1位から4位までは北ヨーロッパの国ぐになので、
それに続くところまできたことになります。
ルワンダでなぜジェンダー平等が浸透しているのか、
それについての記事があるので、見てみたいと思います。
「男女平等5位のルワンダ!理由と実情は?女性リーダーインタビュー」
ルワンダのジェンダー平等指数が高い理由で大きなものは、
女性議員の割合が世界一ということです。
2016年11月の列国議会同盟のデータでは、
下院は80議席中女性議員51人で63.80%と、3分の2近くを女性が占めています。
上院は26議席中女性議員は10人で38.50%ですが、それでも4割近いです。
「Women in national parliaments」
ルワンダの最後の下院の選挙は2013年9月ですが、
その前は女性議員の割合は56.3%でした。
さらに女性議員の割合が大きく増えたことになります。
以下は2013年5月の日経新聞の記述です。
「ルワンダの奇跡 崩れる慣習、可能性開く」
現在のルワンダは男女同権が浸透、下院議員に占める
女性比率は56.3%とスウェーデンなどを上回り世界一だ。
現在下院で女性議員が5割を超えているのは、
ルワンダとボリビアの2国だけです。
列国議会同盟のデータは下院の女性議員の割合の順で
並べるので、ルワンダは堂々の1位になります。
ルワンダで女性議員の割合が世界一高いのは、
2003年に導入したクォータ制によります。
1994年の虐殺事件で男性の数が減ったので、
積極的に女性を登用する必要からの導入でした。
女性の割合は3割以上となっているので、
過半数を超えて3分の2に迫るのは、制度で定められた以上に
女性議員が増えたことになります。
(以下は昨年2015年の記事)
「“立場主義”が日本を不幸に? 「ジェンダー・ギャップ指数」6位のルワンダから学ぶこと」
ルワンダは、1994年に起きた虐殺以後、国家再建の過程で
ジェンダー平等を推進し、2003年には議席の3割以上を
女性とするクオータ制(割当制)を導入しました。
最初の記事を見ると、議員以外にもさまざまな職場で、
女性の割合が増えているとあります。
国会議員だけの特別なお話ということではなく、
社会全体に女性が活躍する意識は浸透しているということでしょう。
ただ、前述の通り多くの女性が議員になっていますし、
ぼくの職場(村役場的なところ)も職員は8割方女性ですし、
学校や会社などのトップが女性という例も多いです
男女平等ランキングでルワンダは5位になってますが、
本当にルワンダは男女平等だと思いますか?
ーこの結果の通りだと思うわ。女性の比率が世界一になっている議会をはじめ、
あらゆる企業や組織の要職に女性が採用されてるからね
最近は家庭でも女性が権限を持つところが増えてるわ
@NoReHero ルワンダにも昔の日本みたいに「女は運転なんかするもんじゃない」って価値観があるのかと思って「女性の運転手さんは沢山いるの?」って聞いたら「イエス」って言われた。「ノー」の答えしか予想してなかったから会話途切れてしまった…。間違いなくレアなんだけどな…
— タケダノリヒロ@ルワンダノオト (@NoReHero) 2016年10月24日
項目別のジェンダーギャップ指数を見ても、
「女性の労働参加率」は男性より高くスコアは1.000です。
「同一労働同一賃金」も.877(1位)、
「賃金のジェンダー格差」は0.821(8位)で、いずれも高い水準です。
さまざまな労働分野で女性が多くなっている
ということは、裏付けられると言えるでしょう。
ルワンダで女性の登用が積極的に進んだのは、
先に少し触れたように、1994年の大虐殺事件でした。
次のように1994年前後で、男性の割合が減っていることがわかります。
女性の登用は必要に迫られた要素もあるということです。
今年ジェンダーギャップ指数が発表されたときは、
ルワンダが5位にランクしたことが衝撃的だった
というかたが結構いらして、話題になったみたいです。
ルワンダがジェンダーギャップ指数の
調査対象国になったのは、2014年からです。
2014年は7位、2015年は6位で、ルワンダの順位が1けた
というのは、今年で3回目です。
ルワンダの女性議員の割合が世界一というのは、
もっと前からご存知だったかたも多いと思います。
わたしも2010年のエントリで、ルワンダの女性議員の割合が世界一
ということと、背景に虐殺事件があることに触れています。
「政権交代・女性議員」
「ルワンダ虐殺」
その意味ではべつだん真新しい情報ではないということです。
この手の話題にふだん関心を持たない人が
それだけ多いということなのでしょう。
ジェンダーギャップ指数の調査結果を
こころよく思わないある種の人たちは、
ルワンダの順位が高い理由として、虐殺事件による
男性の人口減だけをもっぱら強調するきらいがあります。
クォータ制の導入や意識改革については触れないみたいです。
上の人口統計を見てもわかるように、
男性の人口が減ったといっても、女性の94-95%程度です。
人口ピラミッドを見ても、男性と女性とで
眼に見える差があるというほどではないです。
ルワンダの人口ピラミッドをみると、国会議員の男女比(1対2)ほどの差はないですよ。⇒@chitendo ルワンダは内戦で男が減ったから。それを言わないのはちょいズルい。#男女平等ランキング https://t.co/nlETbxX7CQ … pic.twitter.com/JIZYZKuk14
— Midori Fujisawa (@midoriSW19) 2016年10月26日
これらを見ると、積極的に女性を登用しなければ、
社会全体が立ち回らないというほどではなさそうです。
(クォータ制の導入は、議員や政府関係者に
男性の被害者がとくに多かったからではないかと想像する。)
ルワンダで女性の登用が進んだのは、
単に虐殺事件で男性が減ったというだけでは
おそらくふじゅうぶんで、クォータ制の導入や
意識改革も必要だったということです。
内戦や虐殺で男性が減った国はほかにもありますが、
これらの国でジェンダー格差が解消しているわけではないです。
大事なのは、社会を変革する必要がある状況になったときに、
必要な施策を行なうか、ということです。
@chitendo @midoriSW19 @MiyamaeYukari 内戦がきっかけで平等化が進みトップ5入りしたルワンダは確かに特殊な例ですが、内戦・虐殺を経験した国が全てギャップ解消してるわけでもないので、社会を変え得る状況があった時にそれを生かしているかどうかですよね。
— Citizen of Nowhere (@yunod) 2016年10月27日
1994年に虐殺事件、男性の人口激減
2003年にクォーター制導入
2010年に女性議員の比率世界一
というほぼ10年スパンでの劇的な流れを見ていると、あれ、日本は男女雇用機会均等法を導入したのって、いつだったっけ?と思ってしまうわけです(86年施行)。
日本と比べて人口が1/10というのがこの速さなのかもしれませんが、ともあれ、クォーター制というのが改革速度としては、一番なのかなという感じも受けます。
つまり、強制的にクォーター制にしてみたら、「あれ、世の中ちゃんと回ってるじゃん」と受容されていき、意識改革も飛躍的に進むのではないかと思います。
>ルワンダは非常に興味深い事例ですね
モデルケースとして、いろいろと研究できると思います。
>あれ、日本は男女雇用機会均等法を導入したのって、
>いつだったっけ?と思ってしまうわけです(86年施行)
もう30年になるのですね。
このあいだにぜんぜん進歩がなかったとは言わないけれど、
遅々としていることはいなめないですね。
人口が多いことは、やはりネックになるのかと思います。
日本の場合は、前時代からの既得権が強いことが、
いちばんの原因ではないかと、わたしは考えていますが。
>クォーター制というのが改革速度としては、一番なのかなという感じも受けます
強制的に女性の数を一定以上にするのは、
やはり効果的なのでしょうね。
女性の立場に立った意見が反映されやすいのはもちろん、
そこに女性がいても組織が動いているということを
直接示せることも大きいのでしょう。
国会議員のように、国のトップが実践すれば、
社会全体にも広まりやすくなるのもありそうです。
日本も第2次大戦後は男性の数が少なく,男女の比率は「男ひとりにトラック一杯」とか言われていたそうです。
そんなルワンダと同じような条件だったはずなのに,当時の政府の女性活用と言えばGHQ向けの売春宿経営ですか。
素晴らしきかな我が国は。
>日本も第2次大戦後は男性の数が少なく,男女の比率は「男ひとりにトラック一杯」とか
戦争で男性に被害者は多かったということですね。
男性の中でも若年層がとくに多かっただろうと思います。
労働力という観点では、損失は大きかったのでしょう。
敗戦後の日本も、GHQの統治のもと、
女性の参政権を導入したり、民法でイエ制度を廃止したりと、
ジェンダー政策はかなりなされたとは思います。
それでも選択的夫婦別姓が認められなかったりと
ふじゅうぶんさはあったのですが、
いまから70年前という時代の限界もあったのでしょう。
当時はもっとも人権意識の進んだ国でも、
女性の権利はそこまで理解はなかったということです。
ご指摘の特殊慰安施設協会も、アメリカ合衆国側は
のちに中止させるけれど、一時的とはいえ容認していて、
女性の権利に対する理解の限界はあったということです。
日本のそのつぎの時代は、「夫が外で働き妻は専業主婦」という
家族イデオロギーに走りましたね。
高度経済成長期は人手不足でしたが、
女性の労働力率を高める発想や必要はなかったのですよね。
人口ボーナス期で労働者人口がどんどん増えたので、
男性の片働きで間に合ったのでしょう。