2016年06月04日

toujyouka016.jpg 秋元康の新曲の歌詞のメモ

すっかり出遅れた感じですが、秋元康氏の作詞したHKT48の新曲
「アインシュタインよりディアナ・アグロン」の歌詞が
女性差別的だというので、猛批判が出たというお話に、
少し触れておきたいと思います。

秋元康氏の女性観なんていまに始まったことではないし、
この話題も議論され尽くした感じですが、以下の記事に眼を通せばよさそうです。

「女の子はアインシュタインなんか知らなくていい?」
(はてなブックマーク)
「「女の子」を愚弄した秋元康を<断罪>する  『glee』が私たちに教えてくれたこと」
(はてなブックマーク)
「秋元康さん作詞のHKT48の楽曲が女性蔑視だと炎上中だが、
リケジョを増やすために考えるべきこと。」

(はてなブックマーク)

 
以下の記事に問題の歌詞が抜粋されています。
孫引きで恐縮ですが、ここに引用したいと思います。

「HKT新曲の歌詞が女性蔑視だと大炎上…
「女の子はバカでいい」と書く秋元康のグロテスクな思想は昔から」


〈難しいことは何も考えない 頭からっぽでいい
二足歩行が楽だし ふわり軽く風船みたいに生きたいんだ〉
〈女の子は可愛くなきゃね 学生時代はおバカでいい〉
〈テストの点以上瞳の大きさが気になる どんなに勉強できても
愛されなきゃ意味がない スカートをひらひらとさせてグリーのように〉
〈世の中のジョーシキ 何も知らなくてもメイク上手ならいい
ニュースなんか興味ないし たいていのこと誰かに助けてもらえばいい〉
〈女の子は恋が仕事よ ママになるまで子供でいい
それよりも大事なことは そう スベスベのお肌を保つことでしょう?〉
〈人は見た目が肝心 だってだって 内面は見えない 可愛いは正義よ〉

人生選択の自由度を増やすにはなにより教育が必要です。
「女に教育は不要」という社会通念がどれだけ女性の人生を狭め、
「男社会」の都合のいいように女性を利用できる状況を
作り出してきたかを考えれば、この歌詞の差別性は
説明不要なレベルだと思います。



それ以前に「たいていのこと誰かに助けてもらえばいい」とか、
ふつうに社会生活ができないレベルだと思います。
他人はそんなに信用できるものではないからです。
それこそ他人につけこまれ利用されることになるでしょう。


秋元康の問題の歌詞を見ていると、「オッサン」でも
ここまで言わないのではないかとも思いますが、
「女の子に三角関数を教えて何になるのか」などという
県知事もいましたし、いまだ「過去のもの」ではなさそうです。

「女に三角関数はいらない?」
「女に三角関数はいらない?(2)」

世界の多くの国で、学力検査を行なうと女子は男子より成績がいいです。
大学進学率も女子のほうが男子より高いのが国際基準です。
かかる国際常識に反して、女子が男子より大学進学率の低い
日本だからこそ、「女に教育は不要」などという物言いは
問題視する必要があるとも言えるでしょう。

「女子は男子より成績がよい」
「大学進学率のジェンダー比較」


そうかと思うと、旅行代理店の「東大美女」キャンペーンのように
女性に「才色兼備」を期待する「男社会」もあるのですよね。

「HISの「東大美女」企画中止」

さらに30年前に実在した女子の採用基準のように、
女性に「賢さ」を期待しつつ、その「賢さ」は「男たち」の「体制」を
絶対に批判しないという、ご都合主義的なものなこともあります。

「「きのうの世界」の就職差別」

これらは同じ人が言っているのではないということかも
しれないですが、「オッサン」の都合のいい女性像自体が、
いろいろと都合よく変化するものだと思います。


秋元康の問題の歌詞について特筆することは、
リテラが批判の記事を書いたら、AKBの運営がメールで
恫喝してきたことがあるでしょう。

「秋元康の歌詞を「女性蔑視」と批判したら、
AKB運営から「名誉毀損及び侮辱罪」「記事を削除せよ」の恫喝メールが」



歌詞に登場するドラマ『グリー』は、マイノリティを
ストーリーの中心に据え、女の子の自立をテーマにした作品です。
ダイアナ・アグロン自身、リプロダクティブ・ヘルスライツや
女子の教育に力を入れているかたです。
問題の歌詞はそうした俳優やドラマをまったく理解しない、
冒涜的なものだという批判があります。

「【炎上】HKT48の新曲が海外ドラマ『glee』を侮辱しているとネットで大炎上!!
「女性蔑視だ」「全然ドラマを理解していない」と物議」


「「女の子」を愚弄した秋元康を<断罪>する 
『glee』が私たちに教えてくれたこと」

ダイアナの言う「リプロダクティヴ・ヘルスケア」とは
性と生殖に関する健康管理のことで、主に取り組まれているのが、
誰とセックスをするかしないか、子供を産むか産まないか、
どのような保険医療サービスを受けるか受けないかに関する
女性の自己決定権にまつわる問題である。

このリプロダクティヴ・ヘルスライツが女性から奪われている
国はまだまだ多く、そしてそれはたいてい女子から
教育の機会を奪うこととセットで起きている。
教育の機会を与えて個人の自己決定権をもつ重要性を
女性たちが知ってしまったら、自分を犠牲にして
第三者の思惑どおりに動いてはくれないからだ。


問題の歌詞のような思考をしている女性は多いと言う擁護と、
それに対する反論があります。

「【衝撃】秋元康の歌詞は「女性蔑視」だとリテラが怒ってるから
女性の意識調査をしてみた → 歌詞のような思考の女性が多くいる事が判明」


差別に関して「本人が納得していれば問題ない」という、
こうした場合にありがちな「擁護」は、理由にならないです。

「秋元康さん作詞のHKT48の楽曲が女性蔑視だと炎上中だが、
リケジョを増やすために考えるべきこと。」

そもそも、差別や蔑視は「対象となっている当人がどう思うか」が
いちばん重要なのでという前提はどうかと思う。
「○○とはこういうものだ」と自分自身も縛り、
自己に内面化されるものが差別というものだからである。


「あんなの無視すればいい」「反応するとかえって秋元康の
思うつぼになる」という、これまたありがちな主張に対しては、
以下の指摘を示しておきたいと思います。

差別主義者を野放しにするから、彼らはかえって
「フリーハンド」を得たと思って、さらに増長するのではないかと思います。
放置されるほうが差別主義者にとって有利とわかっているから、
差別主義者や反反差別の人は「無視すればいい」と
言うのではないかという気も、わたしにはしています。




posted by たんぽぽ at 23:46 | Comment(4) | TrackBack(0) | 家族・ジェンダー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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この記事へのコメント
たんぽぽ様、こんにちは。
思いの外、長文になってしまいました。

炎上商法というものがあります。
わざと問題を起こして注目を集めて当事者意外の興味を得る手段です。今回はタイミング的に歌の宣伝に便乗した、彼自身の看板番組のプロモーションではないかと思っています。
だってただでさえ、性の商品化を問題視されている「軽そうな女の子たち」に、「女の子はバカでいい」などと唄わせたらどうなるか。仮にもプロデュースのプロ、それもひとやまいくらアイドルのプロが、わからないはずかない。
彼らには、まさしくメシのタネですから。
自分はこうしたえげつないやり方がまかり通る日本の価値観に異常性を感じます。差別を差別と感じず、差別をプロモーションとして利用するセンスこそ、まさにこの国の病巣だと思います。
そもそも差別はどこから始まっているのでしょう。自分は言葉にあると思います。一例が自身を指す呼称です。
なぜ男は僕で、女は私なんですか。古代日本でこんな違いはあったのでしょうか。いつ、誰が、なんの意図を持ってそうした違いを作ったのでしょうか。
日本語は細かな差を表す表現が豊かだと言われていますが、それは裏を返せばきっちりと分けていることになります。そしてそうした分類、区別は、得てして差別や蔑視につながりやすいものです。
今回の件はそうして培われてきた、無意識の差別を意識的に利用してこの国ならではの悪意の発露と、自分は受け止めています。正直、気持ち悪い。
Posted by aka21 at 2016年06月06日 02:06
aka21さま、こちらにコメントありがとうございます。
いえいえ、長くなっても結構ですよ、
というかそれほど長くはないと思いますよ。

>炎上商法というものがあります

「炎上商法だろう」とは、今回も言われましたね。

>自分はこうしたえげつないやり方がまかり通る

こういう手を使えないようにするには、
ことあるごとに批判するよりないのだろうと思います。

ある種の人は、批判するとかえって目立って「炎上商法」に
乗せられることなるなどと、「批判批判」することがあります。
そうやって無視黙殺してなにも言わないできたから、
いまだに差別的な作品を作ってはばからない人が
絶えないのだろうと、わたしは思います。

現状では目立たせることで差別主義者に
目先の利益をもたらすのは、やむをえないのかもしれないです。
中長期的には批判していったほうがいいのだろうと思います。


>自分は言葉にあると思います。一例が自身を指す呼称です。
>なぜ男は僕で、女は私なんですか。

日本語は男女で違いがある表現が多いのは確かですね。
外国語にもあることはありますが、ずっと少ないです。
なぜ日本語に顕著なのかは、残念ながらわたしにはわからないです。
(槍玉に挙がる終助詞の「わ」なんてのは、明治期に女性のことばとして
定着したことくらいは、多少知っていますが。)

ことばに関してわたしがとくに問題にしたいのは、
「〇〇しろ」のような命令調の表現を使うのが男性的、
「〇〇してください」のような依頼調の表現を使うのが女性的、
という傾向があることですね。
この区別も日本語は顕著だと思います。
Posted by たんぽぽ at 2016年06月06日 22:50
秋元康がおニャン子クラブをプロデュースしたときの歌詞ってここまでひどくなかったんですよ。ちょっとHな感じくらい?
奇しくも美空ひばりの「川の流れのように」も作詞した頃?、あまり品位も落とせなかったでしょう(充分落としてるか)
今の時代にあのAKBの歌詞、やっぱり炎上商法としか思えないですね。いくら秋元でも、このご時世批判にあうことぐらい想定済でしょう。
と同時に「女の子のこうあってほしい姿」は彼の願望であることも間違いありません
まー、キモイおっさんです。が、芸能クリエイターでもあるわけですね、自分の願望をカタチにしてきた…
おニャン子、AKBと彼は二度も日本の大衆(歌謡)文化を退化させました。AKBに至っては、この成熟した市場のどこにカスタマーをみつけるか、そう、もはや秋葉オタクしかポテンシャルがなかったわけですね
いや〜コワイ、きもい戦略でした。秋葉オタもずいぶんと小バカにされたもんです。
秋元が生き残るには災上商法しかないのだとあらためて思います

Posted by うがんざき at 2016年06月14日 17:13
うがんざきさま、こちらにコメントありがとうございます。

>いくら秋元でも、このご時世批判にあうことぐらい想定済でしょう。
>と同時に「女の子のこうあってほしい姿」は
>彼の願望であることも間違いありません

なるほどねえ。

自分の願望を表現して売り込むのが
時代遅れになってきたので、かぎられたニッチを相手に
炎上商法で目立つことによってしか売れない、
ということなりそうですね。

時代の変化についていけなくなったクリエイターの悲哀
ということにもなりそうです。

現在58歳ですか。
そろそろ時代の流れについていけなくなる理由の中に、
年齢も入ってくることもありそうです。
Posted by たんぽぽ at 2016年06月15日 21:42
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