2016年10月23日

toujyouka016.jpg 旧姓使用の訴訟・原告棄却

職場で旧姓使用を認められないことを、人格権の侵害とする
訴訟があったのですが、原告の請求が棄却される判決が出たのでした。

「女性教員の旧姓使用認めず 東京地裁」
(はてなブックマーク)

「旧姓使用、なぜ認められなかった 判決読み解くと…」
「教諭の旧姓使用認めず 東京地裁判決 戸籍性「合理性ある」」(全文)
(はてなブックマーク)
 
東京都内の私立中高一貫校「日大三高・中学」に勤める
30代の女性教員が、旧姓の使用を認められず人格権を侵害されたとして、
学校での旧姓の使用と約120万円の損害賠償を
学校法人「日本大学第三学園」に求めた訴訟で、
東京地裁(小野瀬厚裁判長)は11日、女性の請求を棄却する判決を言い渡した。


判決の趣旨は、「戸籍名は旧姓よりも
個人を識別する上で高い機能がある」というものです。
「戸籍の名前が正しい名前」という「戸籍信仰」です。

戸籍名について「戸籍制度に支えられたもので、
個人を識別する上では、旧姓よりも高い機能がある」とも指摘。
今回のように、職場の中で職員を特定するために
戸籍名の使用を求めることには、合理性があると結論づけた。

個人の識別という観点なら、第三者の閲覧が困難な戸籍より、
ふだん使っている名前のほうがずっと高いでしょう。
原告の女性は職場では生徒に接するときは旧姓で呼ばれています。
通知や時間割のたぐいを戸籍姓にしたら、
生徒たちはそれこそ「だれ?」となるでしょう。

学校側に旧姓の使用を認めるよう申し出たが、「教職員として
行動する際には戸籍名を使用すること」とされ、認められなかった。
現在は時間割表や保護者への通知などには戸籍名を使用しているが、
教室内では旧姓を名乗り、多くの生徒からも旧姓で呼ばれているという。


結婚改姓したのに婚氏をいつまでも覚えてもらえず、
旧姓で呼ばれ続けた、なんてこともよくあります。
別人を装うために結婚や養子縁組で改姓して
犯罪に利用することもあります。

「改姓を利用した犯罪」
「結婚改姓で保険金詐欺」

一般に名前が変わると個人の識別は困難になるし、
個人の識別を維持するなら、苗字を変えないほうがよく
結婚しても旧姓を使い続けることがよいことになります。


戸籍の苗字を使わされて、個人の識別機能が
高いとはとても思えないです。
判決の趣旨は、戸籍に対する「信仰」であり、
根拠もなく「戸籍の名前を使えば個人の識別機能は高い」と
思っているだけ、ということではないかと思います。


今回の判決は「旧姓使用が戸籍名の使用と同様であることが
社会で根付いているとは言えない」という結論もあります。

今回の判決は、男性裁判官3人が判断した。
旧姓を使える範囲が社会で広がる傾向にあることを認めつつ、
「旧姓を戸籍名と同様に使うことが社会で根付いているとは
認められない」と結論づけた。

理由として、「既婚女性の7割以上が戸籍名を使っている」
とする新聞社のアンケート結果や、
旧姓使用が認められていない国家資格が「相当数」あることを挙げた。

その理由のひとつが「7割以上が戸籍名を使っている」です。
2割近く旧姓を使っていれば、じゅうぶん「根付いている」と思います。
49.9%でも「根付いているとは言えない」ことになるでしょうか?
0.1%でも少なければ「無視できる少数派」扱いするのも、
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)的発想だと思います。

戸籍名を使っている7割のかたも、旧姓が使いにくいことや
圧力があるので、不本意なかたもいるだろうと思います。
強制的に従わせておいて「根付いている」というのは、
独善的な発想だと言わざるをえないです。


もうひとつの理由は国家資格で旧姓を認めないことです。
これは旧姓使用が根付いていないと思っているから
国家資格で戸籍姓を要求するのであり、国家資格で戸籍姓を要求するから
旧姓使用が根付いていないのではないだろうと思います。

原因と結果が逆ということです。
ここで「旧姓使用は根付いていない」なんて判決を下したら、
ますます国家資格は戸籍姓を要求するようになると思います。


2015年12月の最高裁判決では、旧姓使用は社会的に
広まっていから、同姓強制は違憲でないとしていました。
今回の判決はこの最高裁判決とまっこうから反することにもなります。

「夫婦別姓訴訟違憲判決ならず」

旧姓使用をめぐっては昨年12月の最高裁大法廷判決が、
「旧姓使用が社会的に広まっており、戸籍名に変わることでの
不利益が一定程度緩和される」ことなどを理由に、
夫婦同姓を「合憲」と判断している。


因習・反動的な家族思想が先にあって、
「通称使用の社会的認知」なるものは、その正当化のために
持ち出される「方便」ではないかという気がしてきます。

選択的夫婦別姓に反対するのに都合がいいときは、
「通称使用は社会的に広まっている」ことになるし、
「女に結婚改姓を強要する」のに都合がいいときは、
「通称使用は根付いていない」ことになるのでしょう。


今回の判決は1988年-1998年の「関口裁判」より
後退しているのではないかと思います。
これも旧姓使用を認めさせるための訴訟で、
民法改正問題に多少詳しいかたでしたら、
だれでも知っている裁判だと思います。

「関口裁判(職場での通称使用を求める裁判)」

一審では「戸籍名を使うのは合理的」とされましたが、
二審では原告と和解にいたり、
ある程度の旧姓使用ができるようになったのでした。
ふじゅうぶんなところも残りましたが、
それでもこの訴訟を契機に、旧姓使用が社会的に
認識されるようになったところはあります。

判決は一部却下、一部棄却でした。
東京地裁は「戸籍名を使うのは合理的」であるとの判断を下しました。
そこで、関口さんは控訴しました。
さらに年月が過ぎ、1998年3月の東京高裁にて関口さんは
図書館情報大学と研究・教育分野での旧姓使用を認める和解に至りました。
旧姓が利用できるようになったものもできましたが、
かっこ付きで旧姓を併記するものや旧姓が不可なものも残りました。

この裁判は和解になったのが28年前です。
2016年の現在なら、もっと進んだ判決が出ていいくらいです。



謝辞:

10月9日エントリのコメント欄で、朝日新聞の記事
紹介してくださったaka21さま、ありがとうございます。

posted by たんぽぽ at 20:23 | Comment(2) | TrackBack(0) | 民法改正一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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この記事へのコメント
たんぽぽ様
そもそも持って生まれ、それで何十年かを生きて来た名前を「旧姓」っていう、言い方そのものがおかしいんですよ。
じゃあなにか? 人(この場合、大抵は「常識的」に女性であることが圧倒的だが)は結婚すると「新姓」とやらにでもなって生まれ変わりでもするのか? という事でしょう?
結婚する以前の自分を捨てろと言っているのに等しい。
生まれて以来,脈々と続いている人生を否定するのと等しい。

それなのに憲法や法律の問題ってなんですか、これ?
それこそ本当に基本的な人権の話じゃないんですか?
おかしい、いや、異常ですよ。
Posted by aka21 at 2016年10月26日 13:06
こちらにコメントありがとうございます。

>そもそも持って生まれ、それで何十年かを生きて来た名前を
>「旧姓」っていう、言い方そのものがおかしいんですよ

それはわたしも思うところです。
「通称」という表現にも、同じことを思っています。

結婚改姓したくない人にとっては、生来の苗字が「本名」であり、
婚氏は戸籍によってあてがわれたいわば仮の名前でしょう。


>結婚する以前の自分を捨てろと言っているのに等しい。
>生まれて以来,脈々と続いている人生を否定するのと等しい

結婚改姓する可能性のない立場の人(男性)は、
このあたりの認識に鈍感だと思います。

あるいはそれをよくわかっていて、
「女は結婚したら改姓しろ」と主張しているのかもしれないです。
「嫁いだ女は俺の家のものだから、生来の人生は
捨てるべきだ」と思っているということです。


>それなのに憲法や法律の問題ってなんですか、これ?
>それこそ本当に基本的な人権の話じゃないんですか?

憲法や法律は基本的人権の尊重を前提にしなければ
ならないはずなのですよね。
Posted by たんぽぽ at 2016年10月27日 07:13
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