かなり衝撃的な調査が紹介されています。
わたしはぜひぜひ見ておきたいと思うものです。
「生まれが「モノ」をいう社会」
(はてなブックマーク)
日本は教育の公的支出が少なく、貧困層にとって不利が大きいのに、
生まれた家庭環境が影響しない公平な国だと思っている人が多い、
という調査結果が出ているということです。
「日本人はかくも自分が見えていないのか」と言いたくなる結果です。
もとのデータはISSPが2009年に実施した
「社会的不平等に関する国際意識調査」です。
「裕福な家庭に生まれること」と「高学歴の親を持つこと」という
ふたつの設問に対して、「不可欠」および「とても重要」と
答えたかたの割合の合計を2次元の図で示しています。
「裕福な家庭」と「高学歴の親」の両方に対して重要と
考える人が少ないという、左下のエリアに集まっている国は、
北ヨーロッパの国ぐにが多くなっています。
ところが同じエリアに日本も入り込んでいる(!)のです。
北ヨーロッパの国ぐにはどこも大学の授業料は無料です。
そして奨学金も充実しています。
学生生活における経済的負担がそれだけ少ないということですから、
そうした社会に住んでいる人たちが、どんな家庭環境に生まれたかを
重要としないと考えるのはごもっともだと言えます。
「学費は高いわ援助はないわ・・・日本の高等教育@OECD」
日本は大学の授業料が高く、奨学金も貧しいOECD加盟国唯一の国です。
OECD加盟国の中では、日本はもっとも学生生活に
経済的負担がかかる国であり、生まれた家庭の環境も
もっとも強く影響する可能性があるでしょう。
そんな「教育後進国」であることが実態なのに、
意識だけは北ヨーロッパ並みの先進国だと思い込んでいるわけです。
こうした現実と認識のギャップをはっきりさせるために、
『データえっせい』の4月3日エントリでは、
横軸に「教育の公的支出の割合」、縦軸に「裕福な家庭に
生まれることは重要」を取った図も載せています。
これを見ると日本以外の国ぐには「教育の支出」と
「裕福な家庭」のあいだにはおおむね相関があると言えます。
実態が不公平な国は、国民の不公平感も強くなるし、
実態が公平な国は、国民にも公平感があるということです。
ほとんどの国は自分たちを客観視できていることになるでしょう。
日本だけが左下に外れたところにプロットがあります。
実態は「不公平」なのに、自分たちは「公平」と思い込んでいる、
調査対象国の中の唯一の国であることになります。
日本人だけが自分たちを客観視できていないということです。
先日、自民党の赤枝恒雄衆院議員が、
「義務教育をしっかりやれば貧困はありえない」なんて、
貧困や教育の自己責任論を、児童養護施設出身者の前で展開して
物議をかもしたことがあったのでした。
赤枝恒雄はどこを見てこんなことを言っているのかと
思ったかたも、たくさんいらっしゃると思います。
「高校・大学進学は自己責任?」
「義務教育しっかりやれば?」
「女の子はキャバクラへ?」
かかる自己責任論に賛同する人は、結構多いのではないかと思います。
「自力で生活できない人を政府が助けてあげる必要はない」と
考える人が、日本はきわだって多いという調査もあります。
実際にも日本は社会扶助費のGDP比がとくに低いという調査もあります。
日本はなぜにかくも自己責任が大好きなのかと思うところです。
ISSPの「社会的不平等」の国際調査の結果から、
そのゆえんがわかってきたように思います。
「実態は不公平な社会なのに、公平な社会だと思い込んで
うぬぼれている人が多いから」ということです。
それゆえ「社会は公平なのだから、貧困は本人の努力で
解決できるはず」と考える人が多くなるし、
「現実に貧困におちっているのは努力しない本人の
自己責任に違いない」と考えることになる、ということです。
赤枝恒雄の認識もこのあたりだったのだろうと思います。
なぜ日本だけが、かくも自分たちの不公平を客観視できないのか
という問題が、つぎに出てくることになります。
最初の図では,日本と北欧諸国が近隣にありますが,
2つ目の図では,両者が乖離している。
この事実から,社会の怠慢が巧みに隠蔽されている,
日本の病理が見て取れるように思います。
「失われた20年」にあえいでいると言っても、
高度経済成長期からバブル時代までに培われた「一億総中流」意識が
まだ抜けていないことは考えられるかもしれないです。
前時代の感覚が蔓延しているということは、
前時代の既得権がそれだけ強いことでもあるだろうと思います。
データえっせい: 生まれが「モノ」をいう社会
- [教育]
- [社会]
- [統計]
「一億総中流」の幻想が残ったまま、社会の階層化・分断が進んだ結果、「みんな大体自分と同じように考えて同じように生きている」と、何の根拠もなく信じている人々が増えたんじゃないかなー、と思ったりする。
2016/04/04 23:29
日本人は自分らの社会を生まれの違いで人生が左右され難い平等な社会だと思っているが、客観的にはどうやらそうではないとの指摘。「一億総中流」幻想で目が曇っていれば「落伍者は自己責任」なる誤謬にも陥るか。 / “データえっせい: 生ま…” https://t.co/8dG8Aiysgq
— KasugaRei (@Kasuga_Rei) 2016年4月5日
「シャラップ上田」の「日本は人権先進国のひとつ」発言や、
ジェンダーのお話を聞くまで、日本のジェンダーギャップ指数は
1位とか20-30位くらいと思っている学生が多かったりとか、
日本はよろずに前時代からの先進国感覚が
抜けていないところはあると思います。
「社会の怠慢が巧みに隠蔽されている,日本の病理」とあるのですが、
わたしに言わせれば、「何者かが隠している」というより
「みずから見ようとしない」という要素のほうが
大きいのではないかという気がしています。
そして実態と自己認識がかくも乖離していることが
いかなる弊害を生み出すかという問題が出てくることになります。
しかし日本は,傾向から外れた所に位置しています。
教育費支出が最下位にもかかわらず,ライフチャンスの
階層的規定性に対する意識が薄い。そういう奇異な社会です。
誤謬があるかもしれませんが,お上にとって都合のよい
事態になっているといえるでしょう。
貧困対策、教育問題の対策の立ち遅れをもたらすことは
言うまでもないことだと思います。
「大学の授業料が高く奨学金が貧しいOECD唯一の国」という実態は、
国民一般の「自分たちの国は公平だ」という意識が
作り出していることもあるのだろうと思います。
ようは「自分たちのレベルにふさわしい政治を持つ」です。
21世紀の先進国共通の重要課題は格差対策であること、
格差改善のもっとも効果的な手段は、教育の公平性の保証であるという
OECDの報告書の結論を考えると、教育問題の放置は
国力の衰退に拍車をかけることになるでしょう。
「格差が経済成長を阻害」
「格差是正のための対策」
「お上にとって都合のよい事態」とありますが、
教育や福祉に予算を使いたくなくて、格差問題を放置したい
為政者にとってはまさにそうだろうと思います。
本来為政者は、格差の解決をはかる責任があるのに、
国民一般がその為政者の責任を問わないことになるからです。