数を頼んで批判を圧殺することを、わたしは何度か批判しています。
「えぼり」に言わせると、この「党派性」が意味不明なのだそうです。
「党派性に対する批判が意味不明?」
@alchmistonpuku そういや以前、「わたしが、お姫様あつかいを、されていたことが、そうとうに、しゃくにさわったらしい」って浮かれてたのが、自分が見捨てられて相手にされなくなったら「人気を妬んでないもん!党派性に対する批判だ!」とイミフなこと言ってた人がいましてな。
— えぼり (@eboli_ef) 2015, 7月 20
「党派性に対する批判」とは、つぎのまとめのことだと思われます。
これだけでは「えぼり」は意味不明だと言っているので、
もっとくわしく解説したいと思います。
「人気をねたんでいた?あなたがたの「党派性」に対する批判ですね」
「えぼり」は、わたしが自分を批判するのを、
「人気をねたんでいるから」ということに矮小化しています。
「仲間がたくさんいていいですね」と、わたしがどこで言ったのかと思います。
「えぼり」は自分が批判されると、「お仲間」といっしょに
批判者を嘲笑して数の力で圧殺しようとします。
そういう徒党を組む人たちがたくさんいるので、
皮肉を言ったことはあります。
「えぼり」はそのむかし、だれが書いたかわからないようにして、
わたしを誹謗中傷するブログを運営したことがありました。
それをわたしはツイッターで告発したことがあったのでした。
「匿名の後ろに隠れた安全な場所からの誹謗中傷(簡易ver.)」
「匿名性に隠れた誹謗中傷」
そうしたら「えぼり」は自分のブログを閉鎖したのですが、
「閉鎖の理由」と称して、わたしの誹謗中傷をしたのでした。
「えぼり」が運営した誹謗中傷ブログを問題にする人も、
誹謗中傷をする「えぼり」を問題視する人はだれもいないです。
それどころか「えぼり」にお追従する人さえいました。
これが「党派性」ということにほかならないです。
「旧悪をツイートしたらブログを閉鎖した」
「泣き寝入りするのがお前のためということかな?」
「匿名性に隠れた誹謗中傷(2)」
「匿名性に隠れた誹謗中傷(3)」
「泣き寝入りがお前のため?」
最初はだまっていた「えぼり」が、わたしの悪口を
並べることにしたのは、自分の閉鎖したブログが思ったより
愛読されていたとわかったからだろうと思います。
これによって「えぼり」はわたしを誹謗中傷しても、
自分のまわりにいる人たちは党派的に動いて、
無批判に自分の味方をしそうだと思ったからだと、わたしは想像します。
「閉鎖の理由を言い出した」
それから2ヶ月ほど経って、「えぼり」は医学書院から
ブログの執筆依頼を受けたのでした。
その最初の記事に、誹謗中傷ブログについて問い合わせが来ました。
ところが「えぼり」はその問い合わせを無視して、
わたしと問い合わせしたかたを誹謗中傷したのでした。
「安全な場所からの誹謗中傷についての「けじめ」」
「「誹謗中傷についてのけじめ」のまとめを作ったら」
しかも前にブログを閉鎖した理由を平然と変えてもいます。
最初に閉鎖したときは、わたしのツイートのせいだと言って、
スナップショットまで撮ったのですが、
今度はもとから閉鎖しようとしていたことにしたのでした。
「ブログ閉鎖の言いわけの変化」
「自分で書いたとは思いませんでしたよ」
ここまで「えぼり」は露骨なことをやっているのですが、
「お仲間」たちはだれもおかしいと言わないどころか、
「えぼり」の擁護やお追従をしたり、いっしょになって
わたしのことを誹謗中傷したりするのでした。
こうした一連のやりかたに「党派性」があるということです。
誹謗中傷ブログについての問い合わせを無視したのは、
医学書院の『かんかん!』の編集者の判断だそうです。
そうだとするとこの編集者も「えぼり」の保身に協力するべく
党派的な人の一員ということになるでしょう。
「批判を無視するブログ」
「ブログを再開したけれど、誹謗中傷についての問い合わせは無視します」
「えぼり」が運営した誹謗中傷ブログのことを、
矮小化して擁護しようとする「お仲間」もいます。
「手あかの付いた匿名の議論」
「匿名の後ろに隠れた安全な場所からの誹謗中傷・その後」
匿名の後ろに隠れた安全な場所からの誹謗中傷 って、名前どころか性別まで隠匿してるひとにいわれたかあないね
— マッド頓服 (@alchmistonpuku) 2015, 7月 9
「えぼり」に誹謗中傷されたことを、わたしが批判するのは
当然だと思うのですが、それを「友人のことを悪く言う」などと言って、
わたしをブロックする「お仲間」もいます。
「誹謗中傷の告発とブロック」
「わたしが誹謗中傷されているところをまとめたらブロックされた」
https://twitter.com/necohime/status/449204003738361857
わたしが「えぼり」に誹謗中傷されていることを批判することを、
「うらやましいのとねたましいことで粘着している」などと
勝手にすり替えて、いっしょに誹謗中傷する「お仲間」もいます。
「誹謗中傷の記録が意味不明?」
「誹謗中傷の記録が意味不明?(2)」
「意味不明?あなたがたの誹謗中傷を訴えているのですよ」
ざ〜っと読んでくと「この人、つまり粘着してる理由は『羨ましい、妬ましい』なんだろうなあ」と思えるんだけど、粘着するほど羨ましいくせに何一つアクション起こしてない。
意味不明です。
— KGN (@KGN_works) 2015, 8月 15
「えぼり」が自分の誹謗中傷について批判されたのを
被害者づらするという、つらの皮の厚いことをしているときにも、
それに対して無批判にお追従する「お仲間」もいます。
「いったん狙われたらもうだめ」
「いったん狙われたらもうだめ?わたしのセリフだよ」
「加害者が被害者づらする」
「誹謗中傷の批判をされたので、「言いがかり」と決めつけて被害者づらしました」
「無視してもいじめをやるやつ?それはあなたでしょ?」
@eboli_ef めんどくせーヤツらですね
— こばると\ンマッハー!/ (@315cobalt) 2015, 3月 10
@eboli_ef あらー、それは大変だわ、奥様。それにしても、あちら様もお元気そうですこと。
— てぃむたむ (@tim_tim_tam_tam) 2015, 5月 17
「党派性」とはこのように、「えぼり」が誹謗中傷をはじめ
どんな不誠実で無責任なことをしても、だれも問題にしないどころか、
「えぼり」を擁護するために、黙認・容認や支持・協力さえする
「お仲間」にこと欠かないということです。
また「えぼり」も自分の責任逃れのために、そうした「お仲間」が
たくさんいることを、積極的に利用しているみたいです。
「えぼり」とその「お仲間」たちは、しょっちゅうこうやって
数を頼んで批判を黙殺することばかりしているのであり、
これを批判することが「党派性に対する批判」ということです。
「えぼり」の「お仲間」に、わたしは「ミソジニー」と
言いがかりをつけられ、誹謗中傷までされたことがありました。
このときもおかしなことを言っているのに、
だれも批判する人がいないという指摘があったのでした。
ここでも「えぼり」とその「お仲間」たちの「党派性」が
批判されていることになります。
「ミソジニー呼ばわりされた」
「自分で公開した写真をブックマークしたら「ミソジニー」と言われた」
http://togetter.com/li/646631#c1429449
「晒し目的」はまあともかく、どこがミソジニーなのかと。
突っ込んでくれるお仲間が居ないようなら
そっちの質もたかが知れていますね。
まあ、ブログの非公開コメントを利用した陰湿なことを
やっていたクズと仲がおよろしい時点でお察しですが。
現実問題としては、「たかがネットの人間関係」であれば、
「お仲間」の保身のために批判の黙殺に協力したほうが、
関係は長持ちしそうな気が、わたしはしていたりします。
「人間関係の維持のために」
「仲間内で目くばせし、他人を嘲ったつもりになる「ゲーム」」
「内部批判と人間関係の維持」
「数を頼んで批判を圧殺」
「おかしなことを言ったら友人でも批判するべき」なんて、
よく言われる立派なことを実行すると、人間関係が壊れるリスクが
きゅうに高くなるのではないかと、わたしは思います。
「党派的に行動する」というのは、ネットの人間関係の維持
という観点からは、戦略的に妥当なのかもしれないです。