2015年12月04日

toujyouka016.jpg グレンデール慰安婦像訴訟

カリフォルニア州グレンデールには、
市立図書館横の公園に従軍慰安婦の像が置かれています。
この像の設置が州法や憲法に違反するとして、
カリフォルニアの州裁判所と連邦裁判所に
訴訟を起こした人たちがいたのでした。

「「グレンデール慰安婦像裁判で原告の訴え棄却」の判決解説」
(はてなブックマーク)
「グレンデール市の慰安婦像裁判は、なぜ原告のボロ負けに終わったのか」
(はてなブックマーク)
「エミコヤマさんによる「グレンデール市に対し慰安婦像撤去を求める州裁判」の解説」
(はてなブックマーク)

原告はアメリカ合衆国に在住の日本人とその団体(GAHT)です。
ようは慰安婦の「否定派」の人たち、および団体ですよ。
上記記事では、原告と被告がそれぞれどんな主張をして、
裁判所がどんな判断をしたかが解説してあります。
詳しいことは記事を直接ご覧になるとよいでしょう。

 
このふたつの訴訟は、どちらも原告の見事なまでの完敗(!)です。
ひとつ目の連邦裁判所に提訴した訴訟は、
「原告資格がない」としてあっさり棄却でした。
ふたつ目の州裁判所に提訴した訴訟は、
なんとSLAPP(恫喝訴訟)認定を受けて棄却です。

恫喝訴訟とは言論の自由を萎縮させることを目的とした訴訟です。
通常は政府や大企業など、権力やお金を持っている側が
自分たちに都合の悪い批判をしている
ジャーナリストなどの個人に対して行なうものです。

グレンデール訴訟では、原告は個人で被告が自治体です。
個人が組織を訴えて恫喝訴訟認定が出るのは異例と言えます。
それでも原告やその後援団体は、多額の寄付を受けて資金力はありました。
「お金の力にものを言わせて言論の自由を
萎縮させようとする裁判」ではあったと言えます。


被告グレンデール市は恫喝訴訟認定を求め、
州裁判所の訴訟では恫喝訴訟認定が出ることになったのでした。
認定を出させるには、被告の主張がつぎの4つの条件のうち
どれかひとつに該当することを示す必要があります。
グレンデール市の慰安婦像は4つ全部に当てはまることは
ほとんど自明だろうと思います。

1)立法・行政・司法もしくはその他の法に基づく
公式な会合における、口頭もしくは文書による意見表明。
2)立法・行政・司法もしくはその他の法に基づく公式な会合で
議論されている件についての、口頭もしくは文書による意見表明。
3)公共の問題について、公共の空間で行われた、口頭もしくは文書による意見表明。
4)その他、公共の問題について政治参加もしくは
言論の自由の権利の基づいて行った行動。

原告の主張はふたつの訴訟でほぼ同じです。
州裁判所に提訴したほうは、次のような主張をしていました。
「恫喝訴訟」認定を免れるには、これら4つの訴因のうちひとつでも
「それが全面的に認められたら勝訴する可能性がある」ことだけを
示せばよいのですが、原告は4つ全部について示せなかったのでした。

原告の主張は4つに分かれる。
第一に、「慰安婦」像の設置は連邦政府の外交権限を侵害しており、
連邦憲法に違反している、というもの。
第二に、プレートの文面を市議会で審議しなかったことが、
議事ルールに違反している、というもの。
第三と第四は、それぞれ州法と州憲法の違反を訴えるもので、
像の設置によって日本人や日系人の平等権が侵害されたというものだ。




自治体が国際問題について意見表明することはいくらでもあります。
日本の自治体でもなされていることです。
自治体が国際問題に対して意見表明すると外交権の侵害だというなら、
「慰安婦必要だった」なんて言い出した橋下徹や、
尖閣諸島を東京都で買い取るなんて言い出した石原慎太郎を
ぜひとも問題にしてもらいたいものです。




「言いがかり感がすごい」とまで言われていて、
実際そうだと思うのですが、こういう「理屈」は
彼らの「内輪」で納得し合うのには、じゅうぶんなのでしょう。
ふだんから正当性の薄い主張ばかりしているので、
少しでも正当化できるところを見つけて
それを過剰に強調することばかりやっているのかもしれないです。




自分自身と日本国が一体化したかのような、
国粋主義者にありがちな幻想に陥っているのでしょうか?
それで「自分が気にらない=日本が被害を受けた」のような
錯覚を起こしているのでしょうか?


特筆することは、原告は碑文の内容自体には一切反論せず、
裁判では論点にしなかったことがあるでしょう。
法律論だけを問う戦略を取ったということです。

むしろ逆に原告は、反SLAPP法の四要件から逃れようとしてか、
「われわれは慰安婦像やプレート設置のメッセージの内容には
一切反論していない」と繰り返している

日本国内で宣伝している「慰安婦はただの売春婦だ」という
あえて持論を封印し、プレートの内容を不問としたまま、
法律論だけで勝訴を狙った原告。

なぜ原告がこういう戦略に出たのかは、わからないです。
碑文の内容に間違いがあるなら、それを問題にしたほうが有利でしょう。
でまかせを拡散することは、言論の自由で正当化はできないからです。

はっきりわかるのは、それでも原告はその本性を
裁判所に見透かされたということです。
「碑文が気に入らないから撤去させたいのだろう」という、
言論の自由に真っ向から反する動機だとばれたわけです。

判決要旨で判事は、原告の建て前を厳しい口調で批判している。
「被告の言論の内容についてはいっさい異論がない
という原告の主張はウソ臭い、
かれらが実際には像およびプレートの設置によって
表明された市のメッセージに不満を抱いているのは明らかだ。」


わたしに言わせれば、このグレンデールの慰安婦像訴訟は、
歴史に残る大敗訴ではないかと思います。
恫喝訴訟認定自体が、なかなか出るものではないです。
そこへ持ってきて個人が組織を訴えて恫喝訴訟認定です。

さらに加えて「民主主義に反する」とまで裁断されたのでした。
原告の主張がいかに自己中心的もはなはだしい
見え透いた言いがかりにすぎないか、ということだと思います。

あれだけ大騒ぎして多額の寄付を集めておきながら、
持論すら述べないまま「民主主義の根本的な原理に反する」とまで
断定され棄却されてしまったという「世界の現実」に、
GAHTを支援した日本の人たちは何を思うのだろうか。

原告には多額の寄付が送られてもいます。
こんなナンセンスな訴訟に惜しげもなく支援する人たちが
かくも多いというのは、深刻なことだと言えます。
原告のような主張をしてどれだけ受け入れられるのか理解できない
リテラシーの人たちがそれだけたくさんいるということなのでしょう。

慰安婦問題の「否定派」というのは、
それくらい自分たちの「内輪」でしか通用しない、
きわめて独善的な「理屈」を振り回していながら
納得し合っている、ということではあるのだと思います。

posted by たんぽぽ at 22:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 法律一般・訴訟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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