2016年01月31日

toujyouka016.jpg 夫婦同姓強制・いつわりの伝統

「いつわりの伝統」についてのとてもよい記事です。
歴史が浅く日本固有でないものを「伝統」と言う人たちがいること、
そしてなぜそれを「伝統」と言いたがるのかについてです。

「それホンモノ? 「良き伝統」の正体」
(はてなブックマーク)

記事は選択的夫婦別姓を中心にお話しています。
現行民法の同姓強制も、反対論者(非共存派)たちが
頑迷きわまりなく「伝統」と言い続けてやまないものです。

 
夫婦同姓が日本の「伝統」でもなんでもないことは、
わたしも何度もお話しています。

「夫婦同姓は日本の伝統?」
「選択的夫婦別姓のまとめ(3)」

同姓強制の民法が最初に定められたのは1898年、
それもフランスやドイツの家族法にならったものです。
明治時代のあとのほうであり、120年程度の歴史です。
現行民法が定められたのは1946年ですから70年程度です。

「伝統」が出てきたら次の3条件に照らし合わせて、
本当に「伝統」かどうか確認するのがよいでしょう。
夫婦同姓強制は上述のように歴史もわりと新しく、
日本固有のものではないですから、1.が当てはまらないことになります。
夫婦同姓は「いつわりの伝統」の見本だと思います。

「伝統回帰論への懐疑」
1. それは本当に伝統なのか?わりと新しめではないか?
2. その伝統なるものの利益は万人が享受できたのか?
誰かを犠牲にしていなかったか?
3. ほんとうに帰れるのか


「伝統」と呼べないものをなぜ「伝統」と主張するのか、
夫婦同姓強制については、次のようなコメントがあります。
「伝統」と称すれば、特定のカチカンやイデオロギーを
正当化しやすいという発想があるのでしょう。

中央大の山田昌弘教授(家族社会学)も苦笑いする。
「『多数派がやっていること』を伝統と言い換え、
少数派を従わせようとしているだけです。自分と異なる考えを認めない。
それを正当化するために『家族が崩壊する』と言い出す。

そもそも結婚には昔、通い婚などがあったし、
家族の形も各地で本家や分家、隠居制のあり方などに
違いがあってさまざまでした。それが日本の伝統なんですが……」

「特定のカチカンやイデオロギー」というのは、
ここでは「多数派の既得権」ということでもあります。
多数派の既得権を「伝統」と言い換えていることです。
「既得権」とはっきりわかる表現をすると、
自己中心的な利益であることは明らかなので、
「伝統」と表現して聞こえをよくするということです。

「家族思想信仰」の観点から言えば、「信仰」の絶対視と
「異教徒」の排除のために、「教義」を「伝統」と言い換えていると言えます。
「特定のカチカンやイデオロギー」とは彼らの「教義」です。


「既得権=いつわりの伝統」というケースは結構あると思います。
既得権益はその社会にもっとも受け入れられやすく
抵抗に遭いにくいので、「空気のように当たり前」と思いやすく、
大昔からの「伝統」と思いやすいことがあるのでしょう。

夫婦同姓の強制をはじめ「家族思想」に対する「信仰」は
現代の日本社会の既得権ですから、それだけ受け入れられやすく、
これらを「伝統」と思い込みやすい人も少なくないものと思います。

日本の場合、「いつわりの伝統」とされやすいものは、
明治以降と戦後に現れたものが多いと、わたしは思います。
現代の日本は明治維新と戦後改革の後継者なので、
これらふたつが既得権となりやすいからでしょう。
夫婦同姓の強制は、明治の近代化の中で誕生し、
戦後改革で更新されているので、これら両方に当てはまります。


「いつわりの伝統」を主張する背景には、「伝統」と言われたら
無批判に維持しなければならない、という前提があると思います。
「伝統」の中には悪いものもたくさんあります。
悪い伝統であれば積極的になくさなければならないものです。

「伝統回帰論への懐疑」の2.にも関係してきますが、
「なぜその伝統を守らなければならないのか?」
「それは悪い伝統ではないのか?」といったことに対して、
「伝統論者」からなんら説明がない場合は、
その「伝統」を維持する正当な理由がない可能性があります。

夫婦同姓強制の場合、結婚改姓の不便をほとんど女性が被ることや、
女子差別撤廃条約からの勧告国際的な立ち遅れなどの理由で、
「維持するべきでない悪いいつわりの伝統」であることは明らかです。


夫婦同姓の強制が日本の伝統でないなんて、
さんざん議論され言われ尽くされていることです。
それでも選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)は、
しつこく「夫婦同姓は日本の伝統」と言い続けてやまないのでした。

安倍晋三首相ら反対派は「同姓が日本の伝統だ」と主張し、
いくら専門家が「同姓は明治中期以降の新しい制度」と指摘しても聞く耳を持たない。

これは「どんな事実や根拠を見せられても聞く耳持たないのは
にせ科学の信奉者の特徴」とか、「家族思想信仰が絶対すぎて
教義以外の考えができない」とか、いろいろ考えられると思います。
ほかにも夫婦同姓の強制に積極的な根拠がないので、
金科玉条のように「デントー、デントー」と言い続けるよりない
ということもあるのかもしれないです。


「伝統」と称すれば、特定のカチカンやイデオロギーを
正当化して普及させやすいという発想の極みが、
「捏造された伝統」である「江戸しぐさ」になるでしょう。

「根底にあるのは『伝統の捏造(ねつぞう)』と同じ考え」と分析するのは
著書「江戸しぐさの正体」で知られる作家で歴史研究家の原田実さん。
現在の道徳や公民の教科書が取り入れている
「江戸の商人・町人の心得・風習である江戸しぐさ」なるものが、
実は1980年代に創作されたことを2014年に著書で指摘し、
今もなお教育界に波紋を広げている。

夫婦同姓の強制の場合は、このような露骨な著作を書いてまで、
「伝統」を偽造する人はいないようです。
(それでも「何億年続く日本の伝統」なんて
突拍子もないことを言う人はときどきいますが。)

夫婦同姓の強制は強い既得権であり、当たり前のように
定着しすぎているので、「伝統」といつわっても
「そうなのか」と思われて疑わしく思われないことが多く、
そこまでする必要はないということかもしれないです。

posted by たんぽぽ at 21:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 民法改正一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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