2016年02月21日

toujyouka016.jpg 同姓強制の合憲と家族思想

2月11日の朝日新聞のオピニオン欄に、2015年12月の
同姓強制を合憲とした最高裁判決についての記事があります。
いままであまり出てこなかった論点であり、よい記事だと思います。

「家族のかたち 最高裁がなぜ踏み込む」
「家族のかたち 最高裁がなぜ踏み込む」(全文)
(はてなブックマーク)

この記事を見ると、最高裁判決は「家族思想信仰」の強制と
「異教徒」の排除にお墨付きを与えるためのものだ、
ということが改めてよくわかります。

 
とりわけ危険なのは、最高裁判決は自民党の憲法改正案に
歩み寄ったものであり、さらには2013年の婚外子差別に対する
違憲判決を否定しかねない内容であるということです。

今回の判決は、憲法判断だけでなく、
「家族の形」にまで踏み込んでいるのが特徴だ。

1948年に施行されたいまの民法には、「家族」の定義がない。
明治民法にあった「家制度」が廃止された後、
それに代わる家族像は明示されなかった。
しかし、「家族は社会の自然かつ基礎的な
集団単位である」と最高裁は言い切った。

この文言は、自民党の憲法改正草案と重なっている。
草案では、憲法24条に「家族は、社会の自然かつ
基礎的な単位として、尊重される。
家族は、互いに助け合わなければならない」という条文を新設する。

自民党の改憲案で「尊重される」べき「家族」とは
「家族思想信仰」にもとづく「家族」です。
「信仰」に合致しない「異教徒」は排除するべきであることを
うたったのが自民党の改憲案の24条です。

「憲法24条の改正と家族」
「参院選の争点は家族?」
「自民党・改憲の解説漫画(2)」

改憲案の文言と同じ内容の文章を、最高裁は判決文で示すことで
「家族」とは「家族思想信仰」に合致するものだとしたわけです。
それゆえ「異教徒」を排除することは「信仰」にもとづく
正当なことであり「合憲」とした、ということになるでしょう。


さらに、最高裁の寺田逸郎長官は補足意見の中で、
両親が法的に結婚している「嫡出子」の意義を改めて強調した。
2013年に最高裁自信が「違憲」と判断した
婚外子差別にもつながりかねない考え方だ。

「嫡出子」の意義を強調するのも「家族思想信仰」にもとづきます。
「信仰」は法律婚主義なので、嫡出概念を守ることが
彼らの「信仰」の維持にとって重要になるからです。
補足意見で「嫡出子」の意義を強調するというのも、
「家族」とは「信仰」にもとづくことの強調であることになります。

嫡出概念の存在は、子どもを婚姻の内外で区別する
考えであり、まさに婚外子差別の核心です。
ヨーロッパの民主主義国では婚外子差別はなくなっているのですが、
これらの国では嫡出概念自体が廃止されています。

婚外子差別をなくすというのは、嫡出概念を廃止することになるでしょう。
よって最高裁が判決の中で嫡出概念を持ち出すのは、
婚外子差別の維持、復活にもなりかねないことになります。
それは2013年の婚外子の相続差別の違憲判決を
否定することにもなりかねないということです。

「婚外子相続差別に違憲!」
「婚外子相続差別に違憲!(2)」
「婚外子相続差別に違憲!(3)」

2年前にみずから下した違憲判決を否定しかねず、
立憲主義を否定し戦前への回帰を志向する
自民党の改憲案に接近する、夫婦同姓強制に対する合憲判決は、
前時代へ逆行していることにもなります。


記事では判決で述べられている同性強制の「利益」に、
中身がないことについて触れています。
判決文は、夫婦の姓は「家族の呼称としての意義がある」といい、
「子の立場として、いずれの親とも等しく氏を
同じくすることによる利益を享受しやすい」と述べる。

ただし「嫡出子であることを示す」以外の「利益」は、記されていない。
逆に、両親が別姓なら、子どもにもどんな不利益が
あるのかも書かれていない。

「利益」の中身なんてあるはずもないというものです。
「同姓強制」の「利益」は、あえてあるとするなら
「家族思想信仰」の「教徒」たちの自己満足であり、
もっと言えば独善にすぎないものだからです。

「家族思想信仰」が主張する同姓強制の「利益」や、
夫婦別姓の「不利益」は、いわば「教徒」たちが作り出した虚構であり、
根拠がなくても信じるべき「信仰」にすぎないです。
そんなことはさすがに判決文に書けないということでしょう。

「利益」が「嫡出子であることを示す」だけというのも、
「家族思想信仰」らしいと思います。
嫡出子と婚外子の区別を異様に重視する法律婚主義を
「教義」に含む、「家族思想信仰」にとってだけの
「利益」ということでしょう。


記事の最初に自分の存在を否定された気がするという
別姓家族の子のコメントが紹介されています。

「自分の存在を否定されたような気がする」。
両親が事実婚で父親と姓が違う川崎市の女子大学生(22)は、
昨年12月の最高裁の判決に、そう思ったという。

そう思うのはごもっともなことです。
同姓強制の合憲判決は、まさに「家族思想信仰」の「異教徒」である
夫婦別姓の否定を合憲としたということだからです。

posted by たんぽぽ at 19:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 民法改正一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

はてなブックマーク - 同姓強制の合憲と家族思想 web拍手
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック