日本会議の活動の中心は、「女性差別」「反フェミニズム」であること、
そしてメディアも社会も「オンナコドモのことだからくだらない」と思って、
日本会議を放置してきたという指摘があります。
「菅野完さんの、日本会議がやってきたことは『女子供は黙ってろ』運動だ」
(はてなブックマーク)
こうした「オンナコドモは黙っていろ」という中高年男性の
メンタリティを具現化したものが、日本会議ということです。
日本会議が具体的に活動していることを列挙してみると、
なるほどミソジニー、マチズモ、セクシズム、反フェミニズムですよ。
9条改憲や国家神道、天皇制も主張していますが、
これらはお題目だけで、具体的な活動はほとんどないみたいです。
「日本会議は、とりわけ細川内閣誕生以来、『壮大なる反対運動団体』になってるんです。曰く、『男女共同参画反対』『慰安婦報道反対』『夫婦別姓反対』『性教育反対』と。40年近くある彼らの歴史は、ずっと反対運動の歴史なんです」と、具体例を挙げる。
— 菅野完 (@noiehoie) 2016年7月1日
「彼らが反対運動を起こすのは、男女共同参画にしても、慰安婦報道にしても、夫婦別姓にしても、性教育にしても、全部、『女子供』の話なんです」と。ここまで話しても、だいたいの人は気づかない。
— 菅野完 (@noiehoie) 2016年7月1日
選択的夫婦別姓の反対が「反フェミニズム」なのは言わずもがなです。
わたしが何度かお話した、結婚にふたりの意思以外を
介入させようとする主張も、男性中心のイエ制度のために
女性が望まない結婚を余儀なくされる状況に戻そうということであり、
女性の権利や自由の否定ということになります。
「日本会議・別姓反対小史」
「憲法24条と望まない結婚」
「日本会議・家族保護条項」
保守や右翼のほうが、左翼やリベラルよりは、
家族やジェンダー政策に関しては熱心だということは、
わたしはかねてから思っていたことです。
それでもここまできわだっているとは思わなかったです。
「より熱心」というより「そればっかり」と言えるレベルです。
彼らを取りまくメディアや一般社会はどうかというと、
「オンナコドモのことなんてくだらない」というのが一般的です。
それゆえ日本会議がなにをやっていようと、
「オンナコドモのことなんて興味ないね」と思って放置してきた、
だから日本会議は批判されないということです。
だからもう一度念を押す。「男女共同参画にしても、慰安婦報道にしても、夫婦別姓にしても、性教育にしても、全部、『女子供』の話です。これ、皆さん方、メディアの人々も、そしてその需要サイドである我々社会も、最もバカにする分野の話ですよね?」と念を押す。ここまでくると反応が分かれる
— 菅野完 (@noiehoie) 2016年7月1日
「つまり皆さんと皆さんの報道の消費者である僕たち市民社会が、『女子供の話だからどうでもいい』と等閑視していた事柄ばかり、彼らがやってきたから、彼らの運動が報道されないんです。つまり日本会議と我々は両方とも加害者」という話をする。
— 菅野完 (@noiehoie) 2016年7月1日
これもわたしもかねてから思っていたことです。
とくに政治に関しては「天下国家について語るもの」という
意識が蔓延しているので、なおさら「オンナコドモのこと」は、
くだらなくなってくることになります。
「争点にならない女性政策」
争点にならない女性政策 アベノミクス賛否が優先 http://t.co/LypnIqs2zb 田舎の選挙区に行くと、「女性や子供のことばかりで、天下国家を論じなければ票にならない」などと言う年寄りが必ずいる。だから、経済や安全保障の話ばかりしなければならなくなってしまうのだ。
— ラビニア (@IsSheW) 2014年12月5日
「政治というのは天下国家を論じるもので、女子供といった小さなことを論じるものではない」という偏見は、田舎に限らず、多くの人が持っている。新橋あたりの飲み屋や、町内会における政治好きの人の論議は、必ず、経済や安全保障についてであって、子育てや女性政策の話が話題に上ることはまずない。
— ラビニア (@IsSheW) 2014年12月5日
民進党(民主党)は自民党と違って、家族・ジェンダー問題では
ずっとまともであり、信頼できる主張や政策を示していると思います。
それでも家族・ジェンダー問題に積極的かというと
それほどでもなく、前面に出すことはあまりないと思います。
これも「オンナコドモのことはくだらない」とか、
「政治とは天下国家を語るもの」という意識があって、
「支持や票が得られない」と思っているのもあるのだろうと思います。
「民主党の現状・識者に聞く(2)」
「民主党の現状 識者に聞く 地味に汗をかく人少ない 代表選 方向示す一歩に」
以前、日本再建イニシアティブのかたが、当時の民主党について
市民社会の中には安倍政権の女性政策に反発するという指摘をしたことがあります。
「怒れる大女子会」のような動きも出てきているが、
ごく一部の議員しかそこへ飛び込んで聞くことをしない。
女性が働きつつ子供を産み、育てられる社会づくりに
必要な制度や負担は何か。議論すべき課題が山積みしている。
これは同じ記事で指摘されている「他の野党と比べても、
新たな支持層を開拓することに鈍感」ということもあるのでしょうが、
「オンナコドモのことなんて興味ないね」という
意識もありそうに思います。
「オンナコドモは黙っていろ」という日本会議を、
「オンナコドモのことなんてくだらない」という一般社会が放置した、
その結果、日本会議は批判されずに「野放し」となり、
現在のように強大化したということです。
その意味で日本会議と一般社会は「共犯」関係にあります。
「つまり皆さんと皆さんの報道の消費者である僕たち市民社会が、『女子供の話だからどうでもいい』と等閑視していた事柄ばかり、彼らがやってきたから、彼らの運動が報道されないんです。つまり日本会議と我々は両方とも加害者」という話をする。
— 菅野完 (@noiehoie) 2016年7月1日
直接訊けば「選択的夫婦別姓はもちろん賛成ですよ」と
答えるかたでも、「オンナコドモのことはくだらない」と
思っている人は、少なからずいそうに思います。
関心を持たないことで、日本会議を黙認、追認することになって、
結果的に日本会議に協力するということです。
「政敵や論敵に釘を刺す」
こうした状況から脱却するためには、
一般社会が「オンナコドモのことなんてくだらない」と思うのをやめて、
「オンナコドモ」のことでも差別的主張や活動に対して、
まじめに受け止めて批判するように変わるよりないと思います。
このような「オンナコドモは黙っていろ」と、
「オンナコドモのことなんてくだらない」という、
ミソジニー、マチズモ、「反フェミニズム」は、
実は中高年男性の精神・思考構造にほかならないです。
「僕は、日本会議っていいネーミングだと思うんですよ。だってそうでしょ?彼らが言ってることは、天皇崇敬も何もかもお題目だけ。実際にやってることは、さっき振り返ったように、女子供の話ばかり。つまりは『女子供は黙ってろ』と言いたいわけ。これ、『ニッポンのオッサン』ですよね?」と。
— 菅野完 (@noiehoie) 2016年7月1日
「日本会議は小さい。しかし、彼らがレペゼンしてるのは『ニッポンのオッサンのメンタリティ』。国粋主義でも宗教でもない。あなたにもそしてこんな偉そうなことを言ってる僕の中にもあるかもしれないドロドロとしたミソジニーをレペゼンしてるんだから、強いんです」
— 菅野完 (@noiehoie) 2016年7月1日
中高年男性の思想やカチカンの「闇」が凝縮されて
具現化したものが、日本会議ということになりそうです。
社会の既得権益者である中高年男性の思想やカチカンを
代弁しているから、日本会議は「強い」ことになります。
「日本会議」は本当にいいネーミングかもしれないですね。
「女性差別は日本人のこころ」と言っているようなものですから。
日本会議の強大化は、日本社会がそれだけ女性差別に対して、
黙認、追認、支持、協力してきたことの反映ということです。
通じるというか、まさに本質だよなあ…と。
この人たちが本当に愛しているのは、男性なんでしょうね。
欲情を感じるの相手は、本当は、男性なんでしょう。
でも、同性との性行為は恐ろしい。気持ち悪い。
だから、代用品として女の身体を《使役》する。
そう考えると、女性にやたら厳しい男性の理由が理解できます。
代用品を大事にするわけ無いですからね。
なお、ここで重要なのは、その使役する代用品(=女)は、
魂のない人形ではなく、プログラミングされた行動のみを行い、
定期的にメンテナンスが必要なロボットではなく、”生きた”人間であること。
こちらの働きかけに複雑微妙な反応を示しつつ、想定外の要望にも良く答え、
相当量の付加を掛けても、なかなか故障しない。
しかも、性能を維持する為のメンテナンスも修復も不要(自己責任)。
こういう生活を二世代三世代続けていれば、そりゃ、人間退化しますよね。
(彼らの暴れっぷりは幼児が泣きわめいてダダをこねている姿に似ている。)
同性愛を忌避するのは、どこまでも自分の都合なのに、
『女というモノが存在するから、俺たち(←)は女を抱かなくちゃいけない』
と思い込んでいる。
エントリの主旨からはだいぶ外れてしまいましたが、
この、《ホモソーシャル&ホモファビア》な男性にとって、日本ほど良くできた
国は無いとつくづく思ったことでした。
>今私が参加している議論(?)にも通じるお話だと、
わたしも思い浮かべるものがあったです。
慰安婦の議論からすでにそうでしたね。
動機は「日本の名誉のため、国際社会につけを残さないため」でした。
あのかたに「女性の人権」という視点の議論は少なかったわけです。
こちらから誘導しても、なかなか論点にしないくらいです。
「天下国家のためにオンナは黙ってろ」ということでしょう。
最近のわたしは、ネットにおける中高年男性のミソジニーが、
いろいろと気になるようになってきています。
彼らもネットを始めたころは、20代30代の若造だったけれど、
40を過ぎて中高年男性の仲間入りをしてくると、
社会的地位も持つようになるし、自分が手にした既得権益が
当然のようになるしで、「オンナコドモ」のことが
くだらなくなってくるのかもしれないです。
>この人たちが本当に愛しているのは、男性なんでしょうね。
>欲情を感じるの相手は、本当は、男性なんでしょう。
それはどうかな?と思います。
彼らの性欲や恋愛の対象は、やはりあくまで女性だと思いますよ。
マチズモは一般に男性の同性愛を「男らしくない」として
嫌悪するけれど、これも異性愛が絶対というのを
正当化するためだろうと思います。
ミソジニーは「女に好かれたいのに好かれない」という
感情がもとになっていることが多いです。
それで「女が嫌い」と言っても、「女に好かれたい」という
気持ちは残っているわけで、それで嫌いと言いながらも、
近づきたがるという矛盾に陥るわけです。
「女が嫌いなので女には関わらない」という
シャーロック・ホームズや次元大介やフリードリヒ大王のような
タイプのミソジニーは、現実にはなかなかいないようです。