朝日新聞の記事、日本会議による選択的夫婦別姓反対小史です。
「日本会議研究 下 家族編 別姓反対 「広げた」運動」

>2006年
またまたとんでもシンクタンク「日本政策研究センター」です。
日本政策研究センターの機関誌「明日への選択」(06年2月号)は、
国の男女共同参画基本計画案にあった夫婦別姓の記述が、
当初案より消極的になったとして、「意義深い修正」と評価している。
これは2005年12月27日に閣議決定された、
第二次男女共同参画基本計画のことを指しています。
「猪口大臣への要望書」
「猪口大臣への要望書(2)」
「共同参画基本計画」
基本計画の内容は次の公式サイトに出ています。
民法改正に関する記述は、次のようになっています。
「男女共同参画基本計画の変更について」
「2.男女共同参画の視点に立った社会制度・慣行の見直し、意識の改革」

さらに5年前の2000年12月12日に閣議決定された
第一次共同参画基本計画の内容はこちらです。
民法改正に関する記述は、次のようになっています。
「男女共同参画基本計画について」
「2 男女共同参画の視点に立った社会制度・慣行の見直し、意識の改革」

第一次と第二次との民法改正に関する記述の変化については
以下のブログで触れられています。
「検討を進める」が「国民の議論が深まるよう」に
書き変わったところが、大きなポイントです。
「基本計画「まだがんばる」」
第二次でははじめは「国民の理解が深まるよう」とする
予定だったのですが、「理解」が「議論」に差し替えられたのでした。
この表現が変わったことは、直接的な経緯がはっきりしています。
「「理解」と「議論」の違い」
稲田は12月、政府の男女共同参画基本計画案を審議した党の部会で、
「選択的夫婦別姓制度について、国民の理解が深まるよう
引き続き努める」という表現にかみついた。
稲田は「家族の崩壊につながりかねない制度は認められない。
『理解』では、民法改正が前提と受け取られる」と主張した。
政府は、この記述を「国民の『議論』が深まるよう」にと差し替えた。
(読売新聞 2006年1月12日)
「理解」だと民法改正の実現を前提とするので、
前提としないためという稲田朋美の意向を反映したということです。
民法改正、選択的夫婦別姓を永遠に認めないことを、
念頭に置いた表現の書き換えだということです。
ほかに第一次にあった「男女平等等の見地から」という表現が
「結婚に伴う氏の変更が職業生活等にもたらしている
支障を解消するという観点から」に書き換わって、
ジェンダー平等を前面に出さず、不便解消のための便宜
というスタンスにトーンダウンしています。
第二次では「世論調査等により」という文言が加えられ、
これは国民一般に対する多数派工作で、民法改正の実現を
阻止できる可能性を入れたとも考えられます。
朝日の記事にある「日本政策研究センター」の
「当初案より消極的になったとして、「意義深い修正」と評価」
というくだりは、これらのことを指しているものと思います。
>ジェンダーフリー・バッシング
選択的夫婦別姓を含む男女共同参画基本計画の後退は、
当時さかんだったジェンダーフリー・バッシングの
一環としてなされたことだったのでした。
安倍晋三自身が、ジェンダーフリー・バッシングに
主導的になったことがあります。
これが議論されていた05年、党幹事長代理だった安倍晋三首相は、
「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査
プロジェクトチーム」の座長を務めていた。
後に安倍首相は、高橋氏の対談集で、「男女共同参画基本計画については、
約170カ所を修正し、正常化に努めました」と振り返っている。
自民党は「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査
プロジェクトチーム」なるものを2005年1月に設立しました。
この座長が安倍晋三で、事務局長は山谷えり子です。
シンポジウムで「ジェンダーフリーはポルポト」などという
妄想にまみれた攻撃的発言が出てくるプロジェクトチームです。
「安倍政権・女性活用の不信」
「首相周辺「女は家に」 「選択的夫婦別姓」試金石に」
首相自身もかつて、自民党の「過激な性教育・ジェンダーフリー教育に
関する実態調査プロジェクトチーム」の座長を務めた。
05年5月のシンポジウムでは、ジェンダーフリーの
推進論者について「カンボジアで大虐殺を行った
ポルポトを思い出す」と敵対心をあらわにした。
このプロジェクトチームは、七生養護学校で行なわれている
性教育問題の影響を受けて作られたものです。
当時の東京都議3人が七生養護学校に乗り込み
「性教育狩り」のための、恫喝的な「視察」を行ない、
産経新聞がこれを支持したというものです。
「七生性教育裁判・賠償確定」
ほかに特筆することとして、ジェンダーフリー叩きのために
異様に恣意的な設問のアンケートを行ない、
回答数が3500であるにもかかわらず、「ジェンダーフリーに批判的な
回答が3500あった」と喧伝したことがあると思います。
「成城トランスカレッジ!(3)」
「ジェンフリバッシングのために「約3500の実例」とか
言っちゃうのは恥ずかしいからやめましょう」
それでもかかるジェンダーフリー・バッシングは、
さほどの効果はなかったようで、第二次男女共同参画の基本計画も、
バックラッシャーたちが期待したほどには、
彼らの主張は反映されなかったようではあります。
「バックラッシュの後退?」
「七生養護学校の件について」
2002年から「産経新聞」や『正論』といった保守系メディアで、
「ジェンダーフリー教育」「過激な性教育」「男女共同参画」批判の
キャンペーンが始まった。
しかし2005年に、男女共同参画基本計画に短い注意書きが入った以外、
表向きの大きな成果はなかったことなどから、
そのキャンペーンは2006年には収束していきました。