という特集で、子育て支援について取り上げた記事があります。
これを見てみたいと思います。
「(2016参院選 アベノミクスを問う:3)
「保育園落ちた」遠い政治 予算、高齢者向けに偏重」
「(2016参院選 アベノミクスを問う:3)
「保育園落ちた」遠い政治 予算、高齢者向けに偏重」(全文)
「進む待機児童対策に懸念も 数だけ確保 質置き去り」
大きくふたつの記事になっています。
ひとつ目は予算が高齢者向けに偏重していて、
家族や子ども向けの予算が少ないという問題です。
内閣府のサイトに、各国の家族・子ども向け公的支出の
GDP比の国債比較の図が載せてあります。
これを見ると、日本はヨーロッパ諸国と比べて
ずっと家族・子ども向けの支出が少なくなっています。
出生率が上昇しているフランス、イギリス、スウェーデンとの差は
はっきりとしています。
「家族関係社会支出(各国対GDP比)」
朝日の記事には、いくつかの社会保障に関する支出の
GDP比について、国際比較が載せられています。
日本は「医療」は他国と比べて同程度、「高齢者」は多いくらいですが、
「子育て」は少ないほうとなっています。
高齢者向け公的支出と、家族・子ども向け公的支出を比較して、
高齢者向けに支出の割合が偏っていると少子高齢化が進むことは、
この分野に詳しいかたはご存知だと思います。
福祉のバランスの問題です。
「福祉のバランス」
2003年のデータで古いですが、高齢者向けに公的支出が偏っているほど
出生率が低いという相関があることがわかります。
「高齢化対策に対する少子化対策の相対ウェイトと出生率」
高齢者偏重の予算は、これまでもずっとそうだったし、
2015年度の補正予算でもそうだったのでした。
実際に政府の予算配分は高齢者向けが圧倒的に多い。
国立社会保障・人口問題研究所によると、
年金や介護などの政府支出は13年度で54兆6247億円で、
保育所整備や児童手当、育児休業給付といった子育て向けは8兆568億円。
日本は人口に占める高齢者の割合が大きいとはいえ9倍の開きがある。
欧州各国と比べても偏重ぶりは際立つ。
昨年末に編成した15年度の補正予算では、
小規模保育所の整備費補助や保育士の業務負担軽減策などに1245億円を計上。
一方、低年金の高齢者に3万円を配る臨時配給金には3264億円をかけた。
高齢者に公的支出が偏って、家族・子ども向けの公的支出が
なおざりにされる原因のひとつとして、選挙が考えられます。
ただでさえ高齢者は人口比が高いのに投票率が高いから、
投票するのはますます高齢者が多くなります。
それゆえ為政者も、彼らの「民意」を汲み取るために
高齢者向けの政策に重心が偏るということです。
「保育園落ちた! 選挙攻略法」。
こんなイベントが5月下旬に東京都内で開かれた。
集まったのは子ども連れの親たち約120人。
フェイスブックなどのSNSを通じて呼びかけた
同志社大院生の對馬果莉(つしまかり)さん(30)は
「子育て世代が声をあげないと政治は動かない。
選挙で思いを届けませんか」と訴えた。
前回の2013年参院選では、有権者の4割を占めた
60歳以上の投票率は62・4%で、
3割いた20〜30代の投票率は39・2%。
当選した政治家が「有権者の声を聞く」と言い、高齢者向けの政策に重点を置く。
こうした政治は、「シルバー民主主義」と呼ばれる。
少子高齢化を解消するために、家族・子ども向けの
公的支出を増やしたいのに、人口比が大きいゆえに
高齢者の「民意」ばかり反映されて、ますます少子高齢化が
進んでいくという悪循環に陥っているのでしょう。
子育て世代の人口比が低いのは変えようがないですから、
投票率を上げるよりほかないことになります。
日本の一般市民のあいだに見られる政治アレルギーや、
政治で自分の生活を改善しようという意識のとぼしさもあって、
これもなかなか難しいのが現状となっています。
「争点にならない女性政策」
一方、子育ての当事者たちは、政治論議をしたがらない。保護者仲間のフェイスブックでも、教育や保育に関する意見は、よほど気を使わないと書けない。もちろん会っても話題にならない。ましてや各党の政策の違いの話などタブー中のタブー。「投票だけは行こうね」と書いてイイネをするのがやっとだ。
— ラビニア (@IsSheW) 2014年12月5日
選挙カーでがなり立てる『○○をよろしくお願いします!』式の選挙戦。
昔は私も、
『アメリカみたいに有権者が老若男女、集会に集まってとことん話し合うとか、
有権者へ個別訪問してじっくり話をするとか、すれば良いのに…』
って思ってたことがありますが、まあ無理ですよね、今の状況じゃ。
まずみんな、そんな時間取れないし。
行けたところで、自由な発言なんてまず無理だし。
あーいうところにも序列がきっちりあって、結局声のデカイ奴が仕切るし。
結局あれが、日本の現状に一番適したやり方なんですよね。
そして(↑)こういう、古き良き昭和チックな越山会的集結力が政治を
動かすことになるんでしょうね。
老年層にとって、昔取った杵柄、懐かしき青春の血湧き肉躍る運動であり、
また今、政治の中枢を握っている側から見ても、そういう活動は、たぶん
『わかりやすい』。
ネットだツイッターだオタクだリベフェミだ日本死ねだ、彼らには『わからない』
んですね、きっと。
しかしまあ、後顧の憂いなく政治活動に集中できる老年層なんて、
ほんの一握りだと思うんですけどねえ…
(よーするに、このじーさま達の積む金(≒利権)の多寡が違った、ってことでしょう?)
同じ老年層も、働き盛りの納税盛りも、彼らが思っているよりも
多くの”民意”を切り捨ててると思いますよ、これ。
ps.ちゃんと考えないのが悪い、選挙に行かないのが悪い、って言われても、
正直、勝てる気がしません。だってこのじーさま達、まだ実権持ってんでしょ?
>選挙カーでがなり立てる『○○をよろしくお願いします!』式の選挙戦
あの連呼は、公職選挙法の制限があるみたいです。
>『アメリカみたいに有権者が老若男女、集会に集まってとことん話し合うとか、
>有権者へ個別訪問してじっくり話をするとか、すれば良いのに…』
集会や戸別訪問は、日本でもやっていますよ。
政治家でも支持基盤堅めに余念がない人は集会に熱心です。
戸別訪問は「どぶ板」選挙、支持堅めの基本ですね。
>正直、勝てる気がしません。だってこのじーさま達、まだ実権持ってんでしょ?
高齢層は「しがらみ」で投票に行く人も結構いるのですよ。
だれさんに連れられて、その縁やら義理やら圧力やらで投票です。
それで投票率が高いこともあります。
TVでは野党側の総括はほとんどないので、よけい…
(これじゃイギリスを笑えませんね)
>集会・個別訪問
も、
>しがらみ
も、それを仕切っている・中心人物は老人で、参加者もまた老人だろう、
という意味でした。
地方によっては地区全体が地縁のしがらみでがっちり、なんてことも聞きますし。
そういうところではコミュニティが第一で政策なんて二の次だったりしますよね。
記事内にもありますが、まさに政治による救済が必要な世代こそ、政治が遠い…
とつくづく思います。
(だから、知名度だけでトップ当選なんてことがままある。今回に限りませんが、
今回は特に気になりました。)
その延長上に私も存在していて、それが『絶望しつつ、あきらめつつ、』
これからも見て行かなくてはいけない、と思ったことでした。
>昨日は選挙結果がかなり意外で、ショックを受けていました
きのうのエントリでもお話したけれど、
希望が出てきた部分もあるので、気を取り直すのがよいのではと思いますよ。
>まさに政治による救済が必要な世代こそ、政治が遠い
なぜ彼らが政治から遠いかだけど、
わたしが思うに「政治で自分の生活を改善する」という発想が
ないこともあるのではないかと思います。
日本は福祉も企業持ちだったので、
行政の仕事という認識は薄い人もいるでしょう。
彼らにとっての政治とは、経済とか安全保障のことで、
自分の生活と関係ないものである、
というイメージではないかと思います。
>知名度だけでトップ当選なんてことがままある
そういうのは「なにかしてくれそう」という期待感だけなのですよね。
(その「期待感」さえ外れていることがある。)
真面目に自分の生活を考えての政治なら、そんな漠然とした
態度で決めるというリスキーなことはしないでしょう。