2016年07月10日

toujyouka016.jpg 話題にならない憲法24条

憲法24条をはじめとする家族やジェンダー問題を、
「女だけの問題」として「めんどうくさい」と避けてきた、
その結果、家族やジェンダーに関して因習・反動的な人たちが
容易に反対することができたという記事です。

「憲法24条を「女だけの問題」にしてはいけない」
(はてなブックマーク)

7月4日エントリの「オンナコドモは黙ってろ」の人たちを
「オンナコドモのことはくだらない」という人たちが放置したので、
日本会議が台頭してきた、というお話と類似のことです。

「菅野完さんの、日本会議がやってきたことは『女子供は黙ってろ』運動だ」
(はてなブックマーク)

 
憲法24条は憲法9条と比べて話題になりにくいという指摘があります。
これはわたしもいつも思っていることだと思います。
24条が改正されたらなにがどう危険なのかも、
かねてから言われてはいますが「散発的」の感は否めないです。

自民党や日本会議が、憲法改正のとば口のひとつとして
憲法24条に目をつけたのは、敵ながらうまいところをついていると思う。
まず24条は、9条に比べて話題になりにくいのだ。
たとえばYahoo!ニュースで「憲法24条」を検索すると、ニュースの数は28本。
一方の「憲法9条」は389本で、14倍近い差がある
(ともに2016年6月30日現在)。

9条は日本人のアイデンティティに関わることなので、
どうしても関心が集中するのは、やむをえないとは思います。
それでも自民党の改憲草案は全体に及んでいるのに、
「憲法改正=9条問題」のようになっているのは、
ほかの条文の改正の危険性も考えると、あまりにアンバランスだと思います。




24条に関心が払われないことに関しては、
やはり「オンナコドモの問題」と思われていることがあるでしょう。

女の問題は、保守からはこのように簡単に批判されやすいだけではなく、
リベラルからも、女性からも、面倒くさいと思われてしまう部分がある。

リベラルでも、男女平等やフェミニズムへの違和感や嫌悪感を
表明する人は少なくないし、女性でも「男女平等がいいとは思わない」
「私はフェミニストではないけれど」とエクスキューズすることがままある。

7月4日エントリでも触れましたが、左翼やリベラルは、
家族・ジェンダー政策にはそれほど関心がないことが多いです。
ここには「オンナコドモのことなんてくだらない」
という意識があるということです。

「日本会議・ミソジニーの本質」

補助ブログの7月7日エントリで触れましたが、
「日本会議の本質はおっさんのミソジニー」ということを、
もっとも理解したがらないのが、左翼やリベラルの中高年男性です。
左翼やリベラルは、ことのほか家族・ジェンダー問題には
無理解と思っていいかもしれないです。

「日本会議・ミソジニーの本質(2)」

さらには上述のように、フェミニズムに対する違和感や
嫌悪感を示す人も珍しくないです。
ツイッターでミスコンテストを擁護する論陣を張った
小倉秀夫弁護士のように、ほかではリベラルな思想なのに、
やけに反フェミニズム的な男性識者も珍しくないと思います。

「ふたたびミスコンの議論」


「オンナコドモのことなんてくだらない」とまで
思わなくても、「女の問題はめんどうくさい」くらいなら
思っている人は、もっとたくさんいそうです。
それは記事著者を含めた、フェミニズムに関わっているかたでさえ
そう思うことがあるくらいです。

私自身はたしかに高校時代から30年来のフェミニストではあるのだが、
「いつまで女の問題について書かなければいけないのだ、めんどくせーな」と、
書いているこっちだって思っているのである。

憲法24条を「女だけの問題」にしてはいけない(深澤真紀)|ポリタス 参院選・都知事選 2016――何のために投票するのか

『「いつまで女の問題について書かなければいけないのだ、めんどくせーな」と、書いているこっちだって思っている』私ですらそんな気分が共有出来るからな…先達の皆様の徒労感たるや…

2016/07/09 23:01

かくして「オンナコドモは黙ってろ」という保守や右翼は、
「オンナコドモのことはくだらない」とか
「女の問題はめんどうくさい」と思っている人たちの
無関心に支えられて、彼らの反フェミニズム的主張を
実現してきたことになります。

男女平等もジェンダーフリーも夫婦別姓も、
そういった「面倒くさい女の問題」として扱われたからこそ、
自民党は自分たちと違う意見が優位になるのを阻止することができた。
フェミニストは家族や男女を破壊するモンスターとして、
自民党の仮想敵であり続け、結果としてうまく利用されて
しまった部分があると、自戒を込めて思っている。


かかる状況から脱却するにはどうしたらよいかですが、
ひとつは「オンナコドモのことはくだらない」とか
「女の問題はめんどうくさい」などと思わず、
まじめに取り組むということがあります。

しかしこのまま24条を女の問題として面倒くさがっていると、
同じ轍を踏むことになってしまう。

もっと大事なことは、24条をはじめ家族・ジェンダー問題は
「オンナコドモだけの問題」ではないこと、男性にも関係する
問題だということを、あらためて認識することだと思います。

「個人の尊重」よりも「家族の尊重」が重視され、
「婚姻の自由」もなく、「家族が助け合わなければならない」という社会は、
女性だけではなく男性にとっても生きやすくはない。


これもむかしから言われて続けていることですが、
ジェンダー役割のある世界、「男性らしさ」や「男はかくあるべき」を
押し付けられる社会は、男性にとっても生きにくいわけです。
戦前の「イエ制度」的な家族観への回帰を志向する
自民党の改憲草案は、そうしたジェンダー規範の強化を
もたらすことになるということです。

「憲法24条と望まない結婚」

「失われた20年」によって、平均年収が下がった現状では、
「男はとにかく働いて家族を養うものだ」という意識は
多くの男性にとって負担になるでしょう。
ジェンダー平等を推し進めることによって、
男性もかかるジェンダー規範から解放されるということです。

自民党の改正草案には、男性が過剰な「家長」意識を持たされるしんどさがある。
男女平等阻止や、ジェンダーフリーバッシングだって、
夫婦別姓反対だって同じで、本当は女だけの問題ではなかったのだ。
結果として「男はとにかく働いて家族を養うものだ」
「働かない男、稼がない男には意味がない」というプレッシャーにもつながりやすい。

家族が一番大事な人、男らしさや女らしさが大事な人、
「家長こそが男の生き方、それを支えるのが女の生き方」と思う人がいてもいい。
でも、そうではない人、そうはできない人もいるのが、個人が尊重される社会だ。
24条改正は、女だけの問題ではないのだ。


記事にないことですが、24条問題に関心を持ってもらう方法として、
家族や結婚に関係する条文ゆえに、日常生活の身近なことに
関係するところで変化があることを、よく知ってもらうことがあると思います。

24条が自民党の改憲草案によって改正された場合、
−−−−
家族や親族に干渉され、好きな人と結婚できなくなる、
家の都合で好きでもない人と結婚させられることになる、
DVや虐待を受けても離婚が難しくなる、
児童手当などの公的支援が削減される、
子どもを産み育てて社会に貢献しろと圧力がかかる、
育児や親の介護は家庭の負担となる、
女に学問はいらないと言われて、生きかたを狭められる
配偶者の親と同居を余儀なくされる、
−−−−
といったことがあることが指摘されます。

これらは多くのかたにとって自分の身近なこと、
自分にも関係あることとして、実感しやすいだろうと思います。
(「9条を改正されたら徴兵制が〜」なんてのよりは、
ずっとリアリティがあって、現実に起きうることでしょう。)

自民党の改憲草案に従って24条が改正されたら、
このような身近な生活のレベルでたいへんなことになる、
(もちろん女性だけでなく男性にとっても)
ということは、もっと広く訴えることだと思います。





posted by たんぽぽ at 07:44 | Comment(4) | TrackBack(0) | 家族・ジェンダー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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この記事へのコメント
読めないな…と思ってましたが、正直与党が過半数を取るとは…

がっかりです。
Posted by あやめ at 2016年07月10日 21:48
あやめさま、コメントありがとうございます。

与党で過半数は必至だと思っていましたよ。

改憲勢力で3分の2と、自民党の単独過半数を阻止できたので、
まあいいかと、わたしは思っています。

http://www.asahi.com/senkyo/senkyo2016/
Posted by たんぽぽ at 2016年07月11日 21:49
たんぽぽ様、こんにちは。

ちょうど、憲法24条に関する記事があったので読んでみたところです。

性的少数者が憲法に問うた「家族」「幸福」の形 最高裁勝訴から考える「自分らしく生きる権利」
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/120100058/070700005/?P=1

憲法は解釈の仕方なんだと思っています。時代に合わせた解釈があっていいのだろうとは思っています。
でも、それでも憲法は理念です。そうそう軽々にそのものを変えていいわけではない。

そもそも公約を果たさず「新しい判断」などとたわけた妄言で朝令暮改を行うような言語道断な政権に、任せていいわけがない。
正直、内容以前に、あいつらに憲法を変えるだけの資格があるのかと思う。そんな覚悟もないくせに。
Posted by aka21 at 2016年07月13日 11:13
aka21さま、こちらにコメントありがとうございます。

>「性的少数者が憲法に問うた「家族」「幸福」の形 
最高裁勝訴から考える「自分らしく生きる権利」」
>http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/120100058/070700005/?P=1

ご紹介ありがとうございます。
この裁判、1審、2審と退けられたけれど、最高裁で逆転勝訴になったのでした。

「GIDの男性の子が嫡出子」
http://taraxacum.seesaa.net/article/382684654.html

「離婚後300日規定」なんてあって、
生物学的な親子関係でない客観的証拠がたくさんあっても、
現在婚姻している夫の子と推定するようになっています。
それにもかかわらず性同一障害のかただけ
「生物学的な親子でないことが明らかだから認めない」
というのはご都合主義的だと思います。

ご紹介の記事にもあったけれど、家族観の影響は強いと思います。
嫡出推定の規定ができた明治時代は、
性同一性障害とか性別適合手術なんて念頭にない。
自分たちの理解できる「家族」の中に当てはまらないから
締め出しているということなのでしょう。
Posted by たんぽぽ at 2016年07月13日 23:01
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