とくに教育対策に関する阿部彩氏と駒崎弘樹氏の対談記事があります。
「駒崎弘樹 子どもの貧困を救う八つの提案
阿部彩教授×駒崎弘樹(下)子どものための投資は誰が負担する?」
よそであまり見ない変わったことが書いてあると思います。
異論のあるかたもいるかもしれないですが、
ご覧になると参考になることもあると思います。
ここでは最後の4ページで会話されている
「ショック療法」について見てみることにします。
http://dual.nikkei.co.jp/article.aspx?id=8478&page=4
「ショック療法」というのは、子どもの貧困対策に
リソースを回すために、「このままだと子どもの貧困が進んで
大変なことになりますよ」と喚起するということです。
ようは啓蒙活動ということです。
阿部 そうですね。第一段階としては「子どもの貧困、
さぁ大変だ!」と喚起するショック療法ですね。
経済を重視する人達に対しては、労働力不足につながるロジックや、
貧困層一人を社会が養うためのコスト負担を訴えたり、
高齢者の方々には「あなたのお孫さん、大丈夫ですか?
他人事ではありませんよ」と説得したり。
ある意味“脅し”によって揺さぶる方法です。
「教育に投資しないと、教育の機会均等が損なわれて、
高等教育が受けにくくなって不利になりますよ」とか、
「格差が拡大して経済成長を阻害しますよ」と言ったことをお話して、
教育への投資の重要性を理解してもらうということです。
これは、わたしのブログでもよくお話していることです。
「格差が経済成長を阻害」
「格差是正のための対策」
ところが個人レベルの場合、「ショック療法」が効いたのは
最初だけで、福祉を充実させようという方向に向かわず、
自分だけ「自己責任」で助かろうとする人が増えるという
問題が出てきたことが指摘されています。
ただ、私が反省を込めて感じているのは、
最初のショック療法はかなり効いたけれど、
その結果として「とにかく自分の子どもだけは」と
過剰な防御に走る親を増やしてしまったのではないかという実感です。
お受験が過熱し、公立校は荒れ、ますます子育て費用はかさんでいく。
高所得層であっても、「わが子の子育てで精いっぱいで
税金負担はできません」という人が増えている。
問題提起の難しさを痛感しています。
福祉を充実させて、だれもが教育の負担が少なくすんで
全員が助かる社会にしようとせず、自分だけ助かろうとするわけです。
そうした社会の相場として、高所得者であっても教育に負担を
感じるようになるなど、国民全体がますます苦しくなるという
本末転倒な事態に陥ることになります。
このような「自分のことしか考えなくなる」というのは、
自分の生活を政治で解決しようという意識があまりない人が
多いこともあるのではないか、という気もしています。
自分の生活の改善は政治の役目ではないと、
なんとなく思っているということです。
内閣府の「少子化社会に関する国際意識調査」によると、
子どもを増やさない理由で、もっとも多いのは
「子育てや教育にお金がかかりすぎるから」でした。
ところが子ども手当ては相当にバッシングされたし、
高校無償化はいちおう定着しましたが、所得制限がつけられたりと、
あまり理解はされたとは言えない状態でした。
「子ども増やさない本音」
これらは同一人物とはかぎらないとも考えられます。
それでも手当てや無償化に反対しておきながら
「子どもにはお金がかかる」と言うという、
矛盾したことをしている人も結構いるだろうと思います。
日本は55年体制時代には「会社本位主義」が浸透し、
福祉は企業が担うしくみが定着していました。
それで「再配分は企業の役目」という意識があって、
国が直接給付するかたちでの福祉という意識が
なかなか出てこないということかもしれないです。
それどころか抵抗があるかたも少なくなさそうです。
上述の補助ブログのエントリに、こんなコメントをいただいてもいます。
相当に福祉アレルギーの強いかたも結構いるのかもしれないです。
http://lacrima09.blog.shinobi.jp/Entry/436/
まだ民主党政権だった頃に、父と母方の叔父(ただしあたしとは
血がつながってない)が、酒飲みながらこんなこと言ってたんです。
「民主党は、共産党よりよっぽど酷い「アカ」だ」って。
父も叔父も当時50代ですし、冷戦の記憶もそれなりにあるんでしょうが、
父や親戚が政治家を「アカ」呼ばわりしたのを聞いた記憶って、
後にも先にもこれだけなんですよね。
父達の世代だと、冷戦時代の記憶や「勤め先を通じた再分配」の
印象が強過ぎて、国から直接、継続的に給付することに対して
相当の抵抗感があったのかな、と思います。
(2013/04/17(Wed)22:53)
日本人は自己責任と福祉否定が好きな人が多いです。
「自力で生活できない人を政府が助けてあげる必要はない」と
考える人が、日本はきわだって多いという調査もあります。
日本は社会扶助費のGDP比がとりわけ低いという調査もあります。
それで貧困に陥りたくなかったら、福祉をあてにしないで
「自己責任」で努力することだと考えがちにもなるのでしょう。
さらには現状の福祉の貧しさにもかかわらず、
日本は出自がものを言うことが少ない公平な社会だと
思い込んでいる人が、異様に多い国です。
それで「これ以上福祉を充実させなくても、現状でも努力すれば
貧困に陥らないですむ」と考える人も多いものと思います。
「社会的不平等・現実と認識」
子どもの貧困が招く危機を説くという「ショック療法」で、
福祉を充実させようとはならず、自分だけ助かろうとする人が増えるのは、
1. 「会社本位主義」の時代に企業が福祉を担った名残りで、
政府による福祉を充実させる意識がなかったり抵抗があったりする。
2. 「日本は公平な社会だ」という根拠のないうぬぼれで、
福祉に頼らなくても自己責任で解決できると思う人が多い
ということになりそうだと、わたしは思います。
これらふたつの意識が日本社会の大勢において変わるのは、
まだまだ難しいのではないかという気がします。
「何も知らないより、「6人に1人の子どもが貧困状態にある」と
知ることで、行動が変わる人は絶対いるわけで」と駒崎弘樹氏は
コメントしていますが、いばらの道になりそうです。
でも、そういう余力すら無い層にとっては、知ったところで絶望が深まるだけ。
知れば知るほど、自分はどうあがいても助からないという現実が見えるだけな気がします…(泣)
わたしのお返事が遅くなって恐縮です。
>でも、そういう余力すら無い層にとっては、知ったところで絶望が深まるだけ
それゆえなおさら余力のある人たちには、
意識を持ってもらう必要があることになると思います。
「自己責任」で自分だけ助かろうという
過剰防衛に走る人たちは、余力がある人たちだと思いますし。