8月18日にNHKで子どもの貧困が取り上げられたのでした。
番組では実際に進学をあきらめた高校生が、取材を受けていました。
「子どもの貧困 学生たちみずからが現状訴える」
ところがこの番組を観てネットで「貧困バッシング」を
始めた人たちがたくさん出てきました。
かかるバッシングに自民党の片山さつきが便乗して、
NHKに説明を求めるとまで言い出したのでした。
「お前ら正気か by cdb氏」
「自民党・片山さつき参議院議員が「貧困JKバッシング」の尻馬に乗って炎上→批判デモ→モーニングショー」
「”貧困女子高生” 炎上の背景に報道側の配慮不足とネットの悪ノリ」
「子供の「6人に1人が貧困」 40兆円の社会的損失」
「貧困女子高生騒動 「相対的貧困」への無理解も原因」
「片山さつき議員の「子どもの貧困」報道批判は、政治家の恥さらし」
NHKが子どもの貧困を取り上げたのは、
貧困率が着ちゃくと上昇し続けていることがあります。
バブルの時代から貧困率はほぼ単調に上昇し続け、
現在は16%を超えて6人にひとりが貧困です。
「上昇を続ける日本の貧困率」
1985年でさえ子どもの貧困率は10.9%あったわけで、これは未来の話ではなく、ずっと実在し続けた「社会的損失」だということ。 /
— akupiyo (@akupiyocco) 2016年8月23日
子供の「6人に1人が貧困」 40兆円の社会的損失 https://t.co/LtvEh1qUEJ pic.twitter.com/dFTTOFOUzG
番組に登場した高校生は、両親が離婚した母子家庭で
家にエアコンもなく、またパソコンがないので
学校の授業についていくのも困難でした。
入学金の工面が難しく、行きたかったデザイン系の
専門学校への希望も諦めることになったのでした。
現在の貧困率の高さを見れば、こうした高校生は
たくさんいるでしょうし、今後も増え続けることが予想されます。
ネットで番組に出た高校生をバッシングする人たちは、
根掘り葉掘りくだんの高校生のツイッターの過去ログを調べ、
番組の映像を拡大してプライバシーを暴いて、
「くだんの高校生はこんな贅沢な暮らしをしているから
貧困でない」などとうそぶいていました。
ネットの貧困バッシングは、生活保護バッシングが
盛りを過ぎたとはいえ、まだまだ健在なようです。
日本人の貧困感を露呈しているということなのでしょう。
バッシングする人たちというのは「自分が考える貧困」
「自分があるべきを思う貧困」があって、
それに合致していないと、「これは貧困ではない」と
決めつけるということを、ここでは指摘しておきます。
子どもの貧困の問題、金の使い方が云々とか、高価な文房具があるから云々とか、子どもの貧困ってちゃんと定義があって、それを満たしたケースを報道してるのを「自分が考える貧困じゃない」ってだけでよくもまぁぐちゃぐちゃ言えるもの。
— ながし (@Pnagashi) 2016年8月19日
そりゃ、子ども貧困なんかなくならんわ。
「真の貧乏人」探求がエスカレートすると,児童養護施設がケーキやお寿司を注文し,これが配達される模様を見るだけでクレームを出します。さらに上級者になると,子ども達が笑っているだけでクレームを出します(いずれも経験済み)。あるべき貧困者像を押し付けられる義理はないのですが。
— adiabatic (@adiabaticQC) 2016年8月19日
「真の貧乏人は○○しない」と貧乏人判定基準をどんどん厳しくしていったら、行き着く先は「皇軍は食う物がなくても戦いをしなければならないのだ。兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは戦いを放棄する理由にならぬ」みたいな事態ではないかと思うんだがな。
— 有村悠%砲雷撃戦合同4・D17 (@y_arim) 2016年8月19日
「自分が考えるなんとか」とか「あるべきと思うなんとか」
なんて、現実の「なんとか」からはだいぶ違った
「思い込み」であることが多いです。
そんな思い込みにもとづいて議論したら、
当事者や事情に詳しいかたからクレームが来るでしょう。
それは貧困であっても同様です。
ところが貧困に関しては、現実から乖離した固定観念を
楯にとったバッシングがまかりとおるということです。
バッシングがまかりとおるのは、貧困層がそれだけ
社会的弱者だということにほかならないです。
相手が社会的強者なら、固定観念を振り回した
バッシングなんて、とてもできないことだからです。
片山さつきにいたっては、もはや意外性がないです。
河本準一氏の母親の生活保護受給のバッシングに
火に油を注いで、生活保護の受給額の削減を
もたらすことになったという、貧困バッシングの「成果」があります。
「生活保護の実態のメモ」
リテラシーに関しても、ネトウヨの流すデマを信用して、
デマの拡散に加担することを、何度も繰り返してやまない「筋金入り」です。
「自民のリテラシーの劣化」
「御岳山・事業仕分けのデマ」
今回のこともネット民のバッシングを信用して、
「貧困バッシング」に加担したところで、
片山さつきの思想とリテラシーならさもありなんです。
追加の情報とご意見多数頂きましたので、週明けにNHKに説明をもとめ、皆さんにフィードバックさせて頂きます! https://t.co/YsAqNvEPOP
— 片山さつき (@katayama_s) 2016年8月20日
私は子ども食堂も見させていただいてますが、ご本人がツイッターで掲示なさったランチは一食千円以上。かなり大人的なオシャレなお店で普通の高校生のお弁当的な昼食とは全く違うので、これだけの注目となったのでしょうね。 https://t.co/kQ6KwgqEGJ
— 片山さつき (@katayama_s) 2016年8月20日
片山さつきのような政治家の本来の仕事は、
かかる貧困を深刻な政治上の失策と受け止め、
政治によっていかに解決するかを国会議員として取り組むことです。
ネットの貧困バッシングに便乗することではない、
ということは言うまでもないことです。
>バッシングをしているような連中が想像するような
>「貧困」状態にあったら、それはもはや貧困ではなく飢餓だ
バッシングする人は、貧困層と言っても、
見た目は「ふつう」と変わらないことが、わからないのですよね。
18世紀くらいで認識の止まった、ステレオタイプの信者なのでしょう。
そして「飢餓」状態にある人は、日本にはいないと
思っているからはなはだだやっかいです。
「家もなく飢えている人なんて見ないんですけど?」なんて、
あっけらかんと言いますよ。
日本は経済大国だから「貧困」なんてない、
日本は公平な国だからだれでも働けば「貧困」でなくなる、
くらいの認識なのだろうと思います。
貧困者の娯楽すら認めない心の卑しい日本人
久に時代が落ち目となって人々の心に余裕がなくなってきたんです
本来なら貧しい人の為に国に陳情をするべき愛国者が
全く逆の貧困叩きを愛国行為だと妄信している愚かさ
戦時中の村八分、隣組(国民が監視し合って国に密告する)
から何の進歩もしていないんです、日本人は
貧困バッシング、とくに生活保護バッシングは、
現代の部落差別のようなものではないかと、
わたしは思っています。
「ふつうの人」の不満のはけ口ということです。
「生活保護と部落差別」
http://pissenlit16.seesaa.net/article/442012980.html
日本社会が貧困層に風当たりが異様に強いのは、
実際は福祉の貧しい不公平な国なのに、
北ヨーロッパ並みの公平な国と思い込んでいる
ということがありそうに思います。
「社会的不平等・現実と認識」
http://taraxacum.seesaa.net/article/437388723.html
それゆえ貧困は本人の自己責任であって、
社会構造の問題ではないと、思い込むのだと思います。