違憲とした裁判官は15人中5人いたのでした。
「夫婦の姓「国会で議論を」 判事5人「違憲」とした理由」
(はてなブックマーク)
女性の裁判官は15人中3人だけであり、3人ともが違憲としていました。
同性強制に違憲判決が出なかったのは、
裁判所のこうしたジェンダー不均衡も原因のひとつにありそうです。
「「判決の瞬間、涙が溢れた。本当に悲しい」夫婦別姓禁止「合憲」受けて原告が怒り」
(はてなブックマーク)
弁護団長の榊原富士子弁護士は「とてもとても残念。力が及ばなかった。
落胆するだけでなく怒りも感じている」
「最高裁の裁判官には、女性が3人しかいない。
この構造こそが、性差別の問題を扱う裁判のときに、こ
うした結果に招いてしまうということを実感した」と判決を批判した。
夫婦別姓訴訟の記者会見。多数意見は合憲だったが、違憲の少数意見は5人の裁判官いた、と。3人しか女性裁判官がいない状況も影響している、と代理人弁護士。「婚外子差別訴訟もかつて5対10だったことを思い出す」と
— Shoko Egawa (@amneris84) 2015, 12月 16
女性裁判官は3人とも「通称使用でじゅうぶんだ」という意見に反論しています。
実際に通称を使ったことのある当事者ゆえの意見でもあるのでしょう。
そして女性だけが改姓の負担を負わされるという、
ジェンダー不平等についても触れています。
岡部喜代子裁判官は「制定当時は合理性があったが、
女性の社会進出は近年著しく進んだ」と指摘。
「改姓で個人の特定が困難になる事態が起き、
別姓制度の必要性が増している」と述べた。
この意見には桜井龍子、鬼丸かおるの2人の女性裁判官も賛同した。
桜井氏は旧労働省出身で、官僚時代は旧姓を通称として使用していたが、
最高裁判事に就任後、裁判所の決まりに従って戸籍名を使っている。
10人の裁判官による多数意見が「旧姓の通称使用で緩和できる」
としたことに、3人の女性裁判官は反論した。
「(改姓が原因で)法律婚をためらう人がいる現在、
別姓を全く認めないことに合理性はない」。
女性のみが自己喪失感などの負担を負っており、
例外規定を認めないことは憲法が保障する
「個人の尊重」や「男女の平等」に根ざしていない、と断じた。
最高裁判所も通称使用が認められず、戸籍姓を使わされるのですね。
それで判決で「旧姓の通称使用が広まることにより一定程度緩和される」
などとするというのは、どういうことかと思います。
自分の眼の前で通称使用が広まっていなくて、
「一定程度」でさえ「緩和され」ていないのに、です。
男性で違憲としたふたりのうちひとりは、
非共存派の大好きな「家族の一体感」幻想への反論です。
一方、弁護士出身の木内道祥裁判官は「同姓以外を許さないことに
合理性があるか」という点から意見を述べた。
同姓のメリットとして「夫婦や親子だと印象づける」
「夫婦や親子だという実感に資する」などの点がある一方、
「同姓でない結婚をした夫婦は破綻(はたん)しやすい、
あるいは夫婦間の子の成育がうまくいかなくなるという根拠はない」。
例外を許さないのは合理性がない、と結論づけた。
国の賠償責任まで主張したのは、ひとりだけだったのですね。
3人の女性裁判官も賠償責任までは主張しなかったようです。
同じく弁護士出身の山浦善樹裁判官はただ1人、
「違憲」とするだけでなく国の損害賠償責任も認めるべきだ、と踏み込んだ。
法相の諮問機関「法制審議会」は1996年、
選択的夫婦別姓を盛り込んだ民法改正案を示し、
国連の女性差別撤廃委員会も2003年以降、繰り返し法改正を勧告してきた。
こうした点を挙げ、「規定が憲法違反だったことは
明らかだった」と国会の怠慢を指摘した。
このひとりだけが、法制審議会が1996年だったことや、
女子差別撤廃委員が2003年から繰り返し勧告してきたことを挙げ、
かねてから憲法違反だったことと、立法の不作為を主張したのでした。
原告の主張に沿った違憲性を主張する裁判官が、
15人のうちひとりだけというのも、この問題がそれだけ軽く
見られているということだろうと思います。
合憲とした裁判官は全員、裁判官、検察官の出身です。
弁護士はひとりを除いて全員違憲です。
合憲、違憲の判断は、裁判官の出身にも関係している
ということも、簡単に言及しておきます。
並べてみると出身別も大きいのかな。裁判官・検察官は全員合憲、弁護士は一人を除いて違憲だ。 / “夫婦の姓「国会で議論を」 判事5人「違憲」とした理由:朝日新聞デジタル” https://t.co/CBJDYWQxuk
— QJV97FCr (@QJV97FCr) 2015, 12月 16
いやいや、男性2人だって違憲としてることについて着眼すべきだし、なら、そもそも男性判事の方が私情だと言えるんじゃね?と突込みたくなります。
再婚禁止期間については全員一致で違憲と言うことですが、これは現規定(離婚後300日以内に生まれた子は元夫の子、再婚後200日以内に生まれた子は再婚夫の子)において父子の推定が重視しない期間の設定という観点から、100日以降は違憲とされたのであって、そこに女性差別という観点はなかったということですね。
夫婦同姓については、2人で協議の上で決めるので合憲である、というのは建前としてはありうることなんですね。やっぱり一筋縄ではいかない裁判ではあったな、と思います.
通称使用である一定のところまで解決できる、というのも、いやこれ違うでしょう、社会的な使用場面での不都合論だけじゃないのだし。
どうも、スッキリしない消化不良な結果です
それにしても、「氏名を変えられない権利」は人格権の一部である、という当たり前のことを認めなかったのは、あまりにグローバル・スタンダードからずれている時代遅れな発想だと思います。
最高裁としては、もし人格権であることを認めてしまうと、他にも離婚・再婚時の子どもの名前など多くの問題が出てきてしまうので、なかなか「氏名を変えられない権利」が「人格権」の一部である、とズバッとは言いにくいだろうとは思います。言うにしても、いろいろ条件をつけて言う必要があり、技術的にそれなりの難易度があるのだろうと推察しています。それで諦めて国会に丸投げしたのでは、とも思います。でもそれで諦めて、ガラパゴス的判決を出してしまうのは、ちょっと最高裁として情けないのではないか、と思います。もうちょっと工夫して欲しかったですね。
(一部の(男性)裁判官は、確信犯的に「合憲」としている本当に時代錯誤な人もいるのでしょうけど。)
人格権を認めてくれさえすれば、憲法の定める「人格権」と同じく憲法の定める「婚姻の自由」が両立できない今の民法は明らかに違法なんですよね。よほどの合理性がないかぎり(ってそもそも合理性なぞ一欠片もないと思いますが。)
数人の人がコメントされているだけで。
私は前のところでも書いたように選択的夫婦別姓にしてしまえばいいと思います。
まだ女性差別撤廃とか言ってますが、これを女性差別だと認識している女性がどれだけいるんです?
面倒くさいけどそういう女性がいるようだから、そうしてあげれば?という感じですからね。
主張する女性が自分の名字でなくなったために自分の存在が否定されたとか、本来の自分とは別人格とまで言い放って、そんなこと感じてる女性は数パーセントに満たないでしょう。
夫側の名字になった女性すべてがそう思っているわけでも何でもありません。
かなり変わった性格の方が叫んでいるだけで。
その女性が自分の名字を捨てたくないというのは、その名字って90%以上が父方の名字でしょう。
父方の名字をずっと保有したい。家族信仰が嫌いなわりには面白い発想しますね。
お父様は喜ぶかもしれませんよ。ただそれ以上にウチの娘は夫婦別姓というやつをやっておりまして。
となると周囲は口に出さずとも変わり者で面倒な娘さんだなと思われることが大半でしょうけど。
このエントリにコメントありがとうございます。
>女性全員が違憲としてることについて「私情を入れてる」という批判が
じゅうぶん一般性のあることですよね。
どこが「私情」なのかと思います。
そういう批判をする人の見識の狭さが伺えます。
>そもそも男性判事の方が私情だと言えるんじゃね?
それはわたしもそう思います。
「表面的に男女平等を装いつつ、女性にだけ改姓させたい」
という「私情」が入っているのではないかと思います。
>そこに女性差別という観点はなかったということですね。
ある種の人たちが嫌がりそうな観点を避けた感じですね。
賠償も認められなかったし、本当に必要最小限のことだけ
違憲にしたという感じです。
>やっぱり一筋縄ではいかない裁判ではあったな、
表面的に男女平等なことが、選択的夫婦別姓の実現を遅らせている
という指摘はかねてからありますね。
夫婦別姓訴訟に二の足を踏んでいた理由でもありますし。
http://taraxacum.seesaa.net/article/408688871.html
>通称使用である一定のところまで解決できる、というのも
当の最高裁判所が通称使用を認めないくらいですからね。
説得力がないと思わなかったのかと思います。
>「通称で緩和される」とか、全くもって喧嘩を売っているのか?
最高裁判所が通称使用を認めないところですからね。
「自分でも『緩和される』なんて思ってないだろ?」
と言いたくもなってきます。
>あまりにグローバル・スタンダードからずれている時代遅れな発想
欧米の民主主義国では数十年前に終わったお話ですし、
アジアの国でもどんどん家族法が改正されて
過去のお話となりつつありますからね。
日本で同性強制に違憲判決が出なかったことは、
外国メディアでも報道されて、日本の後進性をまたまた
世界に知らしめたと思います。
>いろいろ条件をつけて言う必要があり、技術的にそれなりの難易度があるのだろうと推察
それはわたしにはなんとも言えないですが、
そうだとしたらその程度のことで、
認められなくなるのかと思うところです。
別のところでも書いたけれど、国会に丸投げしたというのは、
「もう選択的夫婦別姓はずっと認めなくてよい」と
判断したということだろうと思いますし。
>人格権を認めてくれさえすれば、
そもそもが名前に関する権利に対する軽視も
あるのではないかと、わたしは思います。
いい記事を見つけましたよ。紹介します。
「夫婦別姓議論」に時間をかける余裕はない
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2015/12/post-796.php
>合憲になってもこちらではたいした反響はなかったようですね。
>数人の人がコメントされているだけで
それならわたしより人望があるであろう、
たまごどんのブログで会話をなさればよいと思います。
たまごどんのところへ行ったからといって、
「ヒラリー」氏と会話しなければならないと、
決まってなんかいないですよ。
そこにいるかたとお話すればいいだけのことです。
わたしのことを人望がないとか反響がないとか、
あなたはさんざん揶揄しているのに、
どうしてそういうブログにわざわざコメントするのかと思います。
人気のないと思っているブログをあえて選んで
コメントするなんて、奇特なことだと思います。
またまたコメントありがとうございます。
>http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2015/12/post-796_2.php
ご紹介ありがとうございます。
これはなかなか興味深いですね。
「女性管理職30%」の目標を断念したことが出ているけれど、
家族やジェンダーについての政策に関しては、
既得権益やら差別意識やらをやめられない、ということなのですよね。
目標を本当に達成できるだけの、家族やジェンダーに対する
確固たる思想と強い意志を持った政治勢力は日本に存在しないですから、
いつも既得権益と差別思想のぬるま湯につかるほうを選んで、
だらだらと惰性を続ける、ということですね。
選択的夫婦別姓はまさにかかる既得権益と差別意識が
がっちりガードしているところですからね。
「スローな時間軸の中で埋没してしまうのではないかと危惧します」
と記事にはあるけれど、実際そうなる可能性もあると思います。
「改革のスピードアップを図るべきではないでしょうか」と
書いていて、基本方針で既得権益と差別意識への
対峙を明確にするのは、必要だろうと思います。
問題はそれでどのくらい事態が改善されるのかなんだけど。
判決文にある「夫婦が同じ名字を名乗ることは社会的に定着しており…」のくだりには大きな違和感を感じます。100年も続く制度は「社会的に定着」するのはある意味では当たり前で、最高裁の論法は「定着」さえしていれば合・違憲などどうでもいい、と読み取れます。
最終審の役割は、それでもなお、常に憲法との整合性を論じ、社会に警鐘を鳴らすことでしょう。その意味で「家族の呼称を一つに定めること」を憲法の規定の上位に位置付ける判決に「合理性」は認められませんね。
一事が万事といいますが、今後集団的自衛権の合・違憲論争が最高裁を舞台に論じられることになると思いますが、砂川判決を引き合いにして「何でもおK」となってしまわないか危惧しています。
わたしのブログにコメントとトラックバック、
まことにありがとうございます。
>貴記事を拝読し、しっかりした論考に感服いたしました。
いえいえ。つたないブログをご評価くださり、嬉しいかぎりです。
>判決文にある「夫婦が同じ名字を名乗ることは社会的に定着しており…」
憲法判断なのですから、憲法や上位法の国際条約と
照らし合わせてどうかが大事なはずですよね。
「社会的に定着」しているものが、上位法と整合が取れているとか、
差別的でないとは決まっていないですし。
上位法と整合が取れていないとか、差別的な法規であれば、
「社会的に定着」しているからこそ、
司法判断で違憲とする必要があるのだと思います。
ついでながら「夫婦が同じ名字を名乗ること」が
本当に「社会的に定着」しているかも怪しいと言えます。
非改姓結婚を望む人は、各種世論調査で10-20%程度です。
モチベーションの弱い人も合わせれば、
30-40%くらいになるかもしれないです。
「社会的に定着」しているのは、見えない犠牲の上に
成り立っているというだけではないかと思います。
>一事が万事といいますが、今後集団的自衛権の合・違憲論争が
>最高裁を舞台に論じられることになると思いますが
それもどうなることやらと思います。
「自分の独善的な家族思想のために、
妻となる女性は犠牲になってとうぜん」と
考えているのでしょう。
そのような「権利を制限された存在」には、
「通称使用でじゅうぶん」と
いうことだろうと思います。