2016年01月23日

toujyouka016.jpg 捕鯨裁判の判決無視宣言

1月4日エントリで、国際司法裁判所(ICJ)における捕鯨裁判で、
日本が完膚なきまでに敗訴したことをお話しました。

「捕鯨国際裁判で日本大敗訴」

2015年10月になって日本はなんと、今後捕鯨について他国から
提訴されても受けて立たない、という宣言を出したのでした。
「訴えられても勝てないからもうやらない」ですよ。

「今後はICJで訴訟を起こされても受けて立たない」

 
2015年10月6日づけで外務省の文書が書き換えられています。
「海洋生物資源の調査、保全、管理、ないし開発に関わるいかなる紛争」を
除外すると、国際司法裁判所の強制管轄権の記述に加えたのでした。



CHARTER OF THE UNITED NATIONS AND STATUTE OF THE INTERNATIONAL COURT OF JUSTICE, JAPAN(1/2)
CHARTER OF THE UNITED NATIONS AND STATUTE OF THE INTERNATIONAL COURT OF JUSTICE, JAPAN(2/2)

「1958年9月15日同日以降の平和的解決の他の手段によって
解決されない全ての紛争を介しての状況や事実に関連して、
日本は特別な同意なくして、そのことにより相互主義により、
特別な同意なしに、他の国との関係で同じ義務を受け入れ、
相互主義を条件に、国際司法裁判所の管轄権はを受け入れる。」

上記の宣言に関して日本政府は以下のことについて適用しない。

(3)海洋生物資源について発生した紛争、海洋生物資源の調査に関して
発生した紛争、海洋生物資源の維持、管理に関して発生した紛争

「国際司法裁判所(ICJ)について」

我が国による強制管轄受諾宣言(2015年10月6日)


それにしても「裁判でこっぴどく負けちゃったので、
もうくじらで訴えられても相手しないからね」ですよ。
都合悪くなったので逃げることにしたのが見え見えの、
とてもわかりやすい方針変更だと思います。


「国際法規を尊重する模範国」をアピールするという、
最初の意気込みはどこへ行ったのかと思います。

http://kkneko.sblo.jp/article/93046598.html
本音では重要な国益だとは考えていないクジラで、引き分けに近い、
あるいは実質勝訴といえる軽い#s訴を受け入れ、
国際社会に対して自分たちが国際法規を尊重する模範的な
優等国なのだということを精一杯アピールする。


国際司法裁判所の強制管轄権に対して、
自己中心的な例外条項を設ける国はほかにもあります。
それでも国際法規を尊重するところを国際社会に示したいのなら、
「あいつらもやっているから」を言いわけにするわけにはいかないです。

ましてや裁判に負けてから記述を書き直した国は、
日本のほかはアメリカ合衆国くらいしかないようです。
「日本の遵法意識はとくにひどい」と思われても無理もないです。




ICJの強制管轄権についての、今回の外務省による記述の書き換えは、
今後提訴されたときに対する扱いのようですが、
すでに敗訴が決まっている、オーストラリアに提訴された
2014年4月の裁判の判決も、守らない可能性があります。

「今後は訴えられても相手しない」ということは、
「訴えられたら負けることを今後も続ける」可能性があるからです。
そうなったら国際法規も判決もろくに守らない
とんだ「ならずもの国家」ということになります。


日本が今後くじらで訴えられても相手しないことにしたという
方針変更について、外国では結構問題視されました。
「国際法無視の暴挙」なのですから、無理もないことです。

つぎのようにいくつかのメディアが取り上げています。
日本は2014年のくじら裁判の判決を無視すると、各紙とも報じています。
それに対してオーストラリアが対策を探っているともあります。

「Japan rejects international court jurisidiction over whaling」
(国際司法裁判所の捕鯨に関する判決を日本は拒絶)
「Australia seeks legal advice over Japan’s decision
to defy ICJ and continue whaling in Southern Ocean」

(日本がICJの判決を無視して南極海での捕鯨を続けることに対して、
オーストラリアが法的助言を求める)
「Aust'n gov't seeks legal advice after Japan defies whaling injunction」
(オーストラリア政府、日本の捕鯨中止の判決無視に対して法的助言を求める。)


日本国内のメディアは例によって(?)、この「くじらで訴えられても
もう相手にしない」ことを、ぜんぜん取り上げないです。
それくらい都合が悪いということなのでしょう。
ヘイトスピーチや歴史認識で、日本の政治家が都合の悪い言動をしても、
日本のメディアはろくに報道しないですが、それと同じ扱いみたいです。

ヘイトスピーチや歴史認識なら、外国メディアで報道があれば、
「外国で報道があった」ことくらいは、日本の国内メディアでも報道します。
ICJの強制管轄権については、そうした報道さえないようなので、
くじら裁判の失策の大きさは、ヘイトスピーチや
歴史認識以上、ということなのかもしれないです。

posted by たんぽぽ at 14:49 | Comment(6) | TrackBack(0) | 法律一般・訴訟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

はてなブックマーク - 捕鯨裁判の判決無視宣言 web拍手
この記事へのコメント
うわぁ、何かこの調子でまた国連脱退しちゃいそうな気がしてきた…
(復帰する時、あんなに苦労したのに!)
何だこの内向きな態度。国ですよ?
そもそも伝統捕鯨は認められているのに(前エントリで知りました)、くじら肉自体、日本の食生活の中心から離れて久しいのに、なぜそこまで執拗にこだわるの?
伝統漁以外で捕鯨に関わる人達の利権といっても、たかが知れてるし、ほんとに訳がわからん!です。

オーストラリアが強力な対案を打ち出してくれることを期待するよりほか、手が無いのが本当に歯がゆい。
くじら絶滅を阻止したい、しかしグリーンピースやシーシェパードが暗躍する事態も避けなくてはいけないしで、ますます天然資源の保護を請け負う側の負担が重くなっていきますね。
Posted by あやめ at 2016年02月01日 00:11
このエントリにコメントありがとうございます。

>何かこの調子でまた国連脱退しちゃいそうな気がしてきた…

国際捕鯨委員会(IWC)からの脱退は、実際に口走りましたね。
本当に脱退したら、それこそ「ならずもの国家」ですよ。

>なぜそこまで執拗にこだわるの?

「捕鯨サークル」の利権がそれだけ強力ということなのでしょう。
くじら裁判の判決に向き合わないことで失なうものを考えたら、
おとなしく判決に従ったほうが、ずっと得策ではないかと思います。

中国、韓国、ロシアとの領土問題を国際司法裁判所で
解決する手立てがなくなることに対して、
ナショナリストやショービニストたちは、どう考えているのかと思います。
彼らは領土問題はとても重視するでしょうから、
くじら裁判の判決に背を向けたら、損失はかなり大きいと思います。


>オーストラリアが強力な対案を打ち出してくれることを期待するよりほか、

そのオーストラリアも法的対策について
助言を求めているくらいですからね。
この手の問題は効果的な対策がないのが、とても残念なことです。
Posted by たんぽぽ at 2016年02月01日 22:11
そう言えば、昨日もスーパーに鯨肉のお刺身が売られてたなあ…
私の感覚では、商業捕鯨禁止前より、後の方が市場に出回っているような気がします。
(流通が良くなったとか、禁止されたことが却って鯨食に関心が集まったせいも有ると思いますが…そこが利権につながったのか…?)

この決定で日本は、
外交(によって広く国民にもたらされる利益)>利権
ということを国内外に露呈することになった訳ですが、モラルとか整合性とかポーズを取ろうともせず、こんな露骨に内向きな態度を取って大丈夫なのか、どう収まりをつけるつもりなのか???
ヘイトスピーチや男女格差問題が海外メディアに度々取り上げられていたり、国際機関からの勧告に対しての態度の不誠実さと同じ根っこで繋がっている、不得意なことに真摯に取り組む代わりに、軽視する姿勢。
何だかお隣の恫喝外交とやらの方が、効果だけを評価すれば外交として機能しているという一点をもって日本に先んじているとすら思えてしまう皮肉。

『政治とは、100年先の社会を作ることだ』。
イタリア・古代ローマ史に詳しい作家、塩野七生氏がこんな意味のことを、著書の中で語っていたことを強い印象で覚えています。
『政治家が、時にその生きた時代のモラルに反したとしても、優れた施策は個人を離れ、100年先の人々の生活の礎を築く』『それ故に、今現在利益をもたらすものが未来の社会にどう繋がるのか、政治家は冷徹な目で見極めなくてはならない』。
と続きます。(うろ覚えですが)
マキアヴェリの『君主論』をまとまった形で日本に初めて紹介した人らしい非常にシビアな、硬質な知性を感じさせる文章が私はとても好きでした。

その『君主論』の有名な一節、”君主は親しまれるより恐れられた方が良い。”
今の日本はどうでしょう?私の感想は、《親しまれてすらいない。》です。

それにしても、レイシスト達が『どこそこ国は〜』とうそぶいている内に、自国こそがまさに国際社会の信を失いつつあるという、まったく笑えないブーメランをどうしたらいいものか…
Posted by あやめ at 2016年02月02日 01:54
またまたコメントありがとうございます。

>この決定で日本は、
>外交(によって広く国民にもたらされる利益)>利権

「国際法規を守る模範国をアピールする」という
最初の意気込みはどうなったのかと思います。
(日本は国際法規の優先順位なんてどうせ低いほうと
わたしは思っていはいましたが。)

それだけ利権集団の既得権益が強いということでしょうけれど、
大敗訴それ自体と向き合いたくないこともあるのかもしれないです。

>こんな露骨に内向きな態度を取って大丈夫なのか

基本的に、国内世論だけ納得させれば
(ごまかせれば)いいや、という調子なのですよね。


>『政治とは、100年先の社会を作ることだ』

いまの日本は100年先なんて考えていなさそうです。
国が落ちぶれてきていますから、
先のことなんて考えたくもないのかもしれないです。
そもそもがいまを生きるのが精一杯かもしれないです。

>優れた施策は個人を離れ、100年先の人々の生活の礎を築く

無策、愚策は100年先の人びとの生活のつけになるのですよね。
人口政策はすでにその域に入っていますね。

>マキアヴェリの『君主論』をまとまった形で日本に初めて
>紹介した人らしい非常にシビアな、硬質な知性を感じさせる文章が

歴史に詳しい人は、現在のことも達観すると思います。
歴史は社会や政治、人びとの営みを鳥瞰するからだと思います。


>レイシスト達が『どこそこ国は〜』とうそぶいている内に、
>自国こそがまさに国際社会の信を失いつつあるという、

彼らにとっての「愛国」は、都合の悪いところから眼をそらして、
目先の心地よさに浸ることであって、悪いところを改善して
よりよい社会にすることではないですからね。
そんな「現実逃避」をしていられるのは、
まだまだ「余裕がある」ということかもしれないです。
Posted by たんぽぽ at 2016年02月02日 21:39
捕鯨賛成派の立場でも、コメント書けますか?
Posted by たちかわ at 2016年02月02日 23:18
書けますよ。

このエントリの主旨は、「国際司法裁判所の判決を
守らないことによってどうなるか」であって、
「捕鯨の是非」ではないので、それはあらかじめご了承くださいね。
Posted by たんぽぽ at 2016年02月03日 21:44
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック