家たちが、同級生への性的虐待イジメや女性教師への爆竹リンチをした経験を罪の意識無く語っている姿を見ると、絶対に彼らが言うような道徳教育は子供にやらせちゃいけないし、そもそも必要なのは道徳教育ではなく人権教育だと思う。
— 勝部 元気@『恋愛氷河期』8/19出版 (@KTB_genki) 2015, 8月 6
もともとの対談のテーマは「いじめ問題は解決できるのか」ですよ。
解決しないのは、まさに彼らのような人たちがいるからでしょう。
3人ともいじめ加害者や、いじめに無理解な人たちに
典型的だと言わざるをえないです。
中川雅治に関してほかに特筆することは、
前述のツイートにあるように、日本会議と神道政治連盟の
両方に所属している、ということがあるでしょう。
典型的な右翼のいじめ問題の理解は、
このような程度なのだということなのかもしれないです。
もうひとつ特筆することは、中川雅治の経歴を見るかぎり、
かなりのエリートということだと思います。
いじめをやるかどうかの人間性に、学歴やお勉強のできは
関係ないと言ってしまえば、それまでですが。
そういう立派なキャリアを持っているから、
容易に他者を見下すこともあるのかもしれないです。
この中川・全裸いじめ・雅治議員が麻布→東大法→大蔵省で親父が東大医の教官という非の打ちどころのないサラブレッドであることを知ったうえであらためていじめのエピソードを読むと、心底地獄を感じる。こういう抜かりなくアタマのキレるやつのいじめから逃れる方法を想像してごらん。無理だから。
— 瀬川深@新刊「SOY!大いなる豆の物語」 (@segawashin) 2015, 8月 5
この議員もまた無名ですね。
本人は自分はそのイジメに加わったわけではないとか言い訳にならない言い訳してるようですが。
でも、小さくて可愛いとか女っぽいとか、それでイジメるという発想が理解できません。
イジメというより私の中高生時代の感覚だと、たとえば体育の授業で柔道があって一通り技を教わって試合をやる。
それが出席番号順なものだから、たまたま柔道部の人と運動経験のない小柄な人が試合になって、柔道部がいきなりその小柄な相手を腰投げで叩きつけるように投げた。
その瞬間、私を含めて数人がどういうことだと立ち上がり制止しようとする体育教師を無視してちょっとした乱闘になったりですね。
また運動会の時に陸上部の人が100メートルで全力でぶっちぎり、「おまえ何、得意になってんだよ?」とか、そういう感じでした。
遅い人に合わせてならんで走れとは言わないまでも陸上部なら運動会でなく陸上の大会で本気出せよみたいなね。
なので小柄、おとなしい、女っぽいという理由で攻撃したりからかったりっていうのは理解できないです。
ちょうど橋本聖子さんの名前が出てきたんで、これは前にも書いた記憶がありますが女性大臣枠を増やす展開で橋本さんが有力者の1人とされていた最中、雑誌にキス写真が載りました。
嫉妬した人間が写真を持ち込んだとの噂がありますね。それが男性か女性か分かりませんが。
社会に出ると、どうしてもそういう類いのイジメっていうか足の引っ張りはあるんですね。
キャリア官僚なんかもそうでしょうけど。
そういう上層部での出来事は仕方ないかなと。
同じ次元のライバル、ポスト争いなどは。でも肉体的なことや立場的なことで劣る人をイジメるっていうのは許せないです。
本来は右翼でも左翼でもそういうイジメをやってる人物や組織を叩く思想があるはずなんですけれどね。だから冷静に話してみると意外と気が合うんだと言われたりもしますが。
当たり前の話ですが、人と人とのコミュニケーションにおいては、自分が伝えたかった意図よりも、相手にどう伝わったかという結果のほうが重要ですね。
自分にそのつもりがあろうがなかろうが、相手が不快に感じたら、それは不快な言葉であり、行為となります。
ってそんな当たり前のことが理解できていない「立派な大人」が多いですよね、この国には。
相手を慮るという最低限の常識がないから、いじめもハラスメントも差別も、無意識のうちに行なわれるし、その被害者たちに対して思いが至らない。
これでなにかが改善するわけがないでしょう?
大事なのは自分がどう思っているか、どう感じたかじゃない。
相手がどう受け止めたか、どう感じたのか、でしょう?
人を殺すつもりがなくても、ナイフを突き立てた結果、相手が死んだら、それはもはや殺人です。
コミュニケーションは人を殺せるナイフを、言葉や行動に乗せることもできるんです。
人に訴えかけることが仕事な議員さん方には、せめて自分がなにを言い、それが相手にどう伝わるのか。その言葉で傷つく人はいないのか、傷ついてしまったらどのようにフォローすればいいのか、ってそのくらいのことは考えて発言して欲しいです。
それだけの影響力と責任がつきまとう仕事なんですから。
それができないんならやめちまえ。
>当たり前の話ですが、人と人とのコミュニケーションにおいては、
>自分が伝えたかった意図よりも、
>相手にどう伝わったかという結果のほうが重要ですね
とくにいじめやハラスメントや差別発言は、
「受け取った側がどう感じるか」が重視されますね。
いじめやハラスメントや差別発言の被害者は、
一般に社会的弱者なので、彼らの主張は無視や軽視をされやすいですから、
なおさら「受け取った側の感じかた」が重視されるということですね。
>人に訴えかけることが仕事な議員さん方には、
政治家というのは、自分の言動を他者に訴えることが仕事ですからね。
「受け取った側がどう感じるか」を考えられないのは、
政治家として深刻なことですね。