2015年11月03日

toujyouka016.jpg 家族思想信仰と夫婦別姓(2)

11月1日エントリの続き。

「家族思想」を「信仰」する、選択的夫婦別姓の反対派
(非共存派)との、ツイッターでの議論のお話です。

「とある選択的夫婦別姓反対派(非共存派)との議論」

 
今回はつぎのくだりを見てみたいと思います。
ここで言わんとしているのは、選択的夫婦別姓を認めなくても、
通称使用でじゅうぶんだ、ということです。

kazemachi-bessei7-2

「通称使用論」についての反論は、さんざんお話していることです。
つぎのエントリをご覧になるといいでしょう。

「選択的夫婦別姓のまとめ(9)」

簡単に列挙すると、
1. ふたつの名前を使い分けることが負担な人の解決にならない。
2. 通称使用は可能な場合が限られている
3. 通称使用の法制化は技術的に困難
4. 反対論者から実際に通称使用法案を提示されたことがない
といったことがあると思います。


「通称使用でじゅうぶんだ」とか「事実婚でじゅうぶんだ」という
反対論者の意見は、「家族思想信仰」という観点からは、
どういうことになるかと思うところです。

彼らにとっての「結婚制度」とは、「信仰」が定める
家族のかたちだけが認められると決まっています。
よって「異教徒」の夫婦別姓を、「結婚制度」の中に
入れるわけにはいかないことになります。

彼らにとって「異教徒」は排除や隔離をする必要があります。
それで「通称使用や事実婚に甘んじていろ」と言うのだと思います。
通称使用や事実婚は、「異教徒」隔離のための装置ということです。

「kazemachi」は「選択的夫婦別姓を認めなくても、
通称使用でじゅうぶんだ、それが多数派の意見だ」
ということにしたいのでしょう。
「kazemachi」の「信仰」の世界では、
通称使用に隔離しておくなら、夫婦別姓という「異教徒」を
なんとか受け入れられる、ということなのでしょう。


反対論者たちが、「通称使用でじゅうぶんだ」とか
「事実婚でじゅうぶんだ」と無責任に言い放つだけで、
通称使用や事実婚で認められることの限界について、
まったく顧みないのも、そもそもが「異教徒」の
排除や隔離のために持ち出していることだからでしょう。

自分たちの「信仰」の世界から「異教徒」の排除や隔離ができれば、
彼らはじゅうぶんなのだと思います。
それゆえ排除や隔離をされる「異教徒」の生活や権利など、
自分たちの知ったことではない、ということです。


「通称使用でじゅうぶんだ」とそんなに言うなら、
反対論者こそ通称使用すればいいという意見を、
反対論者は通常は受け入れないと思います。
彼らにとって「通称使用」は、「異教徒」隔離のための装置なので、
「信仰」を持つ自分が行くところではないからです。

「同姓が通称使用」



付記:

「kazemachi」は「選択的夫婦別氏のアンケートで、
同氏義務は課すべきが通称使用は認めるべきだ、
という回答が20%を占めている」と言っています。
これをもって、世論は通称使用でじゅうぶんという意見が
多数派だと言いたいもののようです。

これはなんのアンケートなのかと思います。
2013年2月に行なわれた内閣府の世論調査でしたら、
「通称使用」は24.0%が回答しているので、数値が近いです。
ところが「賛成」は35.5%、「反対」は36.4%ですから、
「通称使用」は多数派ではぜんぜんないことになります。

「内閣府による世論調査」

Q11 [回答票17]

通称使用が20%で多数派という「アンケート」とはなんなのか、
「kazemachi」は出典をはっきりさせる必要があるでしょう。

posted by たんぽぽ at 14:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 民法改正一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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